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【友人対談】名波浩×土田晃之…魔法の左足を持つ者と芸能界随一のサッカー知識人の“マラドーナ対談”

 サッカー史に残る名選手ディエゴ・マラドーナ。生きる伝説として、現代のサッカー界にも多大なる影響を及ぼしている。

 そのマラドーナが伝説の存在となった大会が1986年に開催されたメキシコでのワールドカップだ。カルロス・ビラルドに率いられたアルゼンチン代表のエースとして参加したマラドーナは準々決勝のイングランド戦で、サッカー史に残るプレーを見せた。

 クロスに飛び出した相手GKに先んじてボールを触りゴールを決めた“神の手”ゴールと、センターライン付近からイングランド守備陣を手玉に取るドリブルでの“5人抜き”からのゴール。この2点で勝利したアルゼンチンは決勝でも西ドイツを下して、同国2度目となるW杯トロフィーを掲げた。

 マラドーナが伝説の選手となったメキシコW杯からちょうど30年。『サッカーキング』ではその偉業を振り返るべく、サッカー界の様々な人物に話を聞き、偉大さを再認識するべく、『マラドーナ特集』を実施する。

 第10回目のインタビューは、フランス・ワールドカップで日本代表としてアルゼンチン代表と対戦し、現在はジュビロ磐田を率いる名波浩さんと、お笑い芸人として活躍し、サッカーへの造詣の深さを持つことでも知られる土田晃之さんによるスペシャル対談。プライベートでも交流が長い二人にマラドーナを語ってもらった。

インタビュー=小松春生
写真=野口岳彦


お二人はかなり昔から親交があるとうかがいましたが、最初の出会いはいつでしょうか?

土田晃之 1998年のフランス・ワールドカップ後ですね。僕がテレビ番組のイベントでお笑いライブを富士急ハイランドでやる機会がありまして。その時に名波くんがペナルティのワッキーにチケットがほしいと相談の連絡をしたことがキッカケです。ワッキーはイベントに関わっていなかったので僕のところに相談がきて、「名波がチケットを欲しいと言っているけど」と。僕は「え!? 代表の!?」とビックリしたんですけど、すぐ取ると返事をして。その時に、「代わりにユニフォームを持ってきてほしい」とワッキーに冗談で返したんです。

名波浩 (笑)。

土田晃之 そうしたら、名波くんが直接僕に話をするという流れになって、緊張するからと断って電話を切ったんです。直後に電話があったからワッキーかと思ったら本人で、「あ、どうもどうも」と。ライブの時にはユニフォームを本当に持ってきてくれました。しかもW杯のユニフォームですよ! あとはジュビロ磐田の当時のユニフォームや練習着も持ってきてくれて、今でも大事にしています。イベントにそれを着て行くこともあります。

名波浩 僕はもともとお笑いがすごく好きで、当時はお笑いのビデオをたくさん買って見ていました。そういう中で、ツッチーやワッキーといった、いろいろな人と出会って、やはりお笑いの人は面白いと実感しました。プロ意識もすごいですし、オフの時は本当にオフ。その温度差はサッカー選手よりも激しいですね。

土田晃之 お笑いの人間は普段、静かで暗い人が多いですね(笑)。

名波浩 その中でツッチーはオンエア中もあまり変わらないよね。

土田晃之 そんなにはっちゃけていないしね(笑)。

名波浩 そこが最高ですよ。出てこいと言ってもなかなか出てこない。ツッチーの印象はあまり温度が変わらない人だなと。あとは、付かず離れずの仲間が多そうですね(笑)。

土田晃之 (笑)。でも、僕たちは家族ぐるみでご飯に行きますよね。

土田さんは名波さんの引退試合にも出場されました。

土田晃之 出場した経緯としては、食事に行った時に名波くんから「引退試合を1年後にしようと思うんだけど、出てほしい」と頼まれて、てっきりハーフタイムに喋るのかと思っていたら、「いや、試合に出てほしい」と。「バカじゃないの?」って(笑)。サッカー部に入ったことがないし、プレー自体やっていないのに、「いいの、そんなのは。出てほしいと思う人にみんな出てほしいから」とお願いされてしまったので。それから引退試合に向けて1年間で体重を25キロ落としました。

名波浩 本当に凄かったです。みるみる痩せていきましたから。

土田晃之 引退試合のメンバーを聞いたら、カズさん(三浦知良)、ゴンさん(中山雅史)、ヒデ(中田英寿)とかそうそうたるメンバーで。そこに出させてもらって試合を壊したくないから、最低限走れるようにと思って、とにかく体重落としましたね。それからずっとキープしています。

名波さんが現在監督をされていることもあり、なかなかお二人のお時間が合わないかと思います。

名波浩 僕が東京に出てくる休みがなかなかないので、電話はたまにしていますけどね。

ここからはディエゴ・マラドーナについてうかがいます。名波さんは憧れの選手として挙げられています。

名波浩 最初の印象は1982年のスペインW杯で、いろいろな国がマラドーナという選手に対して強い意識を持っていました。僕たちは当時10歳くらいで、マラドーナはまだ21〜22歳くらい。見ている側からすると、「この選手、そんなにすごいの?」という感じがすごく強くて。この選手が今後どうなっていくか興味深かったですね。1982年から86年までの4年間は、彼にとって至福の4年間。ケガもあったかもしれませんけど、僕もそれを見ていく中で非常に良い4年間でした。映像をたくさん見られる時代ではなかったので、情報は限られたものしかありませんでしたが。1986年大会のアルゼンチン代表のユニフォームも買いましたしね。

名波さんはマラドーナとはプレースタイルが異なります。

名波浩 タイプ的に僕はパワーもスピードもないので、ドリブルで抜くスタイルは違うと思っていました。でもパスのタイミングや、ちょっとした足先の角度、上半身の揺れ、重心の移動だけでDFをかわしていくことは参考になりました。1986年W杯のイングランド戦での5人抜きもそうですし、準決勝のベルギー戦のドリブルからのゴールもすごかったです。

 マラドーナは左利きで、絶対左足しか使わないとみんながわかっているのに、抜かれてしまう。そんなに大きなフェイントもないですし、ボールの出しどころや置く位置…。当時の全ての人が憧れたと思います。

土田晃之 小学校の時、サッカー界の頂点はマラドーナでした。僕は小学2年生の時に東京から埼玉に引っ越したんですが、学校のみんなはサッカーをしていたんです。『キャプテン翼』をみんな読んでいて、僕ももちろん読みました。そこからサッカーが好きになって、運動神経がないけれど、サッカーをして。サッカー雑誌はとにかくマラドーナだったので、「この人が世界で一番のプレーヤーなんだ」と思っていましたね。

 マラドーナはとにかく1986年。僕は中学2年生で、サッカー部の友達としゃべっている時にはマラドーナの話にもなりました。サッカー部の人たちは『キャプテン翼』の影響でブラジル推し。でも僕はフランスを推していたんです。ミシェル・プラティニ信者だったので、「2年前のヨーロッパ選手権のシャンパンサッカー知らないの?」とオタク知識でサッカー部と話していました。

名波さんは先ほど、「わかっていても止められない左足」とおっしゃいましたが、ご自身も左足でパスを出すと相手がわかっていても、キラーパスを出してしまうという点は共通していると思います。

名波浩 パスは自分の間合いと受け手との関係性なので、そんなに相手を気にしなくてもいい時がたくさんありますが、ドリブルで突破するということは、対峙している相手とのアクション・リアクションのせめぎ合いをしている中で逆をとっていかないといけません。当時のパフォーマンスは間違いなく抜けていた存在でした。

この時代のサッカーは華やかなものでしたか?

土田晃之 華やかでしたね。1980年代はファンタジスタや司令塔が活躍できる時代でした。

名波浩 プラティニやジーコ…。

土田晃之 だから見ていて楽しかったです。「そんなところを見ているんだ」とか、「そこにパスを出すんだ」と驚きがあって。今はスペースがなくなって、選手全員にスピードや身体能力の高さが求められます。当時は11人の中にいろいろなタイプの選手がいたから、個性がすごくあって楽しかったですね。あと、自分たちが多感な時期を過ごしているときに見たので、その衝撃の大きさもあります。中学校の時、友達のコイケくんの家にビデオデッキがあって、1982年のW杯のビデオを見ていました。

名波浩 (笑)。

土田晃之 もう、マラドーナのチェックのされ方はえげつなかったですもん。

名波浩 めちゃくちゃ削られているよね。

土田晃之 ガンガン蹴られているから、(※)ブラジルの選手にも跳び蹴りしたくなるわと(笑)。1986年の時も厳しくチェックされていましたけど、転ばない。なんていうボディバランスをしているんだと。本当にマンガのようだと思っていました。マラドーナを見て、「こんな選手いたらかなわない。日本はW杯に出られない」と感じちゃいました。だから1998年のフランス大会で日本が初出場した時は大興奮でした。しかも、同じ年齢の選手が10番を背負って日本代表として出場するわけですし。

(※)1982年W杯二次リーグ・アルゼンチンvsブラジルでマラドーナは報復行為で相手腹部を蹴り、退場処分になった。

土田さんがおっしゃったように、名波さんはW杯の舞台で1998年にアルゼンチンと対戦されました。

名波浩 スコアこそ0-1でしたが、力の差を痛感しました。アルゼンチンはW杯を2度優勝したことのある国で、アタッカー陣にすごいメンバーがいるというのは系譜としてあって。マラドーナはその中心にいた人物でしたし、その魂のようなものをガブリエル・バティストゥータやディエゴ・シメオネといった、一緒にプレーしていた選手は感じていると思うので。

現在はマラドーナとリオネル・メッシなど現在のトッププレーヤーとの比較論もあります。

土田晃之 でも、過去の人と今の人は比べられるものではないですよね。マラドーナがもし、現在のスペースが少なくてスピードがあるサッカーに入っても、対応したかもしれないし、比べられないです。

現代サッカーは競技としてよりアスリート的な要素が求められるので、過去とは違う競技と考える方もいますね。

名波浩 例えば過去との比較で言えば、現代のサッカーボールの方がすごく飛びますね。だから、マラドーナはもっと点を取ったんじゃないですかね。フリーキックも直接たくさん決めていましたし。

土田晃之 確かにフリーキックもうまい。

名波浩 当時のボールであのフリーキックを蹴れるわけですから。

土田晃之 ナポリに在籍していた時、一緒にプレーしていたジャンフランコ・ゾラが「若手の時にずっとマラドーナの横について蹴り方を見ていた」と言っていましたしね。

名波浩 ナポリの時はすごいですよ。蹴る角度を少しずつ変えていく映像を見たことあるんですけど、ほぼ角に入る。マラドーナはウォーミングアップを見ていても面白くて、ヒールでずっとリフティングをする映像で、センターサークルに置かれたボールを取って簡単にやっちゃう。中学校の時にマネしてみたけど全然できなかったですね(笑)。

メッシとの比較論はいかがでしょう?

名波浩 背が低い、スピードがある、体の軸のバランスがいいという意味では共通点が多いですね。ボールタッチはメッシのほうが細いと思いますが、小さなフェイントを含めての体重移動やパスの質、臭覚、ゲームメイキング能力はマラドーナの方が優れていると思います。ゴール前のシュートはメッシが上という印象です。

マラドーナのようにサッカー史に名を遺す選手が日本からも生まれる可能性はありますか?

土田晃之 可能性がゼロということはないですし、いずれはあると思います。

ただ、南米人のようなメンタリティーが日本の選手に生まれるかには疑問が残る部分かと思います。

土田晃之 そういう意味では無理でしょうね。

名波浩 マラドーナについても、僕たちが思っている以上に野心を持っている、そんな幅を飛び越えて、ものすごい振り幅でいろいろな野心を積み上げていった人だと思います。

土田晃之 今もそうですけど、人として優等生ではないところも魅力的に映ってしまいますね。

マラドーナがここまで世界中で愛される存在である理由は何でしょうか?

名波浩 キャリアもそうですし、キャラクターもそうです。あとは、愛のある叱咤激励が多いですよね。サッカー界やオリンピック、IOC委員、アルゼンチンの政治など、一人のサッカー選手であるのに、発言権がない部分にもズバズバ言って、その発言が取りざたされる。何歳になっても注目されるでしょうし、愛くるしいキャラクターの一部になっていると思います。

土田晃之 確かに、マラドーナは何をやっても許されますもんね。

今の時代はそういった異端者を受け入れる時代ではなくなりました。

名波浩 エアガンを報道陣に向けて撃ったら、大事件ですよ(笑)。

土田晃之 でも、「マラドーナだから面白い」となっちゃうんですよね。引退後にアルゼンチンで『10番の夜』という司会の番組を始めた時も、何をやっているんだろうと思ったら、リーグ戦中なのにジネディーヌ・ジダンをゲストに呼んで。ジダンもマラドーナの番組だから出ちゃう。ペレも出演しましたけど、マラドーナは最初すごく低姿勢で「ペレは神様」とか言っていたのに、途中からはボロクソ言い出しましたもん(笑)。

タレントとしても優秀かもしれませんね。

土田晃之 そうですね。でも、なかなかコントロールするのが難しそう。

名波浩 監督的にも扱いづらいでしょうね。

名波監督のチームに所属していたら、どうしますか?

名波浩 ピッチの中央に君臨させますけど、「守備はこうしてほしい」とか、「攻撃で周囲をこう生かしてほしい」といった要望を聞くかどうかと言えば、聞かないでしょうね(笑)。でも「ディエゴ、お前のチームだから、お前中心でやれ。あとは何も言わないし、望まない」と言えば、しっかり結果を残してくれると思います。当時の監督も、そういうチーム作りをしていたのではないですかね。

土田晃之 確かに「お前が中心のチームだ」とのせれば、ガンガンやるだろうし。

名波浩 どんなに調子が悪くても、交代させたら多分キレるタイプだから(笑)。

土田晃之 1986年も1990年も結局マラドーナ中心のチームでしたよね。86年はホルヘ・ブルチャガやホルヘ・バルダーノがいましたけど、マラドーナを生かすやり方。90年もクラウディオ・カニーヒアなどがいましたけど、全員がマラドーナのために汗をかいているようなチームでした。

では、マラドーナという人物を一言で表すと何でしょうか。

名波浩 僕たち左利きの選手にとって、神でキングですよね。マラドーナのようにプレーしたいと思った人もすごい数がいると思います。アイドル的な存在であると同時に、神がかったものと併せ持った、常人ではやり遂げないことをやってのけた人物。引退してから何十年と経っていても、本人は「サッカー界のために」なんて思っていないかもしれませんけど、貢献してくれていますし。

土田さんから見たマラドーナはいかがですか?

土田晃之 マンガですよ。1986年のW杯ではトロフィーを掲げましたし、イングランド戦では“神の手”と“5人抜き”を同じ試合でやってのけた。さらに当時はフォークランド紛争もあって、イングランド戦直前に整列している時のアルゼンチン代表は相手をにらみつけていましたから。そういう政治的な背景もあって。クラブチームでもそうですし、結果をちゃんと出している人だからこそです。

マンガでも描けないようなストーリーかもしれません。

土田晃之 もう、嘘みたいな話ですから。

名波浩 その後の転落も含めてね(笑)。

土田晃之 82年のW杯は期待され、10番で出場したけど、ブラジルにあれだけガチガチにやられて退場。でも次の86年大会で優勝ですから。さらには90年大会で2大会連続西ドイツとの決勝となって負けてしまう。

名波浩 90年大会はあまり面白くないと言われていますけど、アルゼンチンの勝ち上がり方はドラマチックでした。初戦でカメルーンにまさかの敗戦を喫して、決勝トーナメント一回戦でもブラジルに圧倒的にやられながら、マラドーナの1本のスルーパスからカニーヒアが虎の子の1点を取って。準々決勝のユーゴスラビア戦はPK戦になって、マラドーナ自身は外したけど勝ち上がった。

土田晃之 この大会、正GKのネリー・プンピードは第2戦のソ連戦でケガをしてしまって。でも代わりに出てきたセルヒオ・ゴイコエチェアが大会でPKストッパーとして活躍してしまう。後に、PKが止められなくなってノイローゼになってしまうんですけどね。全体的に面白くなかった大会のイメージですけど、アルゼンチンの勝ち上がり方は面白かったです。

これだけのエピソードが語れる選手というのは、非常に稀有な存在です。

土田晃之 僕らがプライベートなこともいっぱい知っているくらいですからね。カール・ハインツ・ルンメニゲは歴史に残る選手ですが、プライベートのことは何も知らないですから(笑)。エピソードには事欠かないですね。

名波浩 それだけの選手をリアルタイムで見れたことは、とても幸運なことでしたね。

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