「今年レッズに戻ってきた時に、『お帰り』って温かい言葉を掛けてくれました。皆さんにはすごく感謝しています」
穏やかな笑顔を浮かべながら、ハートフルクラブのコーチになった酒井友之さんはそう答えてくれた。
酒井さんは、名古屋グランパスや浦和レッズなどで主にボランチとして活躍した選手だ。彼が浦和に在籍していた3年半の間に、チームは2006年にJリーグで優勝、05年と06年には天皇杯を連覇。いわば浦和の黄金期を知る人物の一人だ。シドニーオリンピックではレギュラーとして出場し、中田英寿や中村俊輔などと中盤を構成、フル代表での出場経験もある。
そんな酒井さんが、今年8月に現役を引退。それと同時に、浦和レッズのハートフルクラブのコーチに就任した。ハートフルクラブとは、サッカーを通して子供たちの心を育むことを目的に活動する普及グループ。ホームタウンを中心としたサッカースクールのほか、地域の小学校や幼稚園などでサッカー教室を開いている。サッカーを教えるだけではなく、サッカーを通して人間性を育むことを一番の目的としている。
このハートフルクラブは、プロのトップチームで活躍できる選手を輩出することを目標にしているジュニアユースチームなどの育成部門とは一線を画す。ハートフルクラブでは小学校や幼稚園などで授業のような形をとることがあり、その授業にはサッカー経験のある子供だけではなく、今まで全くボールに触ったことのないような子供も一緒に参加する。
「指導者としての経験は全然ない状況でハートフルクラブのコーチを始めたので、先輩の姿を見て勉強しています。実践してみたらまた全然違って、しゃべりながら教えるのはやっぱり難しいですね。でも回を重ねるごとに慣れてきて、子供への声の掛け方も少しずつ覚えています。先輩が声を掛けてくれて教えてくれることもあるので、それをしっかりメモしながら勉強しています」
頭をかきながら照れくさそうに酒井さんが笑みをこぼす。
コーチに就任してから最初の2カ月間は研修期間としてサポート役に徹し、その期間を終えて10月からはスクールのクラスを受け持つようになった。指導する経験が無かったことに加え、子供と話す機会というのもこれまではあまり無く、元々はどちらかというと苦手だったため、最初は難しさを感じたという。だが少しずつコーチという仕事をこなしてきた中で、酒井さんは既にこの仕事の面白みを感じ始めている。
「小学校などでのサッカー教室では浦和レッズのハートフルクラブからコーチが来たということで、子供たちはすごく楽しみにしてくれています。僕もまだ経験は浅いですけど、子供たちの反応がすごくいいですし、それまでサッカーをプレーしたことがない子も元気よくゲームをやってもらえるとすごくうれしいですね。終わった後も『ありがとうございました』、『楽しかったです』って子供たちから言ってもらえるのは、今はすごくうれしいです」
Jリーグからインドネシアへ
酒井さんは07年に浦和レッズからヴィッセル神戸に移籍。しかし、腰のケガから手術に踏み切り、そのケガが原因となり08年に戦力外通告を受けてしまう。リハビリとトレーニングを重ねながら所属クラブを探したが、なかなか新しい行き先を見つけることができないでいた。そんな中、2010年にインドネシアでのプレーを勧められ、ペリタ・ジャヤに移籍。その後、ペルセナ・ワメナ、ペリシラム・ラージャ・アンパット、デルトラス・シドアルジョと、今年引退するまでインドネシアのクラブを渡り歩きながらプレーを続けた。
しかし、インドネシアでは、点を取る外国人FWか、そうでなければそのFWを止めてくれる屈強な外国人DFが必要とされる。加えてインドネシアのサッカーは、日本のようにパスをつないで崩していくスタイルではなく、独力での突破に重きを置く。酒井さんもインドネシアでは助っ人外国人の1人であったが、個に頼るインドネシアのサッカーの中で、主戦場であるボランチでは評価されにくかった。中盤の底で攻撃の芽を摘んだり、攻守の切り替えを担ったりと、日本のボランチに求められるようなプレーは、インドネシアでは決して良い評価を得られるものではなかったのだ。やはり順応には時間がかかってしまったという。
「日本だったら中盤からドリブルで持っていって味方と2対1の状況で、シュートを打ちやすいところに味方がいたらパスを出すのが当たり前だと思います。でも向こうでは、味方がいい状況で待っていてもストライカーは絶対にボールを出さずに自分でシュートを打つんです(笑)。自分がいいタイミングで上がってもボールが出てこないので、ストレスを感じたし、自分で結果を出さないといけないと痛感しましたね」
自分の経験を生かして教えたい
そんな中、酒井さんは生活レベルでのインドネシアの現状を肌で感じた。インドネシアは、日本と比べると決して生活環境の良い場所とはいえない。水道から水が出なくなる、急な停電に見舞われるといったトラブルも実際に経験した。そうした状況下では、もちろんサッカーを取り巻く環境も良いものではない。酒井さんはインドネシアでの経験をハートフルクラブでの指導に生かそうとしている。
「まだコーチを始めたばかりなのでなかなか自分の色というものは出せないです。僕は日本だけじゃなくてインドネシアという過酷なところでもプレーしていて、そこには日本とは違った本当に恵まれない子供たちがいて、スパイクを履かずに裸足でボールを蹴っている子供もいる。そのボールも全然空気が入ってなかったり、剥げていたりしていました。でも、ボールがあればみんなで集まって楽しくサッカーをやっている。そんなインドネシアの現状や、日本の環境が恵まれていることも、機会があれば伝えられればなと思っています」
インドネシアで得た経験はサッカーの技術を教えるためではなく、サッカーを通して子供たちの心を育むための場所であるハートフルクラブにおいて、とても価値のある知識となるだろう。ハートフルクラブでサッカーを教わった子供たちが、将来大きくなってサポーターになり、それだけではなくて一人の大人として立派に成長していく。そのためにはコーチ陣の活躍は欠かせない。
選手としてのキャリアを終えても、今度はコーチという立場に身を置いて、酒井さんはサッカーに情熱を注ぎ続ける。その根底には浦和と、そしてアジアで得た経験があるのだ。
インタビュー・文=坂井亮祐(サッカーキング・アカデミー)
写真=赤石珠央(サッカーキング・アカデミー)
●サッカーキング・アカデミー「編集・ライター科」の受講生がインタビューと原稿執筆を、「カメラマン科」の受講生が撮影を担当しました。
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