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サッカーを通じた社会の課題解決「野武士ジャパンの挑戦」 蛭間芳樹(ホームレス・ワールドカップ日本代表チーム「野武士ジャパン」コーチ、ダイバーシティ・フットサルカップ2015実行委員)

2015.06.02
蛭間芳樹

「この国の人々が、自分らしく生きられる社会になってほしい」

 2009年からホームレス・ワールドカップ日本代表チーム「野武士ジャパン」のコーチを務めている蛭間芳樹氏は、そのように夢を語った。

 蛭間氏は現在、ホームレスの人たちと一緒にボールを蹴っている。彼らの自立を応援することを目的としたこの事業。ボランティアとして関わり始めて、今年で6年目になる。サッカーをすることがきっかけとなって社会との接点を持ち、就職を決定させるなど次のステップに進んだホームレスの人や、進んだ先の道で何らかの問題に直面した時、サッカーの練習の場を訪ねる人もいるという。

「皆さん、つらくなった時に戻ってきてくれる。選手だけでなくこのチームに関わる多くの人にとっての居場所になっている気がします。私もその一人です。このチームが、性別、年齢、社会的な立場や状況に関係なく集まってこられる、そういう存在になっていることがうれしいですね。大変なのは分かっている。サッカーというコミュニケーションツールを通じて、それぞれが一生懸命になり、それを応援する。素晴らしい。そういうチームだと思います」

 サッカーを通じて“自分らしさ”を取り戻し、新しい道に進んでいったホームレスの人たちについて、蛭間氏は静かに熱く語る。

「これからの日本って、どういう社会になるか分からないわけですよ。その中でホームレスの人たちや若者の貧困といった社会問題に対して、何か先手を打っていけば、社会にとってのマイナスの影響は小さくなるかもしれない。それは税金を使うだとか、国や公共がやらなければならないという話ではなく、我々のような市民がボランティア活動を通じてやっていけば、もしかしたらできるかもしれない。しかも、世の中の問題を、サッカーというツールで解決していく。人とのつながりを見つけて、その輪がだんだん広がり、それがもっと大きな動きになっていく。そんな変化を起こせるチームにしたいですね」

 サッカーとはただ勝利を目指すだけのものではなく、社会的課題解決のツールとしても機能するのだということを、蛭間氏は熱く主張する。

ホームレスサッカーとの出会い

 2009年夏、『ビッグイシュー』の販売サポートを体験した社会人1年目の蛭間氏は、あるホームレスの男性からこのように声を掛けられた。『ビッグイシュー』とは、ホームレス状態の人に仕事を提供し、自立の手助けをする企業である。1991年にイギリスのロンドンで生まれ、日本で同名の雑誌の創刊が開始されたのは2003年9月のことだった。

 蛭間氏は大学院で防災の研究に没頭していたが、卒業後は銀行に就職する。これまで生きてきた世界とは全く異なる環境に戸惑っていたある日の朝、興味深い団体の名前が記されている新聞広告が目に留まる。

「『日本元気塾』ですよ? 胡散臭いですよね(笑)」

 苦笑気味に振り返る蛭間氏だが、当時の彼はどことなく怪しい雰囲気を感じながらも大学院で没頭してきた防災の研究をなんとか社会に生かしたいと考え、入塾を決意する。

『日本元気塾』とは「一人ひとりが元気でなくて、国や社会が元気になるわけがない」をコンセプトに、塾長の米倉誠一郎氏が設立した塾である。

「2週間に1回ぐらいの頻度で六本木ヒルズに行くんですけど、まあ何だかすごい人たちばかりなんですよ(笑)。埼玉の田舎出身の私としては、ある意味、衝撃でしたね」

 塾の同期生の多くは、蛭間氏より一回りも二回りも年齢が離れている方々や、大手企業の役員など、社会的ステイタスの高い人たちで構成されており、驚きを隠すことができなかった。しかし『日本元気塾』に入塾したことが、蛭間氏にとっての大きな転機となる。

「塾のセミナーの中に『ビッグイシュー』という雑誌の販売体験プログラム、販売サポートがあったんですよ。そこからですね、『ビッグイシュー』との接点は。そして販売サポートをさせていただいた方がホームレスサッカーの練習に参加していたことで、今までやっていたサッカーとは異なる世界があることを知ったんです」

 小学生時代にJリーグブームに影響され、ボールを蹴るようになった蛭間氏は、中学時代、高校時代と選抜チームに所属し、またクラブチームのユースでもプレーしながら、プロを目指していた。その過程で、サッカーには夢と挫折があることを思い知ることになる。

「選抜チームの仲間は、みんな上手いですよ。でもね、あるレベルまで行くとテクニックだけではなく、狡賢さや、監督やチームのコンセプトに合うかどうかも求められるんですよね」

 チームの中では同じポジションの選手とレギュラーの座を争い、試合になれば相手チームを打ち負かすために練習の成果を披露する。サッカーとはそのようなものであり、競争の場であると考えていた蛭間氏にとって、ホームレスの人たちが純粋にサッカーを楽しむ姿は新鮮かつ衝撃的だった。これを機に、蛭間氏は高校卒業後から継続していた少年サッカーの指導者を辞め、ホームレスサッカーの指導にのめり込むことになる。

蛭間芳樹

ホームレス・ワールドカップ パリ大会に出場

 2011年、野武士ジャパンはホームレス・ワールドカップに出場する。ホームレス・ワールドカップとは、文字通りホームレスサッカーの世界大会であり、世界中の人々によく知られているFIFAワールドカップと違って予選は行われない。ただ、選手は人生で1回しか参加することができない。大会の目的は選手一人ひとりの「自立」なのだ。

 しかし、野武士ジャパンにとってホームレス・ワールドカップ出場への道は険しいものだった。

「パスポートを申請する時って、まず住民票を取りますよね。でも、ホームレスの人たちには住民票や戸籍がない方もいらっしゃる。そこからのスタートなんです」

 我々にとって当たり前のことが当たり前にできないという、サッカーを超えた苦しみがそこにはあった。また、資金調達のために東奔西走しなければならない苦難も味わった。

「事実として、支援をしてくださる企業は外資系のほうが多いです。日本企業や行政関係者の中には、個人的に関心を持ってくださる方はいらっしゃいます。いらっしゃるものの、やはり……という感じです。韓国などは、行政が全面的にバックアップしているんですよね。日本ではまだまだ苦労が多いです」

 日本人のホームレスの人に対する理解が十分でないのに対し、海外ではそれが進んでいる部分もある。何とかチームを組織し、準備を整えてホームレス・ワールドカップには出場できたものの、そこで再び多くの苦労を味わった。

 いざ試合が始まると、13戦0勝13敗、15得点138失点と、世界との実力差を見せ付けられた。自力での1勝というチーム目標に向かっていったが、無残な現実を見せ付けられた。蛭間氏を始めとするスタッフは、大会に参加したことがホームレスの人たちの自立につながるかどうか、不安で仕方がなかった。勝利だけが目的ではないといえ、このまま終わってしまっては悔いが残る。大会の最中、選手同士が口論を演じることもあった。

 そこで、野武士ジャパンがホームレス・ワールドカップに参加した意味を考え直した。

「我々は、自分自身と戦いに来たのだ」

 その後も勝利を挙げることはできなかったが、選手たちの顔には充実感が溢れていた。

 蛭間氏の今後の目標は、野武士ジャパンの活動に共感してもらえる人たちを少しずつ広めて、誰もが自分らしい生き方ができる社会に変えるきっかけをつくっていくことだ。

「個人的な夢としては、ホームレスサッカーのアジア大会を開催したいですね。そしてアジア大会の次は、日本でホームレス・ワールドカップかな。できれば2020年、東京オリンピック、パラリンピックを開催している真横でホームレス・ワールドカップをやりたいです」

 壮大な夢を語る蛭間氏の目は、ボールを蹴り始めた少年の頃のように輝いていた。

参考文献:『ホームレス・ワールドカップ日本代表の あきらめない力』蛭間芳樹、PHP出版社

インタビュー・文=門脇正展(サッカーキング・アカデミー
写真=渡辺裕子(サッカーキング・アカデミー

●サッカーキング・アカデミー「編集・ライター科」の受講生がインタビューと原稿執筆を担当、「カメラマン科」の受講生が写真を撮影しました。
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