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「メーカーと対極にある」元パナソニックのガンバ大阪社長が感じたクラブ経営の醍醐味/前編

2016.02.15

2012年1月、パナソニックからの出向でガンバ大阪のスタジアム建設本部に配属され、チームがJ2リーグ降格の屈辱を味わった翌2013年1月に代表取締役社長に就任。1年でのJ1リーグ復帰、その直後のシーズンでの3冠達成、そして新たな本拠地であり、日本サッカー史上初めて寄付金のみで建設されたスタジアム、市立吹田サッカースタジアムの着工から完成まで――。波乱に満ちた日々を乗り越え、新たなステージに突入しようとしているガンバ大阪の代表取締役社長、野呂輝久(のろ・てるひさ)氏に話を伺った。

インタビュー=山本剛央、文=池田敏明
写真=コラソン梅原沙織 CORACAO Saori UMEBARA

――学生時代に陸上をやられていたそうですが、スポーツとのかかわりは幼少期から深かったのでしょうか。

野呂輝久 子供の頃から走るのが速く、小学1年生から運動会の徒競走はいつも1等賞、体育は大学まで成績がずっと「5」でした。それだけが自慢で(笑)。体育はできましたが、その他の教科の成績は、実はあまり良くありませんでした(笑)。中学1年から大学1年までは陸上部で、高校時代は五種競技(100メートル走、110メートルハードル、砲丸投げ、走り高跳び、400メートル走)を経験しました。サッカーは体育でしかやったことがありませんでしたが、あまり器用ではなかったので、ボール回しなどはできなかったですね(笑)。

――ガンバ大阪に転勤されるまで、学校体育以外にサッカーとのかかわりはなかったのでしょうか。

野呂輝久 自分ではプレーしていないですし、プロの試合を観戦したのも、ガンバ大阪に来る前は4回だけでした。「サッカーってこういうものなんだ。スタジアムで見ると違うなあ」という印象でしたね。その翌年ぐらいにガンバに来て、そこからは人生がガラリと変わりましたね。もうサッカー漬けの毎日(笑)。家族も全員、ガンバ大阪ファンになりました(笑)。

――パナソニック時代は秘書課長や広報部長を歴任されたそうですが、当時の業務内容を教えてください。

野呂輝久 秘書を務めていたのは1990年から93年ですね。その頃は山下俊彦さんという元社長がいらっしゃって、その専任秘書でした。2000年に中村邦夫社長が就任した時には広報部長に就任しました。長く在籍していたのはシステム営業、システム事業ですね。これは法人相手にコンピュータやシステムの営業をする部署なんですが、パナソニックに35年間いて、30年間はシステム営業に携わっていました。

――パナソニックに35年間、勤続された中で、印象に残るエピソードはありますか?

野呂輝久 山下元社長の秘書を3年間勤めていた時期は、全社のオペレーションをしているトップセクションの近くにいて、創業者である松下幸之助さんから受け継がれる経営手法やトップの考え方を垣間見ることができました。「このようにしてトップは考え、判断して、会社をオペレーションしているんだなあ」と。その後、転勤する時に山下元社長から「将来、見てきたものと同じような局面が来るから、その時はこの経験を思い出して事業に当たりなさい」と言っていただきました。

――垣間見た内容については、驚きが大きかったですか?

野呂輝久 それは大きいです。どんな社長でも若い頃に実務経験をしっかり積んでから経営幹部になっていて、その経験を紐解いて経営に当たっていらっしゃる。それはもう、本を読むより絶対に面白いですよ。私が秘書になった時は、松下電器がアメリカのMCA社を8,000億円で買収した時だったんですが、その時はすごくドラスティックでドラマティックでした。また、広報部長を務めていた時は中村元社長が就任して、「破壊と創造」と言われるほど、松下電器に大改革を施した時期だったので、この時はもっと大変でした。広報部長だったので、四六時中、記者に追いかけられて(笑)。

――そういった秘書課長や広報部長としての貴重な経験の中で、ガンバ大阪に転勤されてから生かされていることはありますか?

野呂輝久 転勤当初の勤務先はスタジアム建設本部だったのですが、システム商品の販売とスタジアム建設のPRは業務が似ていましたし、あまり違和感はなかったです。おかげさまで法人企業721社から99億5000万円を集めることができました。

――メーカーからサッカークラブに転勤して、ギャップを感じた部分はありますか?

野呂輝久 メーカーの業務はすべて計画的に行います。命令系統は上から下、入り口から出口に一直線なんです。これがメーカーと対極にあるサービス業やエンタテインメント事業、特にスポーツエンタテインメント事業は、全くの真逆(笑)。面白いことに、個でやっているんですよ。組織としてではなく、個が動いて何となくこなしている。驚いたのはそこですね。従業員20人が集まると、イベントをこなしてくれるんです。これはすごい。こちらは3カ月前から心配で仕方がないのに、3日前くらいからやりかける(笑)。転勤から4年経ってようやく分かってきましたけど、まだ慣れないですね。

――他に、サッカークラブという観点から印象深かったことはありますか?

野呂輝久 サッカークラブなのでチームが中心にあり、いい試合をして勝つことが最大の目標ですよね。成果もそれにほぼ連動するじゃないですか。いくら運営がうまくいっていても、チームが連敗すればファンやサポーターの怒りを買う。サッカークラブの8~9割は、チームのパフォーマンスに依存していますね。でも、メーカーも商品の力が8~9割なので、そういう意味では似ていますよね。

――ファンやサポーターの方が近くに見えるということですね。

野呂輝久 おっしゃるとおり。メーカーだと技術開発に10年単位、商品開発に数年と長いスパンをかけて商品を出すじゃないですか。そして販売から数カ月、数年で消費者からの声が出てきて、それをフィードバックして新しい商品を作る。それに比べて、サッカーは目の前でリアルタイムに反応が分かる。だからお客様と一体になっていないと、この事業はうまくいかない。お客さんを巻き込む必要がある。“超マーケティング”ですね。パナソニックでもこんなマーケティングはできない。それだけに恐いですが感動がある。スリリングでしょ? これだからサッカーはやめられないですね。

「ビッグクラブへの入り口」ガンバ大阪社長が3冠獲得と新スタジアム経営を語る/後編

株式会社ガンバ大阪
代表取締役社長 野呂 輝久(のろ てるひさ)

1954年 8月29日生
1977年 名古屋大学卒業
1977年 4月 松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)入社
2000年 10月 同 本社 広報部長 
2005年 2月 同 パナソニックシステムソリューションズ社 常務
2009年 4月 同 システム・設備事業推進本部 本部長

2012年 1月 株式会社ガンバ大阪 スタジアム建設本部 本部長
2012年 4月 同 取締役副社長・スタジアム建設本部 本部長
2013年 1月 同 代表取締役社長

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By サッカーキング編集部

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