W杯では奮闘した谷口 [写真]=Getty Images
「まだまだサッカー選手として成長したい、大きくなりたいという思いが強かった。その自分の気持ちに従った。後悔だけはしたくないので(新たな挑戦を)やり切りたいと思っています」
2022年末の12月25日、川崎フロンターレのサポーター有志による壮行会に参加した際、31歳にして自身初となる海外挑戦への偽らざる胸の内をこう語った谷口彰悟。その彼が新天地カタールのアル・ラーヤンで奮闘している。
初陣となったのは、1月5日のアル・スィーリーヤ戦。30年前の「ドーハの悲劇」の地として知られるアル・アハリスタジアムのピッチに立った背番号「3」は、新戦力とは思えないほど強烈なリーダーシップを発揮。身振り手振りで仲間に指示を与え、CBとして4バックを統率する。自らも長身FW相手に積極果敢に競りに行き、フリーのチャンスを作らせない。武器である攻撃の組み立ても要所要所で披露。FIFAワールドカップカタール2022を想起させる堂々たるパフォーマンスで2-0の勝利に貢献し、デビュー戦を飾った。
そして1月11日にはアル・サッドと対戦。この試合は惜しくも先に2失点してしまい、1-2で敗戦となったが、ここからが本当の闘い。今季は目下、12チーム中11位と下位に低迷するチームの救世主として、谷口には存在感を示してもらうしかないのだ。
彼の挑戦を心から頼もしく感じているのが、大津高校時代の恩師である平岡和徳総監督だ。ご存じの通り、大津は岡山学芸館の優勝で幕を閉じた第101回全国高校サッカー選手権大会で準決勝敗退という悔しい結果に終わったが、谷口という偉大な先輩の活躍はチーム全体にとって大きな刺激になっているという。
「谷口のW杯でのプレーに関しては、たくさんの人が称賛の声を送ってくれました。高校時代から非の打ちどころのない選手でしたが、ああいう大舞台こそ、人間力が試される。彼はスペイン戦、クロアチア戦という重要局面で抜擢されても躊躇することなく、覚悟を決めてピッチに立っていた。だからこそ、あれだけ落ち着いた仕事ができた。『このW杯が自分の新たなサッカー人生のスタートだ』と本人は考えて取り組んでいたんじゃないかと思います」
その思惑通り、谷口は「30歳を過ぎた国内組でも十分やれる」というインパクトを残し、次なる一歩を踏み出す決断を下した。筑波大学から川崎F入りして9年を過ごし、キャプテンとして数々のタイトルを取った男に対しては「なぜ今、リスクを冒して安住の地を出ていくのか」といった疑問も投げかけられただろう。本人も「何てバカなことをしているんだろうかと思う自分もいる」とコメントしている。
それでも彼は変革を選んだ。全ては「高みを追い求めたい」という強い渇望ゆえだろう。平岡総監督は教え子のメンタリティを熟知しているからこそ、初の海外挑戦を全く心配していないという。
「代表で(吉田)麻也や板倉(滉)、冨安(健洋)ら欧州組と一緒に戦って、『自分も海外に行って磨きをかけなければいけない』と痛感したんだと思います。あの大舞台で得たエネルギーがあれば、どの国に行っても問題はない。30歳を過ぎると欧州移籍はなかなか難しいという部分もあり、まずは環境を変えて新たな自分に構築しようとしている谷口には本当にリスペクトしかないですね」
カタール1部は過去に中島翔哉や小林裕希らがプレーしているものの、日本人選手にとっては未開の地と言っていいかもしれない。2020-21シーズンにプレーした小林がかつて「リーグのレベルは正直、あまり高くなかった。カタール人やサウジアラビア人のチームメイトはそこそこでしたけど、アジアからの移民選手もいて、その大半は技術や体格的に日本の高校生くらいのレベルだった」と話していたこともあり、チームや選手個々によっても差があるのかもしれない。そこはレベルが似通っているJリーグとは違う点だろう。
とはいえ、190センチ超のアフリカ出身の長身FWがいたり、南米出身の選手がいたりと、谷口にとっては新鮮な部分があるのも確か。そういった異国の環境を体感しつつ、自分なりに周りに働きかけ、プロフェッショナルのレベルに引き上げていくこともベテランの外国人助っ人に課せられた課題。賢く真面目な谷口ならば、必ずやチームをいい方向に導けるはずだ。
「本人はカタールで活躍して欧州に行きたいと考えていると思いますし、夢が叶うように応援したい。今までは川崎Fや代表などで周りのことを気にしながらプレーしてきたと思いますけど、新天地ではまず自分のことを最優先に考えて取り組んでほしいですね。自らを研ぎ澄ませている谷口の姿を僕も間近で見てみたい。近い将来、カタールに見に行きたいと思っています」
恩師の言葉は遠い中東でフル稼働する谷口の背中を力強く押すに違いない。30代でもまだまだ成長できることを遅咲きのCBには改めて実証してほしいものである。
取材・文=元川悦子
By 元川悦子