マンチェスターへの道を開いた12歳の決断

2012年6月5日、日本サッカー史に新たな1ページが刻まれた。日本代表の背番号10がイングランド屈指の名門クラブでプレーする--。果敢なドリブル突破も高く評価されたのだろうが、世界屈指の武器の原点は少年時代の一つの選択にあった。
兵庫県神戸市に生まれ、6歳からサッカーを始めた。12歳の時、その後の人生に続く重要な決断を下す。
新天地に選んだのは、宮城県仙台市にあるFCみやぎバルセロナ。Jクラブのアカデミーではないが、ユース年代の大会でも度々上位に進出する強豪だ。特筆すべきはその指導方針だろう。徹底して選手の個性を伸ばす。「パス禁止令」が出るほど個人での突破を重視する指導法に興味を持った12歳の少年は、親元を離れ、単身東北へ旅立った。
故郷から遠く離れた杜の都で約5年、ドリブルに徹底的に磨きをかけた。着実に成長を続け、U-15日本代表にも選出された。そしてある大会を機に人生を切り開くことになる。

5年前、07年6月10日の写真。当時J2でプレーしていた少年は、新シーズンから世界屈指の名門でプレーする [写真]=足立雅史
2005年9月、高校2年の秋に東北代表の一員として仙台カップ国際ユースサッカー大会に出場した。チームは3戦目、U-18日本代表と対戦する。相手の先発は錚々たるメンバー。内田篤人、吉田麻也、槙野智章、安田理大、ハーフナーマイクと、現在の日本代表主力級を揃えていた。それでも東北代表の背番号17は今までに積み上げてきた力を遺憾なく発揮した。得点こそなかったが、得意のドリブルで相手守備陣を切り裂き、精度の高いパスで2アシストを記録。5-2というチームの圧勝劇に大きく貢献する。日本代表の敗戦は関係者に強い印象を与え、同時にその名前を、香川真司という名を深く知らしめた。
この大会でMIPを受賞した香川は、Jのスカウトに確信を抱かせ、翌06年、17歳という若さでセレッソ大阪と契約を結ぶ。それから6年。ブンデスリーガ2連覇を置き土産に、勇躍“夢の劇場”へと向かう。
12歳の時、FCみやぎバルセロナへのサッカー留学を決意したことが、柔らかなトラップ、鋭いドリブル突破といった今のプレースタイルを確立させた。そして研ぎ澄まし続けた武器がマンチェスターへの道を開いた。そう、香川真司というサッカー選手のキャリアは、少年時代の英断が言わば出発点だったのだ。
文=岡本 望(サッカージャーナリスト養成講座)
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