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横浜FMの飯倉がゴール裏で最後の挨拶「皆さんが大好きです」

試合前のウォーミングアップ中、ファンの声援に応える飯倉大樹 [写真]=J.LEAGUE

 GALAXY ENTERTAINMENT EUROJAPAN CUP 2019 が27日に日産スタジアムで行われ、横浜F・マリノスは1-3でマンチェスター・シティに敗れた。すでにヴィッセル神戸への完全移籍が発表され、この試合を最後にチームを去る飯倉大樹は75分にピッチに立ち、アディショナルタイムを含む約20分間、慣れ親しんだスタジアムを噛み締めた。試合後、ゴール裏に移動し、ファン・サポーターの前で挨拶を行った。

 ヴィッセル神戸に移籍することになりました飯倉大樹です。

 この場に来てどんな言葉が出るか試してみようと思って何も考えずに来ました。メディアでたくさん僕のコメントを取り上げていただいて、同じことを何度も皆さんに伝えても意味がなくてつまらないと思うので、違う形で話したいと思います。

 2005年横浜F・マリノスでプロとして契約していただいて、サッカー選手をスタートして、それを知っているのはもう(栗原)勇蔵くんしかいません。自分がここまでマリノスのユニフォームを着てプレーできると思っていませんでした。

 2006年に熊本に武者修行という名の片道切符をクラブから言い渡されて、どうしてもマリノスに残りたかった僕は故・奥大介さんに懇願してチームに2年契約をいただいて熊本に行きました。その時から奥大介さんもそうですが、将来性の見えない僕に2年契約をしてくれたマリノスに対して絶対に恩返しをしようと思って熊本で一生懸命にやり始めたのが、僕のプロ生活のスタートだったと思います。

 2007年に念願叶ってマリノスに帰ってこられたのですが、その時の僕は、今練習のビデオがあるとしたらとてつもなくへたくそでユースよりもへたくそだったんじゃないかと技術的にも人間的にもダメでした。シゲ(松永成立)さんという素晴らしいGKコーチに、今でも吐き気がするほどハードなトレーニングをしていだだきました。

 2013年ぐらいに自分の実力で試合に出始め、そこからのサッカー人生も本当にチャレンジの毎日でした。試合に出ても毎試合シゲさんと反省をして吐くほど練習し、ずっとずっとそんなふうにテツ(榎本哲也)くんとライバル争いをして、ずっとマリノスに居続け……。

 26歳の時に病気になり、2か月間入院しました。サッカーもできないなと思ったけど、千羽鶴や皆さんの温かい言葉でチームメート、スタッフ、チームに救われて、試合に戻ることができました。

 その前に一つだけ、皆さんの前でお詫びしておきたい。2013年にチームが調子良くて、天皇杯で優勝しました。でも、自分がうまくいかなかったので、チームの優勝をすごく妬み、優勝してもふてくされていたことを謝ります。

 そのあと、もちろんシゲさんとも喧嘩をし、このままじゃ本当に人間としてダメなんだと思い、改心し、ハードなトレーニングをしていく中で本当にチームを応援してサポートしていく中で、自分に戻ってくることが分かりました。そして出たり、出なかったりを繰り返して、ここ2年ぐらいはライバルの哲くんも去り、新しいライバルが加入し、切磋琢磨し今に至ります。

 マリノスには、良くも悪くも……じゃなく、良く、自分の人生がつまっていると思います。こうやって一人では移籍を決断できなかったけど、本当に仲間たちが背中を教えてくれて決断することができました。本当は引退するまでこのユニフォームを着て、ピッチでみんなと戦いたかった。それが本音です。リリースがされた今でも、戻れるというか、もし一週間前に戻ったらマリノスに残る決断をしていたかもしれません。当たり前のようにマリノスがあって、当たり前のように皆さんが応援してくれた。移籍を決断して、皆さんと温かさを築けただけで移籍を決断して良かったと思っています。

 もう泣くのはちょっと嫌なんで……。

 最後にマリノスが大好きで、皆さんが大好きです。そしてチームメートが本当に大好きです。今年、本当にマリノスには優勝してもらいたいです。神戸とマリノスの試合は終わりました。マリノスの優勝のために、神戸の勝利のために、残りのリーグ戦、神戸では川崎フロンターレ、FC東京、鹿島アントラーズの全部を叩き潰して、マリノスも頑張ってみんなで優勝しましょう! でも、今年だけです(笑)。小学校からいるから、もう何年いるか分からないけど、皆さんが大好きで、感謝しかありません。皆さん今まで本当にありがとうございました!

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