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セレソンの次代を担うルーカス・モウラ「世界一のプレーヤーになる」

2013.07.09

[ワールドサッカーキング0718号掲載]

半年前、20歳の若者は初めてパリに降り立った。「親友」と呼ぶネイマールより一足早い欧州への挑戦。そのネイマールとともに、彼はセレソンの未来を救えるのか。ルーカス・モウラの挑戦を追う。
ルーカス・モウラ
文=ジョナス・オリヴェイラ Text by Jonas Oliveira
翻訳=高山 港 Translation by Minato TAKAYAMA
写真=ゲッティ イメージズ Photo by Getty Images

レオナルドの存在がパリ行きを後押し

 パリの郊外、高級住宅が並ぶニュイー・シュル・セーヌの閑静な通りにある家に、ルーカス・モウラは我々を迎え入れてくれた。それは、彼にとって初めての欧州でのシーズンが終わり、母国で行われるコンフェデレーションズカップのためにセレソンに合流する直前のことだった。

「2012年のロンドン・オリンピック期間中、僕は(マンチェスター)ユナイテッドと契約寸前まで行った。最終的にパリ・サンジェルマンを選んだのは、僕が12月までブラジルに残ることを認めてくれたからだ。条件もとても良かったしね」

「とても良い条件」は、当時ユナイテッドの監督だったアレックス・ファーガソンが怒るほどのものだった。20歳のルーカスを手に入れるために、パリSGが支払った移籍金は4500万ユーロ(約58億5000万円)。ファーガソンは「フットボールは狂った世界になった」とコメントした。

 我々はがらんとした飾り気のない彼の部屋で向かい合った。液晶テレビと昼寝用のマットレス、そして旅行用のバッグ。セレソンの若手スターというより、貧しい学生の部屋のようだ。テラスに出ると、エッフェル塔の頂上がかすかに見える。

 パリSGへの移籍を決めた理由の一つとして、彼はクラブのスポーツディレクターを務めるレオナルドの名前を挙げた。「彼がすべてを仕切ってくれたんだ」

 かつてセレソンのスターでもあったレオナルドは、ブラジル人プレーヤーを熱心にパリへ誘っている。チームにはチアーゴ・シウヴァ、アレックス、マクスウェルがいる。

「ブラジル人が多いことはプラスに働いている」とルーカスは言う。「パリに来てからはブラジル人の仲間と多くの時間を過ごしている。でも、僕は他のチームメートとも、もっと話をしてみたい。だからフランス語もちゃんと勉強しているよ」

 20歳の若者はパリの街にも、フットボールにも素早く適応した。莫大な移籍金に疑問を感じていたファンも、彼のスピードと柔軟なタッチを見れば納得せざるを得なかった。カルロ・アンチェロッティ前監督から与えられたポジションは右ウイング。以前はブラジル伝統の「10番」タイプだったという彼は、今は右サイドが自分のベストポジションだと考えている。「ここでは最高の戦術を学べる。アンチェロッティ監督は、ボールを持っていない時の動きを細かく指導してくれたしね。プレスをかける方法もここで学んだんだ」と彼は言う。

トロフィーを掲げたサンパウロの最終戦

 ルーカスはサンパウロで最も危険な地域と言われるジャルジン・ミリアム地区で生まれた。父のジョルジュは金属工場の労働者、母のファチマは美容師。2人は7年前に離婚したが、今でも連絡を取り合っているという。環境に恵まれないブラジルの子供たちの例に漏れず、彼もまたストリートでボールを蹴り始めた。本格的なフットボールに触れたのは5歳の時。かつてコリンチャンスでプレーしたマルセリーニョ・カリオカのスクールに入ったのだ。10歳の時、サンパウロの永遠のライバルであるコリンチャンスのフットサルクラブに入団し、その3年後にはサンパウロの有名なユースアカデミーに移った。「僕の子供時代は13歳で終わった」と彼は言う。

「サンパウロに入った時から、僕は一人のフットボーラーとして生きてきた」

 その驚異的な才能がマスメディアの注目を集めたのは2010年の8月。かつて指導を受けたマルセリーニョ・カリオカとプレースタイルが似ていたことから、「マルセリーニョ」の登録名でデビューした。だが、その1カ月後、本物のスターの誕生を確信したサンパウロの首脳陣は、彼の登録名を本名の「ルーカス」に戻した。

 ルーカスがサンパウロのトップチームで過ごした3シーズンのハイライトを挙げるなら、昨年12月にアルゼンチンのティグレと対戦したコパ・スダメリカーナ決勝だろう。アウェーの第1戦を0-0で終え、迎えた第2戦。ルーカスにとってサンパウロでの最終戦となったこの試合で、彼は先制ゴールを決めた。そして2-0で突入したハーフタイムに事件が起こる。「警備員から暴力行為を受けた」と主張したティグレが試合続行を放棄したのである。

 後味の悪い結末だったが、表彰式ではサンパウロのキャプテン、ロジェリオ・セニからルーカスへ、予想外のプレゼントが待っていた。トロフィー授与の際、セニはこの若者にキャプテンマークを手渡したのだ。「あれは一生忘れられない思い出になった。ロジェリオにとってトロフィーがどれだけ重要なものか、僕は知っている。なのに、7万人の観客を前にして、僕がトロフィーを受け取ったんだ。どうしていいか分からなくて困ったよ(笑)」

 セニはサンパウロでコパ・リベルタドーレスを3度制した「生ける伝説」。ルーカスがユース時代から憧れていた人物の一人だった。

W杯へ向けて貴重な経験を積む

 もっとも、ルーカスにとって最大のアイドルはジネディーヌ・ジダンだ。「彼は真の天才だった。あのプレーは忘れられない。もちろん、ワールドカップ(W杯)でブラジルを苦しめたこともね」。更に、リオネル・メッシのプレーにも憧れているという。「メッシは常にゴールに向かってプレーしている。僕は彼のスタイルが大好きなんだ。僕に似ていると思う。いや、僕が彼に似ている、と言ったほうが正しいのかな」。そう言って彼は笑う。

 プレースタイルがメッシに似ている、というのは自信過剰にも思えるが、ブラジル人の多くは彼にメッシのようになってほしいと願っているはずだ。ネイマールがどれだけの才能を持っていたとしても、2014年のW杯でセレソンを優勝に導くためには、ネイマール一人では荷が重すぎる。一足早く欧州に渡り、チャンピオンズリーグ(CL)も経験したルーカスを、ブラジルのファンやメディアは高く評価している。ある意味ではそれが、ネイマールのバルセロナ移籍を後押しすることにつながったとも言える。

 ブラジルを出たことについて、ルーカスは冷静にこう語っている。「欧州に来たのは正解だった。すごく良い変化をもたらしてくれたからね。これまでとは違った戦術を学んだし、リズムの速いゲーム、当たりの厳しいゲームにも慣れた。僕はW杯で対戦するかもしれない選手と一緒にプレーしているんだ。そういった経験もプラスになる」

 才能やポテンシャルについての議論はさておき、ルーカスとネイマールがこの半年間、全く違う環境でプレーしてきたことは確かだ。ルーカスがCLのハイレベルな戦いの中で、厳しいプレーを学んでいた頃、ネイマールはサンパウロの州リーグで格下の相手に、華麗なテクニックを見せびらかしていた。もっとも、ルーカス自身は、この手の比較が好きではないと言う。「他人と比較されて喜ぶ選手はいない。僕と彼はポジションも違えば、育った環境も違う。比較することに意味があるとは思えないね」

シンプルな生活と大きな目標

 ルーカスは反論するが、確かにネイマールとルーカスは比較しやすい対象だ。ともに1992年生まれで、セレソンのチームメートでもあり、親友でもある。更に言えば、代理人も同じワグネル・リベイロ。この敏腕代理人のメディア戦略によって、ネイマールとルーカスはともにメディアの注目を一身に集める存在となった。

「わずか3年前、僕はユースチームにいた。誰も僕のことを知らなかった。それが今、僕は欧州でプレーしていて、フットボール界で最高の有名人、デイヴィッド・ベッカムとも一緒にプレーしたんだ。信じられないよ」

 ルーカスとネイマールには共通の目標がある。バロン・ドールを受賞するという野望だ。2010年、ブラジル国内で最も重要なユーストーナメント、コパ・サンパウロで優勝に貢献したルーカスは、表彰式の直後、代理人のリベイロに向かって、「僕はいつか世界ナンバーワンのプレーヤーになる!」と宣言した。その時の気持ちをまだ持ち続けているだろうか?

「もちろん。まずは自分自身を信じることが大事だ。人間はその夢の大きさで未来が決まる、と僕は思っている。僕はまだ20歳で、これから先、長いキャリアが待っている。ベストを尽くして夢を追い求めるつもりだよ」

 インタビューが終わると、我々は彼のポルシェに同乗して、モンマルトルの丘にあるテルトル広場に向かった。今回の取材に使用する写真を撮るのが目的だ。いろいろなシチュエーションで写真を撮りたい、とリクエストしたのは我々ではなく、ルーカス自身だった。

「代理人から言われているんだ。毎回、エッフェル塔をバックにした写真じゃつまらない、もっと考えろって」

 ルーカスはパリで、母親と義父と一緒に生活している。実父のジョルジュと兄チアーゴはブラジルにいる。ただし、彼の財産の管理はすべて父のジョルジュが行っているそうだ。

「僕の収入の大部分は父が管理している。僕の手元に残るのは小遣いの金だけさ。シンプルでいいよ。稼いだ金を10とすると、6は貯金、残りは家族のために使う。僕は常に両親の言うことを聞いている」と彼は言う。

 その生活は地に足がついたものだ。ネイマールのように派手なプレーボーイ的ライフスタイルではない。

 フランス語で女性を口説いたことはあるの? と聞いてみる。「僕のフランス語じゃ、女性に話しかけるなんてまだ無理だね。でも、いつかチャンスがあったらトライしてみるよ」。そう言うと、彼はいたずらっぽく笑った。

ルーカス・モウラがブラジル代表を分析。残り1年でセレソンを救うことはできるのか。続きは、ワールドサッカーキング0718号でチェック!

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