移籍に失敗した5名の選手たち [写真]=Getty Images
移籍には危険が潜んでいる。タイミングや移籍先を間違えるとキャリアを台無しにしかねないのだ。
最近、移籍で大きな反感を買った選手と言えば、イングランド代表MFジョーダン・ヘンダーソンだろう。リヴァプールのキャプテンを任されていたMFは、昨夏イングランドを離れてサウジアラビアのアル・イテファクに移籍したのである。だが、それまでLGBTQ団体をサポートする活動をしてきたヘンダーソンが、同性愛を違法とするサウジアラビアに移籍したことで、痛烈な批判を受けることに。イングランド代表の試合に出場した際には大ブーイングを浴びてしまった。そして、わずか半年でサウジアラビアを去って、オランダのアヤックスに加入することになった。
台無しとまではいかないまでも、このように移籍で痛い目を見た選手は他にもいる。サッカー情報サイト『Planet Football』が「軽率な移籍で大失敗した選手」を特集しているので紹介しよう。
■ジョタ
移籍先:アル・イテハド
ヘンダーソン以外にもサウジアラビアへの移籍が大惨事となった選手がいる。それがポルトガル人の24歳、FWのジョタだ。ベンフィカで育ったウインガーは、セルティックでFW古橋亨梧ら多くの日本人選手のチームメイトとして大活躍。昨季、同クラブの国内3冠に貢献し、ステップアップに注目が集まった。そんな彼が移籍先に選んだのはサウジアラビアのアル・イテハドだった。推定移籍金2500万ポンド(当時のレートで約46億円)で中東のクラブに入団し、元フランス代表FWカリム・ベンゼマや同MFエンゴロ・カンテの同僚となったのである。
しかし、これが大失敗だった。サウジ・プロフェッショナルリーグ(SPL)の外国人枠は8名で、ジョタはその8名に入れずにリーグ戦の選手登録から漏れてしまったのだ。AFCチャンピオンズリーグ(ACL)や2023 FIFAクラブワールドカップ サウジアラビアの試合には出場できたが、SPLは最初の5試合に出場したのみで、その後は登録外のため出場できず。以降は絶えず退団の噂が報じられている。
■アントワーヌ・グリーズマン
移籍先:バルセロナ
偉大な選手でも移籍先を間違えることがある。例えば、フランス代表FWアントワーヌ・グリーズマンがそうである。アトレティコ・マドリードで大活躍していたアタッカーには移籍の噂が尽きず、2018年にバルセロナへの移籍が取り沙汰された際には、アトレティコ・マドリードこそ「マイホーム」と主張して2023年夏まで契約を延長した。しかし、わずか1年後に退団を発表し、契約解除金1億2000万ユーロ(当時のレートで約150億円)でバルセロナに移籍したのである。
だが「同じポジションに自分よりも格上の選手がいる“唯一のクラブ”に移籍した」と指摘されたグリーズマンは、アルゼンチン代表FWリオネル・メッシ(現:インテル・マイアミ)の影に隠れることとなった。2シーズンで公式戦通算35ゴールを奪うも、アトレティコ・マドリード時代ほどの存在感は発揮できなかった。そのため、わずか2年でバルセロナを去り、古巣に復帰。そして輝きを取り戻したグリーズマンは、32歳となった今シーズン、ここまで公式戦17ゴールの活躍を見せている。
■アレクシス・サンチェス
移籍先:マンチェスター・ユナイテッド
チリ代表FWアレクシス・サンチェスも移籍で大失敗した経験を持つ。ウディネーゼやバルセロナで結果を残したサンチェスは、2014年夏にアーセナルに加入すると、絶対的エースの地位を確立。2016-17シーズンにはプレミアリーグで24ゴールを叩き出す活躍を見せた。そして2018年1月にマンチェスター・ユナイテッドに移籍するのだが、すぐに自分が犯した過ちに気づくことに。
サンチェスはマンチェスター・ユナイテッドの練習に参加した瞬間、違和感を覚えたという。のちにSNSでこう明かしている。「子供の頃からマンチェスター・ユナイテッドが好きだったので、話が来た時は魅力に感じた。そして、あまり状況を把握せずに移籍してしまった。実際に加入するまで分からないこともあるんだ。最初の練習で色々なことを悟った。帰宅したあと、代理人に伝えたんだ。『契約を破棄してアーセナルに戻れないか?』ってね」
結局、サンチェスはアーセナル時代の輝きを失ってしまった。マンチェスター・ユナイテッドでの1年半の中で、プレミアリーグわずか3ゴールに留まり、インテルへ移籍するのだった。
■マリオ・バロテッリ
移籍先:リヴァプール
元イタリア代表FWマリオ・バロテッリも移籍を悔やんだことがある。若くしてインテルで台頭したバロテッリは、2010年夏のマンチェスター・シティ移籍後も注目を集めた。奇妙なゴールパフォーマンスなどで賛否を呼び、最終的にはクラブと喧嘩別れしてイタリアに戻ることに。そして2014年夏、再びイングランドに渡ったのだが、それが間違いだった。バルセロナへと移籍したウルグアイ代表FWルイス・スアレスの後釜として、ミランからリヴァプールに加入したバロテッリだが、クラブに馴染むことはできなかった。
「リヴァプールに移籍したのが人生最大のミス」とバロテッリはのちに明かしている。チームはシーズン途中にブレンダン・ロジャーズ政権からユルゲン・クロップ政権へと変わったが、バロテッリはどちらの監督とも上手くいかなかった。「ファンとチームメイトは良かったが、クラブのことは好きじゃなかった。監督はどちらも人間的に反りが合わなかった」
結局、バロテッリはリヴァプールではプレミアリーグ通算16試合出場1ゴールという成績に終わり、わずか1年でミランに戻ったのである。
■アンディ・キャロル
移籍先:リヴァプール
2011年1月、リヴァプールは重大な決断を迫られた。クラブの絶対的エースだった元スペイン代表FWフェルナンド・トーレスが移籍を志願したのである。そして迎えた移籍期限の最終日、トーレスは当時の英国の記録を塗り替える5000万ポンド(約66億円)と見られる移籍金でチェルシーに移籍することになった。エースを失ったリヴァプールは後釜として、ニューカッスルでイングランド代表デビューを飾ったばかりの22歳、FWアンディ・キャロルを連れてきたのである。
だが、3500万ポンド(当時のレートで約46億円)で獲得したストライカーは、『アンフィールド』で苦しむのだった。移籍直後、キャロルは「僕は移籍したくなかった」と明かしたが、リヴァプールへ来ることになった経緯を次のような言葉で説明していた。
「ニューカッスルの役員に移籍を志願するように勧められたので、他に選択肢がなかった。クラブはお金が欲しかったのさ。僕は必死に頑張ってきたのに、地元のクラブに捨てられたんだ」
望まない移籍を強いられたキャロルは、リヴァプールでトーレスの穴を埋めることはできず、同クラブではプレミアリーグ44試合の出場でわずか6ゴール。結果を残せないまま、1年半後にチームを後にし、今ではリヴァプールの「歴代ワースト補強」の1人に挙げられてしまっている・
このように、いくら素晴らしい実力を持っていても、移籍先を間違えれば不遇の時間を過ごすことがある。果たして今冬はどんな選手が新たな挑戦に乗り出すだろうか。冬の移籍市場に注目したい。
(記事/Footmedia)
By Footmedia