2016.01.22

アーセナルサッカースクール代表が語る「単身渡英した学生時代とサッカーの仕事に就くまでの話」/前編

サッカー日本代表のFIFAランキングは現在53位。海外リーグで活躍する選手は増加しているものの、世界との壁はまだまだ厚いのが現状だ。特に、アンダー世代が結果を出せない現実にも議論が集中している。果たして日本サッカーに足りないものとは何なのか? ヒントは「育成」にあると唱えるのが、サッカー・コンサルタントの幸野健一(こうの・けんいち)氏だ。世界の育成現場を視察し、自身もアーセナルサッカースクール市川の経営者として育成に携わる幸野氏に、日本サッカーが世界に追いつくために必要なことについて伺った。

インタビュー・文・写真=波多野友子

――幸野さんは高校3年生の頃、「海外サッカーの実情を知りたい」という理由で単身渡英されたと伺いました。

幸野健一 私が学生の頃は、海外サッカーの情報を簡単に手に入れることができない時代でした。今のようにインターネットも普及していないし、海外サッカーを見られる唯一のテレビ番組が「三菱ダイヤモンドサッカー」のみ。それもプレミアリーグの試合が前後半2週に分けて放送されるような、非常に限られた環境でした。日本サッカーと欧米サッカーを隔てる歴然とした力の差は一体どこから来るのか、それを知るためは現地へ足を運ぶしかなかったんです。そこで一人イギリスへ渡り、3ヶ月滞在してアーセナルの試合を観戦したり、クリスタルパレスに練習参加したりして過ごしました。

――17歳という若さで、日本サッカーの弱点を俯瞰で見ようとする意識や、単身で渡英する行動力を持っていたとはすごいですね。

幸野健一 精神的に自立するのが早かったんでしょうね。というのも、広告代理店を経営する父の部下にイギリス人社員がいて、子どもの頃から僕の家庭教師のような役目をしてくれていたんです。彼が聞かせてくれる西洋の文化や思想の話に、夢中になって耳を傾けていました。英語が話せるようになれば世界中どこでも仕事ができること、自己実現のためには自分の考えを自分の言葉で伝える力が必要であること。マーケット分野でもスポーツ分野でも必要となる様々なグローバルスタンダードを幼少期から学べたお陰で、行動や考え方の基礎が早くから出来上がったんだと思います。

――どのような経緯で、サッカーをご自身のライフワークにしようと決めたのでしょうか。

幸野健一 10歳の頃古河電工の下部組織でサッカーを始めてから、社会人リーグでプレーするようになった現在に至るまで、サッカーにはどっぷりの人生でした。ただ、渡英して世界のサッカーを知った頃には、プロサッカー選手として生きていくという選択肢はすでに自分の中にはありませんでした。イギリスで得た経験を生かして、サッカービジネスに携わりたいと考えるようになったんです。でも当時はサッカーを仕事にできるほどのマーケットがなく、大学を卒業した後、まずは父の営む広告代理店で働く道を選択しました。

――広告代理店での仕事とは、具体的にどのような内容だったのですか?

幸野健一 主にBtoBを専門としたコーポレートコミュニケーション戦略の立案がメインでした。大手クライアント企業を競合他社と差別化し、ブランドアイデンティティを高めるための企画やイベントを立案する仕事です。日本を代表する企業のトップマネジメントを肌で感じられた経験は、私をビジネスマンとして大きく成長させてくれました。一方でサッカーへの情熱を捨てきれず、サッカー教室の運営など、サッカー関連のビジネスも積極的に増やしていきました。

――代理店時代にサッカーにかかわった仕事で、印象に残っているものを教えてください。

幸野健一 忘れられないのが、Jリーグ開幕の93年に東京ドームを貸し切って開催した「ワールドサッカーフェスタ」です。「Jリーガーとアイドルグループをサッカーで対決させる」という前代未聞の大イベントで、当時スター選手だったアルシンドやリトバルスキーにも登場してもらいました。ですが、硬派なスポーツとしてサッカーをアピールしていきたいJリーグと、派手な演出を望むアイドル事務所との間で折り合いがつかず、あわやイベント中止寸前まで追い込まれて……。最後の手段として、小さい頃からのサッカーの恩師である故宮本征勝氏に相談し、Jリーグとの間に入ってもらいなんとか説得してもらったんです。イベントが無事開催されるまでは生きた心地がしませんでしたね。一生忘れられません(苦笑)。

――ワールドカップ招致活動にも関わったと伺いました。

幸野健一 2002年の日韓ワールドカップでは、電通とともに青森県の招致活動に携わりました。ワールドカップが日韓共催になったことで、国内に準備されていたスタジアムの半分が不要になってしまったんです。そこで仙台と青森がコンペとなり、私は青森県をサポートするべく、ペレを招いてサッカー教室を開催しました。旧ジェフ市原の初代監督、永井良和氏にも協力してもらいサッカー教室を開催したり、とても充実したイベントになりましたね。結局コンペには敗れてしまったのですが、私にとって代表的な仕事のひとつです。

アーセナルサッカースクール代表が語る「世界基準のスポーツ教育とは」/後編

アーセナルサッカースクール市川 代表
幸野 健一(こうの けんいち)

1961年9月25日生まれ。東京都出身、中大杉並高校、中央大学卒。
10歳よりサッカーを始め、17歳のときにイングランドにサッカー留学。以後、東京都リーグなどで40年以上にわたり年間50試合、通算2000試合以上プレーし続けている。
息子の志有人はJFAアカデミー福島1期生でFC東京所属。
これまで2002年ワールドカップ招致活動など、サッカービジネスに携わり、2013年からは育成を中心にサッカーに関わる課題解決を図るサッカー・コンサルタントとして活動中。
2014年4月「アーセナルサッカースクール市川」を開校させ、代表に就任。

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