2016.07.08

ディエゴ・マラドーナ30の伝説【レジェンドになった明の歴史】

サッカー総合情報サイト

 2016年、元アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナがメキシコ・ワールドカップで伝説的なプレーを見せて、チームを優勝に導いてから30年が経過した。

 そのプレーは多くの人々を魅了し、今なお伝説の選手としてサッカー史に名を遺す。燦然と輝くマラドーナの歴史を30のエピソードで紹介する。

1. 1969年、9歳でアルゼンチンの名門アルヘンティノス・ジュニオルスの入団テストに合格。

2. 1976年10月、15歳でアルヘンティノス・ジュニオルスのトップチームデビューを果たすと、約2週間後には初ゴール。

3. 1977年2月にハンガリー戦でアルゼンチン代表デビュー。16歳と4カ月は当時のサッカー界で史上最年少出場記録。

4. 19歳でA代表初ゴール(18歳、1979年6月のスコットランド戦。

5. 1979年、日本開催FIFAワールドユースで優勝。大会最優秀選手に輝く。

6. 19歳の若さで1979年の南米最優秀選手賞受賞。ここから3年連続で同賞を受賞。

7. 20歳で大ファンであったボカ・ジュニアーズへ移籍。400万ドルの移籍金と約100万ドルのアルヘンティノスの負債をボカが支払った。

8. 1982年のスペイン大会でワールドカップ初出場。10番を背負う。

9. 1982年にバルセロナへ移籍。入団お披露目の際にはカンプ・ノウにクラブ記録となる5万人を集めた。

10. バルセロナへの移籍に際し、当時世界最高金額となる約800万ドルが移籍金として支払われた。

11. 1984年、移籍金の最高金額記録を更新する1100万ドルの移籍金でナポリへ移籍。

12. ナポリの入団会見を派手に開催。7万人の観衆を集め、マラドーナ本人はヘリコプターで登場する演出。

13. メキシコW杯にアルゼンチン代表の主将として出場。獅子奮迅の活躍で優勝に導き、大会MVPに輝く。

14. メキシコW杯イングランド戦でフォークランド紛争の影響で両国間の関係が悪い中、“神の手”“5人抜き”の2得点で母国に歓喜を呼んだ。

15. 中位チームだったナポリを引き上げ、1986-87シーズンにクラブ初のスクデット獲得に貢献。さらにコッパ・イタリアとの国内二冠。

16. W杯やナポリでの活躍でワールドサッカー誌が選出する世界最優秀選手賞をアルゼンチン人として初めて受賞する。

17. 1987-88シーズンにセリエA得点王。アルゼンチン人として初のタイトル。

18. 1988-89シーズンにクラブ初の欧州タイトルであるUEFAカップをもたらす。

19. 1990年W杯で2大会連続決勝へ。決勝戦では敗れるも、流した涙は大会を象徴するシーンに。

20. 1994年W杯南米予選でアルゼンチン代表が苦戦。復帰を願う声が高まり、プレーオフではレギュラー復帰して出場に導く。

21. 1994年W杯初戦のギリシャ戦で1得点。W杯4大会出場で通算8得点。

22. W杯4大会で21試合に出場。歴代出場試合数第4位。

23. 自身37度目の誕生日となる1996年10月30日に現役引退を発表。

24. 1999年にアルゼンチン・スポーツ記者より20世紀最優秀スポーツマンに選出。

25. 2008年、バシーレ監督の辞任を受けてアルゼンチン代表監督に立候補。10月に就任。

26. 2009年に次女が出産し、初孫が誕生。義理の息子はセルヒオ・アグエロ。

27. W杯南米予選を苦戦しながらも4位で突破。本大会ではGS3連勝で首位通過を果たしたが、ベスト8でドイツに敗れる。

28. 2011年にUAEのアル・ワスルFCの監督に就任。年俸は推定13億円超。

29. FIFA20世紀最優秀選手受賞。

30. 引退から20年経過した現在も、発言には全世界中が注目する。

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