日本代表がオーストラリアで行われているアジアカップの初戦となった1月12日のパレスチナ戦で4-0と完勝したニュースが、新聞の紙面を飾っているのを読者が目にしている1月13日の朝。愛知県のセントレア空港では、元日本代表の三都主アレサンドロが、運びきれない程の荷物を30分以上もかけてチェックインしていた。
2014シーズン、J2の栃木SCからFC岐阜に完全移籍した三都主だったが、契約期間の1年を満了して退団が発表されたのが1月11日だった。クラブから公表された本人の挨拶には「明後日、1月13日にブラジルへ帰国します。」と記されていた。
FC岐阜のオフィシャルカメラマンを勤める私は、僅か1年だったが彼にFC岐阜でのプレー写真を直接渡したく、セントレア空港に向かった。

そこに、長身の明らかにプロスポーツをやっている体格の良い人物が現れる。2013シーズンまで名古屋グランパスでプレーし、昨季はヴィッセル神戸に移籍した増川隆洋だ。元チームメイトを見送るために神戸からセントレア空港までやってきたのだ。そうするうちに、同様に体格の良い男が数人集まってきた。昨季限りで名古屋を退団し、今季はセレッソ大阪でプレーすることになった玉田圭司、名古屋のGK楢崎正剛と高木義成である。

三都主は明徳義塾高校サッカー部の監督がブラジルにスカウトに赴いた際に目に留まり、「日本でプロになれる」夢を信じて、1994年に16歳で来日。高校時代は無名だったが、1997年、清水エスパルスに練習生として参加して契約を勝ち取る。1999年に左サイドアタッカーとしてブレイクし、JリーグMVPに選出。その後は2001年に日本国籍を取得し、2002年日韓ワールドカップ、2006年ドイツ・ワールドカップと連続で日本代表として出場した。特にジーコ監督になってからは、本来の左サイドの攻撃的選手から左サイドバックにコンバートされる。当時、ディフェンダーが本職ではなかった彼の守備力が心配されていたことが記憶に残っている。名古屋時代の後半は、スピードが衰えたため、出番がなくなったのだろうと私は解釈していた。
三都主が日本代表でプレーしていた頃は、日本の攻撃を撮るためにゴール裏のポジションでカメラを構えていた。しかし、クラブオフィシャルカメラとして撮るJリーグではメインスタンド側、つまりベンチ側のタッチラインからのポジションでも試合を撮ることができる。この位置からはライン際でサイドバックが蹴る瞬間や、そのボールがどのような軌跡で味方FWに行くかがはっきりわかる。
岐阜に三都主が移籍した昨季、その位置から撮影しているうちにプレーの特徴が良く見えてきた。確かに日本代表で活躍した頃より、スピードは衰えているが、狙ったところに蹴るクロスの精度は他の選手と比較にならない。
プレミアリーグやチャンピオンズリーグで撮影している時は、精度の高いクロスを上げられたらDFがマークしていても、FWの頭や足元へのピンポイントのボールは防ぎようがないということを実感している。ボールが飛んできてから、味方の選手に届くまで、DFがわずか1メートルでも体を動かしてボールに競り勝つのは限りなく難しいのだ。それ程、一流プロのクロスはスピードも速く、ピンポイントで飛んでくる。
三都主のクロスをタッチラインから見て、初めてジーコ監督が左サイドバックで起用した理由が理解できた。モダンフットボールはサイドバックが重要だということを、ジーコも理解して三都主を使っていたのだと…。
2014年11月15日、J1昇格を決めた松本山雅FCとの岐阜のホーム最終戦。試合後、引退を表明した美尾敦と木谷公亮が胴上げされた時、誰かが冗談で三都主を胴上げしようとして「勝手に俺を引退させるな! まだ、俺はプレーするよ」と叫んだ言葉がなぜか頭をよぎる。
搭乗口へ向かう前に報道陣からの質問に答える。「ブラジルの両親の近くでまたサッカーが出来たらいいね」。そして「サッカーの勉強をして、良い指導者として日本に帰ってきたい」とも。

日本代表82試合に出場して7ゴール。そういえば、浦和レッズからザルツブルグに移籍したときも、私はロンドンから飛んで彼のデビュー戦を撮ったのだった。
三都主アレサンドロ、ありがとう、さようなら。そして、いつかまた日本で…。
