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センターバック進化論【雑誌SKアーカイブ】

2020.03.19

高さ、強さ、スピード、技術を高いレベルで兼ね備えた万能型CBのファン・ダイク [写真]=Getty Images

[サッカーキング No.002(2019年5月号)掲載]

進化とは進歩ではない。変化であり適応である。ヒトが尾を失ったことを退化と言うが、これも進化の一種だ。つまり、ここに名を挙げる者たちの間に、優劣はない。等しく時代の要請に応え、独自の進化を遂げたのだから。

文=西部謙司
写真=ゲッティ イメージズ

オフサイドルール変更がセンターバックを生んだ

ハッペル

現役時代、ラピド・ウィーンでリーグ優勝を6度経験したハッペル。指導者としても、2度のチャンピ オンズカップ制覇、オーストリア、オランダ、ベルギー、ドイツ各国のリーグ優勝を経験している [写真]=Getty Images

 現代のセンターバックには、ありとあらゆる資質が求められている。高さやパワーは必須だが、そこにスピードが加わり、後方からゲームを作る能力も要求されている。つまり、長身で力強く速いフィジカル・エリートで、ボール扱いが巧みで長短のパスを正確につなぎ、戦況を読むインテリジェンスも備えているプレーヤーということになる。

 このスーパーマンのようなセンターバックの祖型はルイス・モンティだろう。アルゼンチン代表として出場した1930年の第1回ワールドカップは準優勝。4年後の第2回W杯はイタリア代表として優勝している。モンティのポジションは2バックシステムのセンターハーフなので今日のディフェンシブハーフに近いが、守備では相手のセンターフォワードをマークし、攻撃では深いところからゲームを作るプレーメーカーだった。

 1925年に現行のオフサイドルールに変わるまでは2バックが主流で、ルール改定後にセンターハーフを下げた3バックが普及している。そのため、英国では3バックのセンターバックを「センターハーフ」と以前のポジション名で呼ぶ習慣があった。余談だが、のちにオランダが4バックから3バックに変化したときには、アンカーの選手をセンターバックと呼んでいる。オランダ人のハンス・オフト(元日本代表監督)はジョゼップ・グアルディオラをセンターバックと呼んでいた。

 2バック時代には存在しなかったセンターバックは、新しいポジションだった。 モンティがプレーしたイタリアのシステム(2バックだった)では、センターハーフの役割を残しながらセンターバック的な任務が追加されていた。次第に相手のセンターフォワードをマークするだけの役割にシフトしていくのだが、その出自からするとセンターバックはもともと万能型のポジションだったとも言える。

 1950年代には攻撃的センターバック(センターハーフ)として名を馳せたオーストリア人のエルンスト・ハッペル(むしろ監督としてのほうが有名かもしれない)、1960年代はレアル・マドリードの黄金期を支えたホセ・サンタマリア(ウルグアイ)がいる。1966年のW杯で初優勝したボビー・ムーア(イングランド)は現代風のセンターバックだった。そして1970年代にはセンターバックの性格を大きく変えた「リベロ」が登場する。

 リベロ発生の時期は3バックの出現とそれほど変わらない。3バックからではなく2バックからの移行なのだ。2バックシステムの両サイドハーフが守備時に後退し、2人のDFのうち1人がカバーリング専門職となる可変式だった。「ヴェルー」(かんぬき)と呼ばれた新ポジションの発明者は、オーストリア人のカール・ラパン。ラパンはのちにスイス代表監督としてヴェルー・システムを取り入れ、これが1950~1960年代にイタリアで「カテ ナチオ」として定着していった。イタリア語の自由人(リベロ)は当初カバーリングが主な役割だったのだが、次第に“本物の自由人”が現れる。ヴェリボル・ヴァソヴィッチやウィリー・シュルツという先駆はあったが、決定的なのはフランツ・ベッケンバウアーだ。

世界中に影響を与えたベッケンバウアーの出現

ベッケンバウアー

「攻撃するリベロ」という新しい概念を作ったベッケンバウアー [写真]=Getty Images

 西ドイツ代表でシュルツの後継者となったベッケンバウアーは、「攻撃するリベロ」という新しい概念を作った。マンマークのカバーが任務だったリベロは、それだけに攻撃時にはマークされにくい。後方でフリーマンとしてボールの預けどころになれた。もともとMFだったベッケンバウアーは、後方でのビルドアップから中盤へ進出してプレーメーカーとして振る舞い、さらに敵陣へ入ってラストパスやフィニッシュまでこなすオールラウンドなプレーを見せつける。その大成功を目の当たりにして、攻撃的MFのリベロへの転向は一つの流行になっていった。

 スペインでは、レアル・マドリードで10番をつけ、フェレンツ・プスカシュの後継者と目されていたピリがリベロへ転向している。実は日本もこの影響を受けていて、日本リーグで釜本邦茂を制して得点王を取った落合弘が、二宮寛監督(三菱)のもとでリベロに転向している。数試合ながら釜本までもがリベロでプレーしたこともあるぐらいで、フリーマンのゲームメークは戦術上の柱だった。本来はプレーメーカーである森孝慈(三菱)、前田秀樹(古河)などがリベロでプレーし、風間八宏もサンフレッチェ広島で一時期3バックのセンターをやっている。

 守備システムはやがて「マンツーマン&リベロ」から、ゾーンの4バックへ移行していくのだが、ドイツには2000年代初めまでリベロ・システムが根強く残った。ドイツ人のバロンドール受賞者はベッケンバウアー(2回)のほか、センターフォワードのゲルト・ミュラー、カール・ハインツ・ルンメニゲ、ローター・マテウス、マティアス・ザマーだが、ザマーもリベロだった。マテウスは受賞時こそMFだったが、すぐにリベロに転向している。DFの受賞すらめずらしいのに、リベロが2人ないし3人いるというのは、ドイツにおけるリベロの重要性を物語っている。

 そしてリベロの登場は、ストッパーの出現でもあった。

 ストッパーはマンマークのスペシャリストだ。リベロというカバーリング専門職の登場は、センターバックの相棒がマーク専門となることを意味していた。マークとカバーの両立から、より専門性の高いポジションに分化したと言える。センターフォワードとのバトルを制するのがストッパー最大の任務。空中戦に強く、パワーのある人材が重視されていく。

 イタリアの“殺し屋”としてディエゴ・マラドーナやジーコをマークしたクラウディオ・ジェンティーレ、西ドイツのカールハインツ・フェルスターやユルゲン・コーラーなどが活躍した。ゾーンの4バックへ移行してからも、2人のセンターバックのうち1人はリベロ的、もう1人がストッパー的な選手という組み合わせだった。1998年のW杯で優勝したフランス代表なら、リベロ型がローラン・ブラン、ストッパー型がマルセル・デサイーといった具合である。ゾーン流行の決定打とも言えるミランは、アレッサンドロ・コスタクルタがストッパー型、フランコ・バレージがリベロ型だった。

 もともと「4バック&ゾーン」のブラジルでも、ポジション的には左右に振り分けているだけだが、やはりカバーリング系とバトル系の組み合わせが主流だった。ただ、ゾーンディフェンスの性質上、2人のセンターバックはマークとカバーの両方を担当しなければならない。次第にリベロ型とストッパー型が統合され、この2つの資質を併せ持つセンターバック2人が並ぶようになっていく。ゾーンの普及とともに専門職の時代が終わり、 かつての万能型へ近づいたと言える。

時代を問わず求められるセンターバックの能力

長谷部 ファン・ダイク

プレースタイルや進化の方向に違いはあれど、名リベロの系譜を継ぐ長谷部と“完全無欠のCB”ファン・ダイクは、ともに現代の万能型として高い評価を得ている [写真]=Getty Images

 フットボールでは、得点の8割ぐらいがペナルティエリアの中、ゴールエリアの幅で記録されている。およそどの大会でも同じ傾向なので、守備側にとってはこのエリアが最重要守備エリアになる。この真正面のエリアをドリブルやスルーパスで割られない、一対一の強さやシュートブロックの技術が求められる。サイドからのクロスに対する守備力はさらに重要だ。センターバックに高さ、強さが常に求められてきた理由である。

 1920年代のイングランド代表は圧倒的に強かった。2ケタ近い得点で勝つこともめずらしくなく、その後も長く強豪として君臨するのだが、1950年代あたりから急速に力を失っていく。母国の地位低下にはいくつかの要因があるとはいえ、対戦国のGKとセンターバックが空中戦を強化したことは大きい。ヨーロッパ大陸のプレースタイルは「GKまで抜かないとシュートしない」と英国人から揶揄されていたぐらいで、ハイクロスをヘディングでたたき込む英国風の攻撃に慣れていなかった。しかし、GKとセンターバックによる空中戦対策ができてからはイングランドの優位性が削り取られた。

 かつてのイングランド風ではないが、現代でもハイクロスが攻撃方法の一つであることに変わりはない。センターバックには高さと強さが求められる。体格は絶対ではないが、かなり重要な資質ではある。セルヒオ・ラモス、マッツ・フンメルス、ヴァンサン・コンパニなどは、空中戦迎撃能力を含む自陣ゴール前の守備力が高いセンターバックの代表だ。一方でビルドアップの中心としての攻撃力も問われていて、フランクフルトでの長谷部誠は“ベッケンバウアー型のリベロ”という現代ではめずらしいタイプとして活躍している。もう少し前方でのプレーを増やせば、ベッケンバウアー、ザマー、マテウスの系譜に連なるかもしれない。

 総合力ではフィルジル・ファン・ダイクが素晴らしい。高さ、うまさ、強さだけでなく、速さも魅力だ。高さとパワーがあるセンターバックはスピードに欠けるきらいがあるが、リヴァプールのようにラインの高いチームでは、相手のスピードスターに負けない速さも求められる。その点でファン・ダイクはバランスのいい万能型のセンターバックと言える。

 ちなみに筆者が見た中でセンターバックの完成形といえるのがフランク・ライカールトだった。1988年のユーロではリベロのロナルド・クーマンと組んでオランダ代表を優勝に導いている。クーマンはロングパスの名手で、空中戦や一対一に強かったが鈍足で有名だった。ただ、ライカールトはカバーする必要のない選手で、クーマンの前方にいるにもかかわらずスペースをカバーできるスピードがあった。パワー、スピード、高さ、テクニック、ビジョンのすべてに秀でたオールラウンダー。ライカールトを超えるセンターバックは現れていないと思うが、そのライカールト自身がセンターバックを本職としていないというところに、このポジションのおもしろさがある。

※この記事はサッカーキング No.002(2019年5月号)に掲載された記事を再編集したものです。

By サッカーキング編集部

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