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松本の練習参加で抱いた“危機感”…貪欲にゴールを追い求める桐蔭横浜大FW石川大地「結果がすべて」

2016.06.16

「行っても試合に出られない」という思いから強豪、鹿島学園高校の誘いを断り、水戸啓明高校(旧名、水戸短期大学附属高校)に進学。2度の全国大会出場を経て、ストライカーとして一気に名を馳せた石川大地だが、松本山雅FCへの練習参加、日本高校選抜として参加した世界大会で格の違いを痛感させられた。大学1年時に4得点、翌年には6得点と徐々に得点数を伸ばしている桐蔭横浜大学の3年生FWは、ゴールという結果にこだわり続けながら、プロへの道を切り開いていく。

インタビュー=酒井伸 写真=梅月智史(サッカーキング・アカデミー)、鷹羽康博、内藤悠史

地域で一番強い「アントラーズをどう倒すか」を考えてやっていた

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――茨城県神栖市出身ですが、鹿島アントラーズの試合を観に行くことはありましたか?
石川 カシマスタジアムまで自転車で30分くらいのところに住んでいて、物心がついた時から試合を観に行っていました。

――サッカーを始めたきっかけは?
石川 誰に勧められたとかではなく、兄の影響で保育園から始めていました。小学1年で地元の息栖SSSというチームに入りました。

――強かったのですか?
石川 県のベスト8には入っていました。しかし、県大会では、必ずと言っていいほどアントラーズジュニアに負けていて、唯一、小学4年の時に勝ちました。地域で一番強い「アントラーズをどう倒すか」を考えてやっていたので、すごくうれしかったです。

――その後は神栖第二中学校でプレーしました。部活動を選んだ理由は?
石川 クラブチームに入る考えがなく、小学校で一緒にやっていたメンバーが「部活動でやる」と言っていたので、自分も地元の中学でサッカーを続けることを選びました。

――中学3年時に第41回全国中学校サッカー大会に出場していますが、茨城県の中では強かったのですか?
石川 はい。新人戦と全中予選のどちらも優勝しました。

――全中はベスト16でした。憶えていますか?
石川 鮮明に憶えています。2回戦の相手だった島原市立第一中学校が前回大会準優勝と聞いていたので、かなりビビっていました。攻めこむ時間が多かったのですが、0-0で迎えた延長後半にゴールを決められ、負けてしまいました。

――全国大会は初めてだったと思うのですが、全国のチームと対戦して差は感じましたか?
石川 関東大会のレベルが高かったので、そこまで差は感じなかったです。

選手権は最後の大会だから「死ぬ気で挑もう」

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――高校は水戸啓明に進学しました。
石川 小学校の時に教えてもらっていた大平(衛)さんが啓明でコーチをやっていて、誘ってくれたので、行くことに決めました。鹿島学園からもお話をいただいていたのですが、自分の中では強いイメージしかなく、行っても試合に出られないと思っていたので、断りました。

――お話はどういった経緯で?
石川 中学3年の時に1学年上のトレセンに行っていたのですが、そこで教えてもらっていたのが鹿島学園の監督で、その方からお話をいただきました。

――水戸啓明では寮生活でしたか?
石川 はい。1年生の時は、先輩を起こしたり、ご飯をよそったり、お風呂を沸かしたり、掃除をしたりと多くの仕事があって大変でした。

――いつ頃から試合に出場しましたか?
石川 2年生の時からコンスタントに試合に出られるようになりましたが、県大会の1、2回戦で負けていたので、全国大会とは無縁でした。入学当初は体格やスピードの差を感じて、慣れるまで苦戦しました。

――それでも、高校3年で平成25年度全国高等学校総合体育大会サッカー競技(インターハイ)に出場しています。
石川 高校2年の時にトップチームでプレーしていた選手が多く残っていたので、目標を高くして取り組み、全国大会に出ることができました。

――1回戦の那覇西高校戦で2ゴールを決めていますが、憶えていますか?
石川 すごく調子が良かったので、全国大会でも自信はありました。1点目はペナルティーエリア付近からのミドルシュートで、2点目は裏に抜け出してGKとの一対一を冷静に決めました。

――通用した部分は?
石川 高校に入って初めての全国大会だったので、どれくらい通用するか試したい気持ちがいっぱいでした。スピードは通用していたと思いますし、全体的に余裕を持ってプレーできたと思います。持ち味を出せて、結果につながったので、すごく良かったです。

――2回戦は惜しくも市立船橋高校に0-1で敗れました。
石川 初めてあれほど強い相手と対戦しました。1点差の内容ではなく、25本もシュートを打たれて、ほぼハーフコートゲームでした(苦笑)。自分もほとんど守備をしていたので、攻める機会はなかったです。

――第92回全国高等学校サッカー選手権大会も出場していますが、県大会決勝は鹿島学園が相手でした。
石川 啓明と鹿島学園の試合は因縁の対決でした。新人戦では負けてしまいましたが、そこからは「鹿島学園に負けたくない」と火がつきました。選手権は最後の大会だから「死ぬ気で挑もう」と話をしていて、前半にセットプレーから1点取られましたが、自分のアシストで同点に追いつきました。延長戦でも決着がつかず、PK戦の末に勝つことができました。自分は延長前半に足がつって交代したので、ベンチから見ていました(笑)。行くのを断ったチームなので負けて後悔したくなかったです。

――選手権1回戦は高橋壮也(サンフレッチェ広島)選手がいる立正大淞南高校が相手でした。インターハイとは周りの環境や声援が大きく違うと思いますが、いかがでしたか?
石川 観客と記者の数がすごく多くて、緊張よりワクワクした気持ちで、絶対に点を決めようと思っていました。さらに、会場のゼットエーオリプリスタジアムは茨城県に比較的近かったので、知り合いもたくさん来てくれました。初戦で強いチームに勝ち勢いに乗ったことが、その後の躍進につながったと思います。

――決勝ゴールは憶えていますか?
石川 クロスボールをトラップしてシュートしただけなので、チームで奪った1点だと思っています。

――試合内容はいかがでしたか?
石川 コーチから「立正大湘南は強いぞ」と言われていましたが、みんなで「やれるぞ」と意気込んでいました。攻めこまれる時間が多いとは思ってましたが、ボールを持っている時間も多く、自信を持ってプレーできました。

――2回戦の富岡高校戦はPK戦での決着でした。
石川 攻めている時間が多かったのですが、なかなか点を決められなくて、気がつけば80分間が終わっていました。しかし、県大会でPK戦を経験していて、キッカーもそろっていたので、自信はありました。こっちは全員がしっかりと決めて、勝つことができました。

――3回戦で市立船橋と対戦しました。当たると決まった時はいかがでしたか?
石川 組み合わせが決まった時に、「また同じブロックにいるよ」と笑いながら話していました。勝ち進んで対戦すると決まった時は、やっとリベンジができるというワクワクした気持ちがありました。

――結果は1-4で敗れました。
石川 インターハイの時は自分たちが引いてやられましたが、選手権は前からボールを奪いに行き、積極的にプレーしようと決めていました。やれる手応えはあったのですが、完敗でした。

―その中で1点決めていますが、インターハイの時の出来と比べていかがでしたか?
石川 チームに攻める姿勢があったので、自分が点を取れたと思っています。点差はつけられましたが、自分たちの試合をやりきることができたので、悔いはないです。

――大会優秀選手に選ばれています。
石川 思ってもいなかったです。選ばれた時は「何で?」とビックリしました。

――その後は日本高校選抜として第52回デュッセルドルフ国際ユースサッカー大会に出場しました。ヨーロッパ勢相手に差は感じましたか?
石川 誰もが言う、スピードと体格の差を感じました。球際で少しでも気を抜いたら潰されてしまい、日本でやっている時の判断スピードではまったく通用しなかったです。

――大会ではドルトムントユースと対戦しています。
石川 サッカーショップで普段見ているユニフォームだったので、オーラを感じてしまいました。センターバックが190センチを超える選手で全然対抗できませんでした。

――外国人相手に通用した部分はどこですか?
石川 試合前は通用する部分があるのか不安でしたが、ボールコントロールなどのテクニックは通用したと思います。

――高校3年時にプロからお話はなかったのですか?
石川 高校3年の夏に松本の練習に参加させてもらいました。何もできなくて、プロに入っても通用しないと痛感させられました。そこで良い危機感が生まれて、このままではダメだとわかりました。

プレーには全く満足できず、悩むことが多かった

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――桐蔭横浜大に進学を決めた理由は?
石川 八城(修)監督から熱心に誘っていただき、練習の雰囲気も良かったので、桐蔭横浜に決めました。発端は、大学の野球部の監督が元啓明の方で、「啓明にいいやつがいるらしい」という話が八城さんへ伝わり、インターハイを見に来ていたみたいです。

――他の大学は考えていましたか?
石川 流通経済大学の中野雄二監督が水戸短期大学附属高校(現水戸啓明)の監督を務めていたことがあります。そういう関係で流経大とは練習試合をすることもあって、つながりのある大学だったので、少し考えてはいました。

――大学1年時のJR東日本カップ2014 第88回関東大学サッカーリーグ戦 1部開幕戦ではスタメンでした。
石川 相手をかわすことができても、体をぶつけられて飛ばされたり、すぐにボールを取られたりして、開幕戦は何もできませんでした。その後もAチームにいましたが、出たり出なかったり。1年目は4点決めましたが、プレーには全く満足できず、悩むことが多かったです。

――昨年は21試合に出場して6ゴールを挙げています。この数字に関しては?
石川 全然です。もっと取れてもおかしくないし、FWで6点は物足りない数字です。

結果を出せばスカウトが見てくれて、興味を持ってくれる

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――大学に入ってからプロの練習には参加しましたか?
石川 大学2年の時、水戸ホーリーホックの練習試合に参加させてもらいました。

――高校の時と比べて出来はいかがでしたか?
石川 やれるとは思っていたのですが、思うようにプレーできませんでした。

――卒業後に入りたいチームはありますか?
石川 やっぱり地元のアントラーズに入りたいです。

――残り約1年半でアピールしていくところはどこですか?
石川 簡単に言えば結果。結果がすべてで、結果を出せばスカウトが見てくれて、興味を持ってくれると思っているので、そこにこだわってやっていきたいです。

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