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【サッカーに生きる人たち】「日本一の寮」で選手たちの“食”を支える|村野明子(ヴィッセル神戸育成センター三木谷ハウス 寮母)

「2人目のお母さんですね」

 ヴィッセル神戸のユースチームでプレーする少年に尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「あっこさんはめったに怒らないけど、怒った時は怖いっす」とその少年は続けたが、どこかうれしそうな表情を浮かべている。

「2人目のお母さん」と慕われる“あっこさん”こと村野明子(むらの・あきこ)さんは、2009年からヴィッセル神戸育成センター三木谷ハウスの寮母として選手たちを支えている。ユースやトップチームの選手たちに料理をつくり、依頼があれば育ち盛りのお子さんを持つお母さんへ向けた講習を行っている。小川慶治朗、藤谷壮、中坂勇哉もこの寮で村野さんの料理を食べて体をつくり、トップチーム昇格の夢をかなえた。

 寮生活において村野さんが担当するのはあくまで食事のみ。ユースの選手たちがくじ引きで、食堂やお風呂、トイレの掃除などを分担しているので、料理以外は基本的にほとんどノータッチだ。子どもたちの自主性に任せている。

 選手と顔を合わせるたびに「お腹すいてない?」と声をかける。村野さんは家族と接するような感覚を大切にしていると話す。

「みんなが家族みたいな関係であってほしいと思っています。スタッフにとっては働いて楽しい職場にしたいですね。ほとんどの選手が来年もいるという保証がないなか、ユースの子たちはどうすれば楽しく3年間過ごして卒業できるか、トップの選手たちはどうすれば一年でも長く選手でいられるのか。みんながここを通過点にして『あそこは良かったよね』と思い出してほしいんです。わたしは、常に“日本一の寮”だという意識を持って仕事に取り組んでいます」

「札幌はわたしの人生の分岐点」

 もともとは“食”とは全くかかわりのない会社に勤務していた村野さん。長男の出産を機に育児に専念するため専業主婦となる。その後、夫の晋さんの仕事の関係で関東から札幌へと引っ越すことが決まった。そしてコンサドーレ札幌のGMを務めた晋さんの勧めで、クラブの独身寮「しまふく寮」で寮母を務めることになった。

 専業主婦からの転身は、自身の世界を広げたと振り返る。

「札幌に行ったのがわたしの人生の分岐点だったなと思います。専業主婦のままだったら知り合いも少ないし、人との出会いもあまりない。わたしの携帯のアドレスの件数はすごく少なかったと思う。あまりに無謀なスタートで、最初はとまどいしかなかったですね。でも、札幌に行って寮母の仕事を始めていなかったら、今の自分はいないと思います」

 15年前にこの仕事を始めた。札幌で寮母を始めた頃は、自宅によく選手を招いていた。たくさん食べるだろうとつくりすぎて食材を無駄にしてしまったり、選手が苦手な料理を出し誰も手をつけずに残ってしまったり、失敗も多かったという。

 だが、この時の経験は大きな学びとなった。大皿で出すと食べていい適切な量がわからないことや、サラダから始めに食べたほうが野菜をたくさん摂れることがわかった。試行錯誤を繰り返すなかで、選手が飽きないように主婦感覚でつくる村野さん流の“栄養満点ワンプレート”が見いだされた。栄養の色から考えることで華やかになり、視覚からも食欲をそそられる。栄養バランスがとれたフルコースは選手たちから好評を得た。

 03年から09年まで札幌の「しまふく寮」での選手との生活をつづったオフィシャルブログ「しまふく寮通信」が人気となり、07年に『しまふく寮通信〜コンサドーレ札幌★寮日記〜』(北海道フットボールクラブ)を出版。11年には『Jリーグの技あり寮ごはん』(メディアファクトリー)という書籍を出版した。14年には『強い体をつくる部活ごはん』(文化出版局)にレシピを提供している。

 寮母の仕事と本の出版のかたわらで、07年には札幌厚別公園競技場で限定9回の売店「しま福」を出店した。村野さん自らがお店に立つことで、普段は接する機会がないサポーターと話をすることができた。売店のメニューは寮で出しているカレーをアレンジしたものに加え、アウェイの方に北海道の名物を味わってもらいたいと思いとうもろこしも出した。ナイトゲームでは少しでも体を温めてもらうためにモツ煮込みを販売した。

 いつもクラブを応援してくれるサポーターに清々しい顔で帰ってもらうために、村野さんは「しま福」でしか食べられないメニューに感謝の気持ちを込めた。

「食べるものを選び少しでも長く選手でいてほしい」

 札幌で6年間寮母として奮闘した後、09年に晋さんが神戸のフロント入りしたことで村野さんも同クラブへ移籍する。「三木谷ハウス」の寮母となった。

 村野さんが札幌でも神戸でも特に気をつけていることは、選手との距離感だ。食事で体をつくっていくうえで、どれだけ食欲があるか、あるいは体調はどうなのかなどを知るコミュニケーションは欠かせない。だが、スポーツ選手に付き物であるけがをした時、特にトップチームの選手は生活もかかっているため神経をとがらせている場合もある。踏み込みすぎるのは禁物だという。

「選手たちとの時間で大切にしているのは、トップの選手にはトップの選手の考えがあるのであまり近づかないということです。特にけがで試合に出られない時はそうですね。でもユースの子たちにはグイグイ行く。見てわかる体の変化とか、顔の表情の変化は、ユースの子たちは特に気にするようにしています」

 アスリートは毎日のトレーニングや試合で失われてしまう栄養素が一般人よりも多く、食事面でのケアがとても大切になる。村野さんはけがをした選手とのコミュニケーションは特に注意を払いながら、けがの内容によって料理するお肉の部位や調理方法を変える。間違った知識で逆に体脂肪が上がってしまわないように調整もする。

 最近“アスリートフードマイスター”や“食育”という言葉をよく耳にする。世のなかにおける“食”に対する考え方が強くなってきた証だが、村野さんは“食育”は選手生命に欠かせないものだと考えている。

「『カレーはね、脂質が高いんだよ』というひと言、それもたぶん“食育”だと思うし、『このお肉は赤身だから、脂質が低いんだよ。すごく筋肉にいいんだよ』というのも“食育”だと思います。ユースの子との会話のなかでそういうひと言が残れば、食べていいものといけないものがわかるし、これを食べた時に体がどうなるのかを知ることもできます。自分の意識が、結局自分たちの選手生命を伸ばせるきっかけになると思うんです」

 ランチビュッフェに根菜ビーツがあった。ビーツが盛りつけてあるお皿に村野さんの気配りがうかがえる。「ビーツは食べる輸血と言われるほどすごく良い血液になる、足がつりにくい」というワンポイント知識が書かれてある紙が皿に貼られていた。どうしたら選手に知識として頭に入れられるのか、村野さんが模索して出した答えが生活の一部に溶け込ませて覚えてもらうことだった。

「新しい会社に入ることで刺激が増えました」

 17年から人づてで紹介してもらった株式会社スポーツバックスに所属している。スポーツやアスリートにかかわる人のマネジメント事業や、施設のコンサルティングを行う会社で、さらに成長しようと考えた。

 スポーツバックスには、野球選手の上原浩冶や元バレーボール選手の山本隆弘など様々なスポーツ畑の人間がいる。村野さんは所属をきっかけに、野球選手の自主トレに参加し、サッカーだけではない“食”の世界を目にした。競技の種類によって食べるものや食べる量が違うという事実を学んだ。

「意識の高い選手たちに帯同して刺激も受けましたし、やりがいも感じました。今の会社は、見たことがない世界を教えてくれるところですね。周りの人たちが素敵で、熱い人たちがいっぱいいる。そのエネルギーを皆さんからもらって、私はそれを料理に変えて、みんなの胃袋に入れたいと思っています」

 一流のアスリートに囲まれた人生を送る村野さんは、実のところ普段スポーツはあまり見ないという。「ルールもよくわからなくて」といたずらっぽく笑うが、“スポーツ”と“食育”に出合ったことによる気持ちの変化は大きい。

 専業主婦から寮母への道を選択していなければ、人前で話すことも、スポーツ選手に食事をつくることもなかった。普通では経験できない刺激的な毎日を過ごす――寮母になっていなければ、毎晩毎晩、10キロから12キロの肉を焼くこともなかった。厨房をのぞくと普通の家庭では見られない、大量の肉が冷蔵庫に入れられていた。“あっこさん”はこれを愛情と栄養のこもった料理に変えて、選手たちのサッカー人生を後押しする。

 伴侶の転職とひと言で人生が大きく変わった。村野さんは今、“あり得なかったかもしれない生き方”を存分に楽しんでいる。

「だんだん選手たちのお母さん的な年齢になってくると、見方や接し方が変わってきた気がします。同じ自分なのに、同じことが起きた時、違う対応を取ろうとする自分と向き合っていくのも楽しいです。苦労という苦労はあまり感じなくて、おもしろいことのほうが多いかな」

「2人目のお母さん」は、変化に富んだ15年を振り返りながら柔らかな笑みを浮かべた。

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インタビュー・文=白河奈々未(サッカーキング・アカデミー/現フロムワン・スポーツ・アカデミー

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