FOLLOW US

[ROAD TO BRAZIL]長きに渡る闇を抜け、復活を遂げた“南米の雄”コロンビア

2014.06.06

[サムライサッカーキング5月号掲載]

1990年代初頭に世界を席巻した南米の雄は、暴力と悲劇によって地に落ちた。しかし長きに渡る低迷期を終え、今復活の時を迎えている。
sS5MBQvp9FW5TeH1401793315
文=池田敏明 写真=Getty Images

犯罪大国のイメージが確立された“エスコバルの悲劇”

「コロンビア」という国名を聞いて、ネガティブなイメージを思い浮かべる人は多いだろう。2002年にアルバロ・ウリベが大統領に就任して以降、政府の取り組みによって国内の治安情勢が急激に改善されているとは言え、国内には爆弾テロや誘拐、殺人といった凶悪犯罪が後を絶たない地域も依然として存在する。

 危険なイメージを確立させた要因として、コロンビアサッカー界が世界に与えた衝撃も無視できるものではない。コロンビアサッカーと言えば、1980年代から90年代にかけての“黄金時代”がまず頭に浮かぶだろう。カルロス・バルデラマという稀代のタレントの出現によってコロンビア代表は一気にチーム力を高め、90年のイタリア・ワールドカップでは決勝トーナメントに進出。続く94年アメリカ大会では、南米予選でアルゼンチンを5-0と一蹴するなど完全に強豪の地位を築き上げ、優勝候補の一角に名前を挙げられるまでになった。バルデラマに続くようにファウスティーノ・アスプリージャ、フレディー・リンコンといった実力者も名を連ね、華麗なパスサッカーを実践する代表チームに、国民の誰もが大きな期待を抱いた。

 しかしグループステージ初戦、コロンビアはルーマニアに1-3の敗北を喫してしまう。そして迎えたアメリカ戦、あの悲劇が起こってしまう。

 35分、コロンビアはアメリカに先制点を献上する。ゴールを決めたのはコロンビアのDFアンドレス・エスコバル。左からのクロスに対し、身体を投げ出してのクリアを試みたが、右足に当たったボールがゴールに吸い込まれるオウンゴールだった。この1点が重くのしかかってコロンビアは1-2で敗れ、大会からの敗退が決定した。

 重い責任を抱え、失意のまま帰国したエスコバルは、メデジン郊外のバーで暴漢に12発もの銃弾を撃ち込まれ、殺されてしまった。“エスコバルの悲劇”として知られるこの事件については、犯人がサッカー賭博に絡むシンジゲートの関係者だったとか、「オウンゴールをありがとう」という言葉とともに発砲したとか、様々なうわさが飛び交った。真相は定かではないが、W杯に出場する代表プレーヤーが射殺されたという事実とともに、コロンビアの“犯罪大国”としての悪名が一気に広がってしまった。

若手のヨーロッパ流出で国内リーグは空洞化

 この事件以降、コロンビア代表は長きにわたる低迷期に陥る。国内リーグはそれなりのレベルを維持し、95年にはアトレティコ・ナシオナルが、96年にはアメリカ・デ・カリが、99年にはデポルティーボ・カリが、それぞれコパ・リベルタドーレスで決勝に進出(いずれも準優勝)。04年には無名のクラブ、オンセ・カルダスが快進撃を見せ、見事に優勝している。ちなみに、このチームを率いていたルイス・フェルナンド・モントージャ監督は、同年のインターコンチネンタルカップを終えて帰国した直後に銃撃され、現在は半身不随の生活を強いられている。中南米諸国からはサッカーと凶悪犯罪が絡んだ事件がたびたび伝えられるが、コロンビアがその舞台となるケースは非常に多い。

 クラブの活躍に加え、個人レベルでもイバン・コルドバやルイス・ペレア、マリオ・ジェペスらが欧州進出を果たし、有力クラブでレギュラーを務めた。しかし、代表は98年フランス大会のグループステージ敗退を最後にW杯からは遠ざかり、今回が実に4大会ぶりの出場となる。

 低迷の理由は攻撃陣のタレント不足にあった。先ほど名前を挙げたI・コルドバ、ペレア、ジェペスはいずれも守備の選手であり、それを象徴するように代表チームも堅守速攻スタイルで戦うことが多かった。バルデラマを中心としたチームに幻想を抱いていた国民がこの戦い方に不満を抱き、批判を浴びせるとともに、W杯予選での低迷によって監督交代が繰り返され、継続的なチーム強化ができないという悪循環にも陥った。

 しかし、その低迷の中でも種を蒔くことは忘れていなかった。01年にコパ・アメリカを開催したことで国内環境は整備され、育成年代の発掘と強化に力が注がれたため、若い選手はメキメキと力を伸ばしていった。U-17代表、U-20代表は今や国際大会の上位常連で、身体能力の高いコロンビアの若手たちは欧州ビッグクラブのスカウトから“優良物件”として大いに注目を集めるようになった。そうしてユース年代の代表で実績を積み上げたのがラダメル・ファルカオであり、ハメス・ロドリゲスやルイス・ムリエルといった現代表の主力たちだ。

 彼らは注目を集めると、ティーンエイジのうちに国外のクラブに引き抜かれるケースが多い。下部組織で育てた若者たちが、トップチームでのプレーをほとんど経験せずに国外に移籍してしまうため、国内リーグはタレント不足が顕著だ。13年に前期、後期とも優勝を飾り、現在、行われている14年前期リーグでも首位に立っているアトレティコ・ナシオナルでさえ、代表に常時、招集されるような選手は皆無。3月のチュニジアとの親善試合ではMFアレクサンデル・メヒアとDFステファン・メディナが招集されたものの、代表での実績は乏しく、本大会でメンバー入りする可能性は限りなく低い。ちなみに、この時に国内組で招集されたのはわずか4人で、W杯出場の可能性があるのはデポルティーボ・カリでプレーする御年42歳の大ベテラン、ファリド・モンドラゴンだけだ。若く有能な人材が簡単に国外流出してしまうという国内リーグの求心力の低さは、コロンビアサッカー界の今後に向けての課題と言えるだろう。

古豪を復活させた名将ペケルマン

 前線や中盤にも有力選手が続々と現れるようになったものの、タレントを並べただけで勝てるほどサッカーは簡単なものではない。現に今大会の南米予選でも、初戦でボリビアに勝利したものの、続くベネズエラに引き分け、アルゼンチンには敗北を喫する。コロンビアサッカー連盟は、ここで“いつものように”レオネル・アルバレス監督を解任。予選途中に短絡的な監督交代を行い、更なる泥沼にはまるという悪癖が繰り返されるかと思われた。

 しかし、後を引き継いだアルゼンチンの名将ホセ・ネストル・ペケルマンがすべてを変えた。ペケルマンは若手の才能を開花させ、選手の特性を生かしたチームを作り上げる手腕に定評のある指揮官で、95年、97年、01年のワールドユース(現U-20W杯)でU-20アルゼンチン代表にタイトルをもたらし、06年ドイツW杯ではアルゼンチンのA代表をベスト8へと導いた実績を持つ。10年には日本代表監督就任のうわさもあったが、これは実現しなかった。コロンビアにとっては80年から81年にかけてチームを率いたカルロス・ビラルド以来となる外国人監督だったが、ペケルマンは現役時代にコロンビアでプレーしていたこともあるだけに、国民性や選手たちがどのようなポテンシャルを秘めているかは熟知していた。「君たちにはW杯で上位進出を果たせる実力がある」と選手たちに説き続け、自信を植え付けると、チームはすぐさま結果を出し始める。そしてペケルマン就任後の南米予選を8勝2分け3敗で戦い抜き、堂々の2位で本大会出場権を獲得したのである。

 アルゼンチン代表監督時代のペケルマンは、フアン・ロマン・リケルメを中心としたポゼッションサッカーを確立させていた。コロンビア国民は当然ながらバルデラマ時代のパスサッカーの復活を期待したが、コロンビアで実践したのは素早くパスをつないで一気にゴールへと迫るダイレクトサッカーだった。そのため、当初はイメージの違いに戸惑った国民からの批判も浴びたものの、チームが機能し、ダイナミズムあふれるサッカーを披露するにつれて評価が一変。W杯出場という結果を残した今では代表を全力でサポートする風潮ができ上がっている。出場権獲得時に、反政府左翼ゲリラであるコロンビア革命軍が祝福のコメントを出したほどだ。

 コロンビア代表は現在、絶対的エースのファルカオがひざのじん帯損傷の大ケガを負い、長期離脱している。リハビリの経過は良好で、シーズン中の復帰も現実味を帯びているが、100パーセントのコンディションでブラジルの地に立てるかどうかは不透明な部分が多い。「ボールを持ったら素早く攻撃陣に展開し、クロスやラストパスをファルカオに集める」という戦術を徹底してきたコロンビアにとって、厳しい状況であることは間違いないだろう。ただ、策士ペケルマンがただ手をこまねいているとは思えない。ファルカオ不在を想定した“プランB”は間違いなく用意しているはず。屈指のタレント力をペケルマンがどのように機能させるのか、注目であると同時に、グループステージ3戦目で対戦する日本は万全の準備をしてこの一戦に挑まなければならない。

SHARE

LATEST ARTICLE最新記事

RANKING今、読まれている記事

  • Daily

  • Weekly

  • Monthly

SOCCERKING VIDEO