2014.07.14

【プロ選手たちの中学時代 第3回】豊田陽平 未来を切り拓いたハングリー精神

プロ選手たちの中学時代 第1回中村憲剛キャリア最大の挫折 寄り道をした3年間文 = 山本剛央 Text by Takeo YAMAMOTO 写真=瀬口陽介 Photo by Yohsuke SEGUCHI

決して順風満帆なキャリアではない。逆境を跳ね除け、
スターダムを駆け上がった豊田の原動力はどこにあるのか。
その知られざる原点に迫った。

試練を乗り越えてつかんだ喜び

 1993年に産声を上げたJリーグ。日本列島がボールの行方に一喜一憂する中、その熱に引き寄せられるように小学2年生の豊田はサッカーとの運命的な出会いを果たした。もっとも、ボールを蹴り始めたきっかけは、「走りたかったから」と少し意外な理由だった。
 
「走ることが大好きだったし、誰にも負けない自信があった」。運動、特にかけっこが大好きな少年だった豊田はある日の放課後、初めてサッカーで遊ぶ子供たちの姿を目にする。「スポーツ少年団の子供たちがサッカーの練習で競争しながら走っていたんです。それを見た時、『競争に加わりたい。僕が入れば絶対に負けないのに』と思ったことで、サッカーに興味を持ち始めました」
 
 そうしてボールを蹴り始めた豊田に、いきなり試練が訪れる。思うようにボールを扱えず、イラだちばかりが募る日々。上級生からは心ない言葉も浴びせられた。「もうやめてしまおうかと本気で思い悩みました。だけど、親に話したら『本当にそれでいいの?』と。やっぱり諦めたくない気持ちもあったので、『もう1回がんばってみよう』と思い直したんです」
 
 当時から体格は大きいほうで、身体能力も他の子たちよりも優れていた。心を入れ替えてサッカーと向き合った豊田が脚光を浴びるまで、多くの時間は必要なかった。「たまたま出させてもらった上級生の試合で、足の速さを生かしてピンチを防いだんです。そうしたら、上級生やコーチにすごく褒められた。うれしかったですし、『サッカー続けていて本当に良かったな』って」
 
「サッカーを辞めることを考えたのは、後にも先にもその時だけ」。試練を乗り越えてつかんだ大きな喜び。豊田はサッカーを続けていくことを心に決めた。

恩師の導きによりストライカーの道へ

 サッカーにのめり込んでいった豊田は上達のスピードを加速させていくと同時に、自然と高みを目指すようになっていった。「華やかなJリーグの世界を目の当たりにしたことで、僕もプロになりたいと思うようになりました。やるからには上を目指したいと」
 
 中学校に進むと、豊田は地元・石川県小松市のクラブチーム、FC小松でプレーする。部活ではなく、サッカー経験のある指導者に教えてもらえるクラブチームでのプレーは、「とても重要なことだった」と振り返る。

 当時はボランチを主戦場にするゲームメーカーだった。日本代表で活躍する中田英寿や名波浩に憧れを抱き、自分でゲームを作ることに楽しさを見いだしていた。思い描いていた目標は2つ。県大会を勝ち上がることと、県の選抜チームに選ばれること。「自分の中では手応えというか、結構やれている自信はあった。なのに、県選抜にはなかなか選んでもらえなかった。『あいつが選ばれているのに、何で僕が選ばれないんだ』という悔しさを発奮材料にしながら毎日ボールを蹴っていました」

 そんな折、豊田のサッカー人生における大きな転機が訪れる。ボランチからFWへのコンバート──。「ある日、『FWをやってみないか』と言われて。ボランチのポジションが好きだっただけに、すんなりとは受け入れられなかったですね。だけど、『お前は上背もあるし、身体能力も高い。絶対にFWに向いている。将来的にも生きてくるから』と説得され、FWをやり始めました」

 最初はそのギャップに苦しめられた。自分でゲームを作ることもできなければ、自分のイメージするパスも出てこない。フラストレーションを感じ、サッカーの楽しさも薄れつつあった。だが、豊田は我慢強く取り組んだ。小学生の時に経験した試練は一人で苦悩したが、この時はすぐ傍で熱心にサポートしてくれる指導者がいた。「ボールタッチや身体の向き、FWに必要とされる動き。そういった細かい部分も丁寧に教えてもらいました。それに、『豊田はやれるから』と何回も何回も言ってくれて、僕に自信を植え付けてくれたんです」
 
 FC小松の創始者である故・寺西節さん。豊田が恩師と呼ぶ指導者との出会いによって“ストライカー豊田”が作り上げられていった。「寺西さんは高齢だったけど、すごく情熱的な方だった。いい時期にいい指導者に巡り会えたことが、今につながっていると思います。寺西さんがポジション転向を勧めてくれていなかったら、今の僕は存在していなかったはずですから」

中学時代に培われたハングリー精神

中学時代に培われたハングリー精神

 徐々にストライカーのポジションに慣れていった豊田は、持ち前のスピードと身体能力の高さを生かしてピッチで結果を残していく。「だんだんと点を取る喜びを感じられるようになり、FWの魅力、楽しさが分かってきた。チームを勝利に導くことができるポジションですからね。ここで勝負していこうという気持ちが芽生えました」

 中学3年生時に臨んだ石川県大会はベスト16で敗退。県の選抜チームに選ばれるという目標も果たせないまま中学生活を終えることになった。しかし、自信を深めた豊田はサッカーの名門・星稜高校に進学。高校選手権では全国大会に出場して注目を浴びるなど、中学時代の悔しさを晴らすとともにプロへの道を切り拓いていった。

 その原動力となったのは中学時代に培われたハングリー精神だ。「『絶対に負けないんだ』という強い気持ちを持って毎日のトレーニングに取り組んでいましたからね。その姿勢は高校に入ってからも変わらなかった」。恩師と出会い、FWとしてのキャリアをスタートさせた中学時代。目標こそ果たせなかったが、大きく羽ばたくための“助走”としては、理想的な過ごし方だったように思える。しかし、本人はやんわりとそれを否定し、次のように続けた。

「もっともっとやっておくべきことはあった。自分で気づかないといけなかったのに、それができていなかったと思います。技術的にもフィジカル的にも十分な練習を積んでいたかと言われれば決してそうではない。自分のキャパシティというか、プレーの幅を広げるためにも、もっとやっておけばよかったと後悔しているんですよ」

 自分に厳しく決して満足はしない。これまでと同じようにこれからも豊田は飽くなき向上心と不断の努力によって、どこまでも高みを目指し続けていくだろう。(了)

●【プロ選手たちの中学時代 第1回】中村憲剛 キャリア最大の挫折 “寄り道”をした3年間
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COPA COCA-COLA

豊田陽平が語るCOPA COCA-COLA(コパ コカ・コーラ)

8月から中学生を対象としたフリー参加の大会『コパ コカ・コーラ』が開催されます。
豊田陽平——フリー参加というのは非常にいい試みだと思います。僕たちの時代にはそういった大会はなかったので、純粋にうらやましく思いますね。自分たちとは違う地域から参加するいろいろなチームと対戦することで、たくさんの経験ができるでしょうし、様々な刺激を受けられるはず。いろんなことを肌で感じられると思います。

『コパ コカ・コーラ』に期待することは?
豊田陽平——やはり多くのプレーヤーに、多くの経験を積んでもらい、それを糧にしてより成長していってもらいたいですね。例えば、レベルの高いチームと対戦すれば、「僕たちももっとやらなければいけない」と感じられるでしょうし、大会でしか味わえない喜怒哀楽が必ずあると思います。大会を楽しみながら、真剣にプレーしてほしい。そうすれば得られるものは少なくないはず。また、たくさんのプレーヤーが参加することで、サッカーの魅力をより多くの人たちに伝えていってもらいたいですね。

『コパ コカ・コーラ』のテーマの一つに「仲間」の存在があります。
豊田陽平——サッカーは一人ではできないスポーツです。仲間の力を借りることで、はじめて自分が活躍でき、逆に自分の力で味方を活躍させることができます。そうして仲間の大切さを知れるのが、サッカーの魅力の一つ。他国に比べて日本は仲間意識が優れているし、どの年代もそれを強みにしてやっていかなければいけない。大切な仲間の存在は、その人の人生にとって大きな糧になるはずです。実際に僕もこれまでに出会った仲間がいたからこそ、今こうしてプロの選手としてプレーできていると思っていますから。

最後に『コパ コカ・コーラ』に参加する中学生へメッセージをお願いします。
豊田陽平——まずは、サッカーを思い切り楽しんでほしいですね。もちろん、勝つ喜びも負ける悔しさもある中で、でも最後は笑ってお互いに健闘を称え合えるような、そういった大会にしてほしいと思います。そのためには勝ち負けと同じくらい、お互いをリスペクトする気持ちが大切。サッカーでの成長だけではなく、人間的な成長につなげていくためにも、仲間を、そして相手を思う気持ちを持ってください。その気持ちがあれば、最後は笑って終えられる大会になると思います。

中学生なら誰でも参加可能。エントリーはこちら!