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【ライターコラムfrom甲府】「一つ上のレベル」へ引き上げるために…新監督・上野展裕とは

2018.05.05

甲府の新指揮官に就任した上野監督 ©J.LEAGUE

 ヴァンフォーレ甲府の上野展裕新監督がどういう指導者かについて、濃い内容を皆さんに伝えたい。まず彼が甲府の前に関わった2チームから話を進めさせてほしい。

 2012年夏。日本クラブユース選手権U-18を取材した筆者は、アルビレックス新潟U-18の戦いに目を止めた。大会のダークホース的な立ち位置にいた彼らは、明らかに鍛えられている好チームだった。もちろん「アポなし」だったが、上野監督に10分ほどのインタビューができた。


 2003年5月のナイキプレミアカップや、その後の京都サンガ時代にも、上野監督が指揮するチームを見ていた。ただし個人的には2012年夏が監督との初対面で、そのとき彼は新潟ユースの取り組みを分かりやすく説明してくれた。全寮制、通信制、食事といったサッカー漬けの環境が整っていることを語り、朝練や二部練習も含めて「練習量は日本一だと思っている」とも口にしていた。

 前線、最終ラインだけでなく中盤にも180センチ級の大型選手が複数いて、全員がハードワークをする――。当時の新潟ユースは往年の国見高校を思い出すタフなチームだった。クラブユース選手権はラウンド16で柏レイソルU-18に0-1と惜敗したが、同大会の柏は中村航輔こそ負傷で欠場していたが、中谷進之介、秋野央樹(現湘南ベルマーレ)といった人材がいたタレント軍団。監督も現在トップチームの指揮を執る下平隆宏氏で、その柏はそのまま大会を制している。

2012年には新潟でトップチームのヘッドコーチも暫定で務めた(写真右) ©J.LEAGUE

 新潟ユースは同年秋のJユースカップもラウンド16に進んだが、11月23日の準々決勝はDF川口尚紀がトップ帯同、MF井上丈が海外クラブのトライアウト参加で主力2名が不在だった。

 チームはコンサドーレ札幌U-18を相手に互角以上の戦いを見せる。終了間際の失点で惜敗したが、チャンスの数は新潟が上回る展開だった。当時の札幌は四方田修平監督が指揮を執り、トップ昇格の決まった選手が5名もピッチに立っていた。タレント性に差がある中で、それに伍する戦いをした新潟を見て心の底から素晴らしいと思った。

 上野監督も満足感を見せつつ、こんなコメントを残している。「みんな良くやっているし、みんな伸びました。関東の色んな強豪チームとも、対等に戦えるようになっている。個人としてもチームとしても、伸びたと思っている」

 2014年11月、筆者は上野監督と岡山で再会する。同年にはJ3が発足し、JFLから13チームがJ3に横滑りをしていた。抜けたチームを埋めるべく、地域リーグの強豪がいくつか決勝大会を通過せず、推薦でJFL入会を許された。その一つがレノファ山口で、上野氏はJFL初年度の山口で指揮を執っていた。

 11月4日のファジアーノ岡山ネクスト戦は、山口にとって「勝てばJ3昇格」という試合だった。彼らはこの一番を落とし、引き分けで昇格決定を逃す。昇格を現場で見たかった私にとって結果は期待外れだったが、そで山口が見せているサッカーの質に驚かされた。

 コンパクトな形で前からボールを奪いに行く積極性は、新潟ユースと変わらなかった。加えて山口はボールを奪ってからの展開が早く細かく、3人目4人目の動きを連動させようといた。高卒1年目でレギュラーだった小池龍太を筆頭に、若くて鍛えがいのありそうな人材もいた。最終的に14年の山口は年間総合4位というギリギリでJ3昇格を決めたが、「このチームは強くなるぞ」と確信したことを覚えている。

2015年、山口時代の上野監督 ©J.LEAGUE

 2015年のJ3で山口は開幕から首位を独走する。「強くなる」「やれる」という予想は当たったが、それでもまだ過小評価だった。スタイルは14年のままだが、連携が緻密になり「取り切る」「勝ち切る」チームになっていた。

 当時のJ3を取材して、私は年間予算4億円程度が優勝争いの条件と見ていた。15年の山口は予算が1億円台で、上野監督以外に常勤のコーチはおらず、「アマチュア契約」「仕事をしながら」という選手も多かった。ライター、ファンの順位予想も下位グループが大半で、山口を高く評価していた自分さえ確か5位予想だった。

 しかし山口は開幕5連勝の快進撃を見せると、首位のままシーズンを終えた。奇跡、驚異といった表現が大げさでない結果を出した。翌16年のJ2も12位に入った。上野監督は4季目の17年に解任されることになったが、彼はチームの礎を作った指導者として、今もレノファサポーターに愛されている。

 5月3日の山梨中銀スタジアムで、上野監督は山口サポーターと再会した。ゴール裏の山口サポーターは上野監督に対するメッセージを横断幕で掲出し、試合後には温かいやり取りもあったと聞く。

初陣の山口戦後、古巣のサポーターの下へ挨拶に行った上野監督 ©J.LEAGUE

 上野監督は敵将として山口に対峙していた。それは4月30日付で、彼が甲府の監督に就任していたからだ。甲府は4月28日のジェフユナイテッド千葉戦後に吉田達磨監督の契約を解除していた。J1昇格というミッションに向け、チームを立て直すために呼ばれたのが上野監督だ。

 甲府の佐久間悟GMは、上野監督の起用理由をこう述べていた。

「上野監督にオーダーしていることは、ゴールに直結する速さ、ショートコンビネーションなど、少ないタッチ数で、中央を破ってゴールに行けるようなバリエーションも増やして頂きたいということ。かつての大木(武)監督に近いような、連続して接近して展開していく(スタイル)。コンパクトな中でも攻撃の厚さがあり、選手たちが共通理解を持っている――。それは恐らく距離感が生み出すものなのかなと思っていますが、それはぜひお願いはしたい」

「少ないタッチ」「連続・接近・展開」「共通理解」「連携」「距離感」といったキーワードでイメージは湧くだろう。それはまさに上野監督が山口で実現していたスタイルだ。

 甲府は守備一辺倒のスタイルから脱却しようともがき、吉田前監督もそこに取り組んでいた。目先をしのぐことに追われたJ1の5年間と同じアプローチでは、何も積み上がらない。クラブはアカデミーの充実、総合球技場の建設といった息の長い取り組みも含めた、中長期的なプランを持っている。上野監督を呼んだのも「次の試合で勝つため」だけではない、もっと息の長い強化を志向しているからだろう。

 もちろん2015年、16年の山口が見せていたサッカーを数日、数週間で完成させることはできない。ただ山口戦の甲府は攻守のアグレッシブさ、コンパクトな組織といった点に違いを見せていた。

 DF湯澤聖人は試合運びの狙いをこう振り返る。

「守備のときにいつもより1ライン上げて、プレッシャーも一つ高いところから行くことは2日間ですけれど多少練習した。(DFと前線の)距離が少し縮まったので、前に行く、後ろから追い越していける状況は比較的作れた」

山口戦でプレーする湯澤(左) ©J.LEAGUE

 中4日、中2日と連戦が続くゴールデンウィーク期間にそういう負荷の高いサッカーをすることにリスクもあるだろう。実際に甲府はカウンターからピンチを招いたし、終盤に同点弾も喫した。「セットプレーの守備」「後半の試合運び」という課題も一向に消える様子が無い。

 ただし後ろ向きの課題に取り組むだけにとどまったら、チームは前に進まない。甲府はベースを築く、強みを引き上げる「前向きなチャレンジ」にも時間を割かねばならない。上野監督の真価は失敗を恐れず選手にやらせる、高いハードルに敢えて挑戦させるところで、そこは今の甲府とマッチするだろう。

 新監督就任はシーズン途中の中途半端な時期で、山口時代のようにじっくりとチームを作る余裕はない。5バック、堅守という現在地から出発する以上、厚みがある攻め、中央を破る細かいパスワークの構築は容易でない。しかし新潟ユース時代の「ストロングスタイル」も上野監督の引き出しの一つだし、山口のコピーを作ることは不要だ。今回はまず選手やコーチ陣との対話から、最適解を探っていくのだろう。

 上野監督は柔和な、物腰の低い人物だが、そのサッカーを見れば過激派の部分も透けて見える。選手に妥協なく高い要求を与えて、攻撃も守備も「失敗を恐れずチャレンジさせる」ことが徹底している。だからこそ新潟と山口では、選手から実力以上のものを引き出すことに成功した。彼は甲府でも仏のようなスマイルで選手を鬼のように鍛え、チームを「一つ上のレベル」へと引き上げてくれることだろう。

文=大島和人

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