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クラブ名の由来は? 吉田加入のサンプドリア、知られざるの“栄光の歴史”

スタジアムに詰めかけたサンプドリアサポーター [写真]=Getty Images

 日本代表DF吉田麻也がプレミアリーグのサウサンプトンからセリエAのサンプドリアに移籍した。12人目の日本人プレーヤーで、クラブでは2003-04シーズンに所属した柳沢敦以来、2人目となった。冬の移籍市場最終日、1月31日の移籍決定。その前日に突然、吉田の名がイタリアのメディアに浮上し、それまで全く名前が出ることはなかったが、移籍交渉は円滑に進み、契約延長が付属するレンタルで加入することが決まった。そのサンプドリアとはどのようなクラブなのか。

 イタリア北部、リグーリア州の港町、ジェノヴァを本拠地とするサンプドリアは、1946年8月12日に創設と多くのイタリアのクラブが100年以上の歴史を誇る中では比較的”新参者”の部類に入る。とりわけ、同じルイージ・フェラリスを本拠地とし、1893年創設でイタリア最古の歴史を持つジェノアとは50年以上の年月の隔たりがある。しかし、サンプドリアは、1946年8月12日に突然、降って湧いたように誕生したわけではない。その秘密は名称に隠されている。イタリアの多くのクラブは、―世界の多くのクラブも同様に―、本拠地を置く町と同名の名を冠しているが、サンプドリアはこの限りではない。サンプドリアは2つのクラブが合併して誕生した。サンピエルダレネーゼとアンドレーア・ドーリアの名を組み合わせた造語であるのだ。前者は、1891年創設で、ジェノヴァのサンピエルダレーナ地区の形容詞の形が名前となった。もともとは機械体操クラブとして誕生し、1899年にサッカークラブが作られている。後者は、1895年に総合スポーツクラブとして生まれ、名家ドーリアの出身で、ルネサンス期のジェノヴァ共和国の軍人の名からつけられたものだ。それゆえ、サンプ、あるいはドーリアという名が愛称ということも納得がゆくだろう。

名物会長の下で築いた黄金時代“サンプ・ドーロ”

スクデットを勝ち取った1990年にサンプドリアで活躍したロベルト・マンチーニ [写真]=Getty Images


 永遠のライバル、ジェノアが9度のスクデットを誇るがその全ては戦前のもの。対して、サンプドリアが、セリエAを制した唯一の優勝は、1990-91シーズンと戦後に獲得したタイトルであり、ユヴェントス、インテル、ミラン、ローマ、ラツィオ以外のクラブでセリエAを制した最後のクラブでもある。この1990-91シーズンを含め、1980年代から90年代が、サンプドリアの黄金時代であり、サポーターたちは、この幸せな時代を、”サンプ・ドーロ(黄金のサンプ)”と称して、尊んだ。なぜなら、サンプドリアが獲得した全てのタイトルがこの20年代に集約されているからだ。1984-85、87-88、88-89、93-94シーズンの4度のコッパ・イタリア、89-99シーズンにはUEFAカップウィナーズカップを制し、その名を欧州に轟かせた。そして、90-91シーズンのセリエA優勝。91年夏にはローマとのスーペルコッパ・イタリアーナも制した。この時代のイタリアはまさに世界最高峰のリーグであった。ミランにはマルコ・ファン・バステンやルート・グーリット、インテルにはロター・マテウスとユルゲン・クリンスマン、そしてユヴェントスにはロベルト・バッジョと、世界の名だたるスターがイタリアに集結していた。その中で、一際輝きを放ったのが、ユーゴスラヴィア人の名将ヴヤディン・ボシュコヴが率いたサンプドリアのジャンルカ・ヴィアッリとロベルト・マンチーニのコンビだった。1964年生まれの2人のコンビは、リーグ最強を誇り、ヴィアッリはこのシーズン、19得点をマークしてセリエAの得点王にも輝いている。今では、マンチーニがイタリア代表の監督を務め、ヴィアッリはイタリア代表チームの団長として盟友マンチーニを影で支えている。

 この輝かしい一つの時代を築いたのが、オイルマネーで財を成したパオロ・マントヴァーニ会長であった。上記の7つの全てのタイトルが、この会長の在位期間に獲得されたもの。それゆえ、最も愛された会長である。だが、93年にクラブ経営が、その息子エンリーコに委ねられてからは次第に競争力を失い、弱体化の一途をたどる。98-99シーズンには、16位に終わり、セリエBへと降格。こうして、夢のような一つの時代に幕が降ろされた。それから4シーズンもセリエBでの戦いを強いられ、再びセリエAに返り咲くのは2003-04シーズンまで待たなければならなかった。奇しくもこの時、宿敵ジェノアもセリエBを戦いの場とし、ジェノヴァの両雄は、セリエBの舞台でダービーを繰り広げることとなったのである。

“天才”カッサーノが見せた一瞬の夢、しかし…

サンプドリア時代のカッサーノは、クラブに黄金時代を再びもたらす存在として期待を集めた [写真]=Getty Images


 2000年代に入り、サンプドリアが再び脚光を浴びることとなる。天才にして悪童のアントニオ・カッサーノと、ストライカーのジャンパオロ・パッツィーニの2人に、人々はマンチーニとヴィアッリのコンビの再来を夢見た。09-10シーズンには、2人の活躍もあって、セリエA4位と大健闘を果たすが、その1年後には、またしても降格の悪夢に見舞われる。セリエBの11-12シーズンは6位に終わりながらも、プレーオフを制してセリエA復帰を果たす。だが、以降は毎年のように残留争いに巻き込まれ、昨季も36歳にして26得点もマークして得点王に輝いたファビオ・クアリアレッラを擁しながらも、一桁の9位でフィニッシュするのがやっとであった。

 今季はさらにチーム状況は悪化。3シーズンを指揮したマルコ・ジャンパオロは昨年夏にミランに引き抜かれ、その後を継いだエウゼビオ・ディ・フランチェスコは、7試合を終えて1勝6敗と散々な成績を残し、解任。現在は、レスターを奇跡のプレミアリーグ優勝に導いたクラウディオ・ラニエリがチームを指揮している。ラニエリが就任してから、チームは若干、建て直されたような感があるが、チームは未だ不安定な状態だ。その大きな要因の一つに、ローマ生まれでローマのサポーターでもあるサンプドリアのマッシモ・フェッレーロ会長が経営する親会社が経営難に陥っており、クラブが身売りに出されていることにある。フェッレーロ会長の要求額は、5500万から6500万ユーロと格安。シーズンが終了するまでには、新たなオーナーが決まっているかもしれないが、チーム自体は兎にも角にも、できる限り順位を上げて、早々に残留を決めなければならない。

文=佐藤徳和/Norikazu Sato

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