2014.09.18

チェルシー在籍17年目を迎えたジョン・テリー「このクラブは僕の体の一部」

[ワールドサッカーキング10月号掲載]

トッププレーヤーが毎年出たり入ったりするチェルシーにあって10年以上キャプテンを続けるのは並大抵のことではない。だが、ジョン・テリーにとってそれは当たり前のことなのだ。「常に全力を尽くしてきた」と迷いなく言える男が、ここにいる。
Burnley v Chelsea - Premier League
インタビュー・文=クリス・ヘザラル
翻訳=田島 大
写真=ゲッティ イメージズ

 ジョン・テリーはチェルシーで17回目のシーズン開幕を迎えた。ロマン・アブラモヴィッチ体制の前のチームを知る者は、現役選手としてはもはや彼しかない。だが、チェルシーの栄光も失望も味わい、34歳になった今も、サッカーに対する情熱は、プレミアリーグでのデビューを夢見ていた頃と変わらない。

 ユースからトップチームに上がることができた秘訣を、テリーは「努力を続けることに尽きる」と説明したが、彼はトップデビューを果たした後も、ずっと努力を続けてきた。そのモットーは「常に100パーセント」である。

 一時期はケガに苦しんだが、昨シーズン、敬愛するジョゼ・モウリーニョの復帰と時を同じくして復活。心身ともに充実した状態でタイトル奪回に挑む。

トップレベルの選手に触れられることは貴重な経験だった

――チェルシーに入団した頃のことを聞かせてもらえるかな。初めてチェルシーの練習に参加した当時のことを覚えている?

テリー かなり昔のことだけど、はっきりと覚えているよ。チェルシーの一員になったということで、すごく緊張していた。でも、同年代の選手とは学校の試合で何度か対戦して顔見知りだったから、その点では気が楽だったな。一番最初にやったのは、その1年間の仕事の振り分けだった。僕はファーストチームのロッカールームの掃除、試合日に使った用具の整理、それから何人かの選手のスパイク掃除をすることになった。

――スパイク掃除はどの選手の担当だった?

テリー デニス・ワイズ、デイヴ・リー、エディー・ニュートンだったよ。

――君はユースチームからトップチームまで異例のスピードで駆け上がったそうだね。成功の秘訣は何だったんだろうか?

テリー 努力を続けることに尽きるね。14歳とか15歳の頃は、学校が休みになれば自分より年上の選手が所属するユースチームの練習に参加させてもらっていた。それが終わると、トップチームの選手がやっている居残り練習に加えてもらった。ジャンルーカ・ヴィアッリやジョディー・モリス、マイケル・デュベリーがいたね。ロングパスを蹴り合っていたんだけど、コーチに左足で蹴るよう指示されて、とんでもない方向にボールを飛ばしてしまったのを覚えているよ。トップチームの選手と一緒の時に、変なミスはできない。ドキドキしながら、それでも一つひとつのキックをすごく丁寧にやっていたよ。あの経験がなかったら、左足のキックの精度はヤバかっただろうね(笑)。

――ユースチームにいた頃は何を目標にしていた?

テリー まずはリザーブチームに昇格することだった。僕らはリザーブチームの試合のボールボーイだった。ボールがグラウンドの外に飛んでいくと、それを取りに行かなきゃならない。モタモタしていると、外にいる子供がボールを持ち逃げしてしまう。ボールが足りないとコーチに怒られるから必死だったよ。でも、トップレベルの選手に触れることができるのは、まだ何者でもなかった僕にとって貴重な経験だった。そういうこともフットボール教育の一環だと思うんだ。だから僕は今でも、リザーブチームやユースの様子を見に行くし、可能な限り試合にも足を運ぶようにしている。

――チェルシーのトップチームで試合に出始めた頃のことを覚えている?

テリー 試合前のことからすごく印象に残っているのは、FAカップのオールダム戦だ。ヴィアッリ監督が試合前日のフォーメーション練習に僕を入れてくれた。そして練習の後に、コーチだったグレアム・リックスが教えてくれたんだ。「明日は右サイドバックで先発出場だぞ」ってね。その前にセンターバックや中盤の底で途中出場していたから、「本当に右サイドバックなのか!?」と思ったけど、結局、右サイドバックとして初スタメンを飾ったんだ。

――背番号26はジャンフランコ・ゾラを意識して選んだもの、という話は本当なの?

テリー それは間違いだ。フランコ(ゾラ)は25番だったんだから。

――ゾラに続く選手になりたいという意味で、26番を選んだというエピソードがあるよ。

テリー フランコを尊敬していたけど、それは違うよ(笑)。僕が初めてファーストチームに入った時に、空いている番号が26しかなかったのさ。だから26を選ぶしかなかった。レギュラーになってから背番号5とか6を勧められたこともあったけど、26番はラッキーナンバーだと断ったんだ。それ以来、ずっと背番号26なんだよ。

僕はどんな時でも100パーセントであることを重んじる

――イングランドの他のクラブと比較して、チェルシーは何が特別だと思う?

テリー それはこのクラブの人だと思う。ファンを含めてね。チェルシーは家族のような感じのクラブで、僕はそのことをすごく気に入っているんだ。選手を大事に扱ってくれるクラブであり、そして最高のファンもいる。僕は14歳からチェルシーにいて、このクラブが自分の体の一部になっている。ここには友人もたくさんいる。まさに特別な場所なんだ。

――君は22歳でキャプテンになったけど、キャプテンには何が必要だと思う?

テリー 色々あるけど、僕はどんな時でも100パーセントであることを重んじている。それが軽い練習でも、毎日100パーセントの姿勢で臨むんだ。これまでの監督は、僕のそういう部分を見て評価してくれたんだと思う。だから僕はキャプテンとして、そういう姿勢がチームに浸透することを願っている。もちろん、練習嫌いの選手もいるけど、隣でチームメートが必死に頑張っていれば、影響されずにはいられないはずだ。僕はそう信じてやってきたよ。

――歴代のチェルシーの選手で、君以上のキャプテンはいるかな?

テリー 僕は幸運なことにワイジー(ワイズ)やマルセル・デサイーといった選手と一緒に時間を過ごすことができた。彼らは2人とも、このクラブを代表するキャプテンだ。ピッチ上ではワイジーの自信満々の態度が勉強になったし、ロッカールームではマルセルの振る舞いに影響を受けた。マルセルは、悪ふざけを許さず、チームメートを完全に試合に集中させたからね。イングランド代表ではトニー・アダムスやブライアン・ロブソンといったキャプテンをお手本にしたよ。

――チェルシーのようなビッグクラブで常にリーダーであり続けるのは大変なのでは?

テリー ワイジーが良い例だったんだと思う。色々と批判されたこともあったけど、どんな時でも、何があっても、彼はピッチに立てば常にベストを尽くしていた。練習中もね。ランニングをする時は列の先頭に立ち、遅い選手のペースを上げさせた。若手だった頃にそういう光景を見て育ったことが、今の僕の糧になっているのさ。

――当時と比べるとクラブも大きく変わったのでは?

テリー 信じられないくらいに変わったね。今のオーナーのクラブへの貢献度は計り知れない。もっとその点が評価されてもいいんじゃないかな。スタジアムの改修や練習場の建設についてもね。彼が来てすべてが変わったんだ。それから、モウリーニョを連れてきてくれたのもオーナーだからね。

――モウリーニョが来て、クラブは一気に変わったということかな?

テリー 彼が就任した最初のシーズンにチェルシーはリーグ制覇を果たした。それがすべてを物語っているよね。それまでも優勝争いを演じることはあっても、50年間も優勝から遠ざかっていたからね。優勝が決まったあのボルトン戦でフランク(ランパード)が2得点したことは忘れないよ。間違いなくチェルシーでの最高の思い出の一つさ。ジョゼがこのクラブで何をしてくれたか、それは言うまでもない。彼は最高の監督さ。

――歴代の監督の中でもジョゼが一番なんだろうか?

テリー 僕はそう思う。もちろん他にもワールドクラスの監督はいたよ。ダブルを達成したアンチェロッティも一流の監督だった。ヴィアッリもそうだ。それから僕らはディ・マッテオの下でチャンピオンズリーグを制している。すべての監督から色々なことを学んで、チームとして成長してきたんだ。

――それぞれの監督について聞かせてもらえる?

テリー みんなそれぞれ良さがあったから、あまり比較はしたくない。すべての監督から学ぶことがあった。一つ言えることは、そのすべての監督が僕をキャプテンに据えてくれたことは、僕の誇りだということさ。

自身のポリシーやキャプテンの役割について語ったテリーが、今夏に大型補強を行なったチームに言及。続きは、ワールドサッカーキング10月号でチェック!