2015.12.01

ドルトムントのMF丸岡満が育成年代を振り返る「代表では練習でも試合でも全く何もできませんでした」

(株)TSUBASA代表取締役/編集者/インタビュアー/スポーツコンサルタント&ジャーナリスト/サッカー解説者/(株)フロムワンにて『サッカーキング』『ワールドサッカーキング』など、各媒体の編集長を歴任。国内外のサッカー選手への豊富なインタビュー経験を持つ。

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インタビュー=岩本義弘、写真=千葉格、Getty Images

 2014年1月、トップ昇格したセレッソ大阪での出場を待たずに海を渡り、ブンデスリーガの強豪ドルトムントに移籍。2014年8月のブンデス開幕戦で初めてベンチ入りすると、第4節には公式戦デビューを果たしたMF丸岡満。順風満帆に見える丸岡だが、中学1年時に大きな挫折を経験した。サッカー人生の岐路となった育成年代を振り返る。

「俺のサッカー人生は始まったばかりだし、ここでくじけてもダメだ」

――子供の頃からプロサッカー選手になって世界で活躍したいと思っていましたか?
丸岡 いいえ。小学校の時はただサッカーを楽しんでやっている感じでしたね。サッカー選手になりたいと意識したのは、中学校に入学してすぐにJFAエリートプログラムのUー13日本代表に選ばれた時ですね。

――その時にプロになれるかもしれないと思ったのですか?
丸岡 いや全然ですよ。代表では練習でも試合でも全く何もできませんでした。他の選手はみんなJの育成組織から来たエリートで僕は徳島からやってきた田舎者でした。

――小学生の所属チームでは一番上手かったんですよね?
丸岡 小学校の時はチームのエースで、中学でも1年生の時から3年生の試合に出ていました。それまでずっとスタメンで出ていましたし、それなりに自信もあったんですが、初めて全国の上手い人たちと一緒にやった時、本当に何もできずに大きなショックを受けました。

――サッカー人生の岐路ですね。
丸岡 そうですよ。その時は福島にあるJヴィレッジに呼ばれたんですけど、徳島から福島までお父さんと車で一緒に15時間かけて行ったんです。お父さんがずっと見守る中、練習して韓国代表と2試合したんですけど、ほとんどサブ組で試合なんて2試合で10分くらいしか出れなくて……。

――その時は何人くらい代表に呼ばれたのですか?
丸岡 20人くらいです。

――丸岡選手は実力的に下のほうだったのですか?
丸岡 実力的に劣っていたと思います(笑)。最初の体力テストではトップだったので周囲から「お、丸岡すげえじゃん」みたいな感じになったんですけど、いざサッカーとなったら……。

――全国から集められた中で体力テスト1位はすごいですね。
丸岡 体力には自信はあったので全国でも通用すると思ったんですが、サッカーでは実力的にレベルが違いすぎてまったく通用しませんでした。帰りの車で半べそかきながら徳島に帰りましたよ(苦笑)。

――帰りの車の中でお父さんはどんな会話をしましたか?
丸岡 その時はほとんど会話もなく2人とも沈黙って感じでした。お父さんは僕にかなり期待していたみたいだったので、お父さんもショックだったと思います。

――丸岡選手にとってサッカーで初めての挫折だったわけですね。
丸岡 いやー、本当にそうですね。地元では当時テレビに出たりして結構持ちあげられていました。自分の中でも自信もあったので……。

――それほど大きな差があったら、そこで諦めてしまうこともあると思いますが、丸岡選手はどうやって乗り越えたのですか?
丸岡 僕はものすごく負けず嫌いで同級生にはサッカーで絶対負けたくなかったし、実際に負けたことはありませんでした。あの時は本当に悔しくて、ずっと家ですねていました。でも、親から「そんなんでいいの? いつもの満やったら絶対立ち向かうでしょ」と言われて「またやったろ」って思いました。

――それはお父さんから言われたのですか?
丸岡 両親からですね。「そんな負けてるのでいいの?」って言われて。一週間くらいずっと何もせずにサッカーの話も一切してなかったんですけど、「俺のサッカー人生は始まったばかりだし、ここでくじけてもダメだ」と自分に言い聞かせてまたがんばろうと。

――当時のメンバーで今プロになった人はいますか?
丸岡 高木大輔(東京ヴェルディ)と森勇人(名古屋グランパス)がいました。

絶対にトップチームに昇格できるという確信が持てました

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――そこからは順調にセレッソ大阪のユースにステップアップできたのですか?
丸岡 いや、中学から高校に上がった時にまた挫折を経験しました。16歳の時に愛知で行われているTOYOTAカップに選ばれた時にもまた何もできなくて(笑)。

――丸岡選手は挫折を何度も乗り越えていますが、「このままがんばればプロになれるぞ」という手応えをつかんだのはいつ頃ですか?
丸岡 C大阪Uー18でレギュラーになった頃ですね。大熊(裕司)監督に試合に使ってもらって、高校1年の時に2011Jユースカップ第19回Jリーグユース選手権大会の決勝までいったのですが。

――丸岡選手がすごいロングシュート決めた大会ですね。(第19回Jユースカップの清水エスパルス戦)
丸岡 はい。その大会で自分が活躍して全国大会の決勝まで勝ち進んだことは大きな自信になりました。このまま試合に出て結果を残すことができれば、絶対にトップチームに昇格できるという確信が持てました。

――その後、ドルトムントとの試合でも活躍して当時の監督だった(ユルゲン)クロップ監督の目に留まったわけですが、C大阪かドルトムントか選ぶ時に迷いはありませんでしたか?
丸岡 僕の中で小さい頃に世界のトップチームで最終的にはやりたいっていう目標があったので迷いはまったくなかったですね。最初はセカンドチーム所属になると言われましたが、結果を出せばトップチームにつながると分かっていたので、挑戦しようと思ってすぐ決めました。

――今、感じている世界のトップとの差と、Uー13代表の時に感じた差はどちらが近いですか?
丸岡 今のほうが全然近いですね。

――世界で戦えるようになるために、一番自分が通用する可能性があると感じている武器はありますか?
丸岡 やっぱり運動量ですね。そしてゴールへのスプリントを90分の中で何本でもできる走力。戦術を理解してチームのためにしっかり戦えることですね。

――ドルトムントのトップチームの選手とはフィジカルや体力面で差を感じますか?
丸岡 毎回、シーズン前に体力テストをやるんですけど、体力面では基本チームのトップ3に入っているので、体力の部分では自信を持っていいんだなと思っています。

――ドルトムントの選手の中でトップ3というのはすごいですね。
丸岡 はい。中学時代は海辺で練習をしていたので。砂浜を走ってて良かったな思います。

――その時の練習で得た体力がプロになった今でも活きているということですね。
丸岡 そうですね。自分に自信があったのでマラソン大会だったり、体力勝負は絶対に負けたくありませんでした。それがこういう風にサッカーに活かせているのでがんばってきてよかったなと思います。