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小野伸二が振り返るオランダ時代やケガとの戦い…“黄金世代”の盟友、加地&播戸が迫る

 スカパー!のスポーツ専門チャンネル「スポーツライブ+(プラス)」で放送中のスポーツトーク番組『+(ぷらす)』において、北海道コンサドーレ札幌で2021シーズンの開幕を迎えた小野伸二と、“黄金世代”の盟友である加地亮氏、播戸竜二氏がトークを繰り広げた。

 前編では“天才”の名をほしいままにした小野の高校時代や浦和レッズ入団当時、1998年ワールドカップ・フランス大会、そして1999年のワールドユース(現U-20ワールドカップ)などが語られた。今回の後編では、フェイエノールト移籍後の世界での戦い、そして彼のキャリアを左右した大ケガについてなどが語られた。

 小野は2001年、1月の練習参加を経て夏にフェイエノールトに移籍した。練習参加の時は「大したことないな」という印象だったそうだが、そう感じたのはオランダリーグのスケジュールが影響していたたためで、実際に移籍してチームメートたちの真の実力を体感してからは「来てよかった」という感情に変わったという。

 フェイエノールトでは2001-02シーズンのUEFAカップ(現UEFAヨーロッパリーグ)制覇に貢献するなど、主力として大活躍を見せたが、小野は「プロ1年目の、一番いい時に海外に行けていればさらによかった」と振り返る。

 小野はプロ2年目の1999年7月、シドニー五輪のアジア予選で相手選手のタックルを受け、左膝靭帯断裂の重傷を負った。ケガをする前は「自分が思ったことが全部できちゃうし、そのとおりにみんなが動いてそのとおりになった」というが、ケガからの復帰後は「常に(頭の中に)あった映像が何もなくなった」状態になり、苦悩したという。

 フェイエノールトには5シーズンにわたって在籍した。「次のステップへ、という話はなかったの?」という播戸氏の問いかけに対し、小野は「ぶっちゃけ、いくつか話(オファー)はあった」と回答。2006年1月に具体的な交渉が進んだ相手としてイングランドの古豪クラブの名前を挙げた。

 小野が最初に海外移籍した頃は、日本代表で主力を務める限られた選手だけが海外でプレーしている状況だった。現在は多くの選手が海外でプレーし、Jリーグでデビューして数年の選手も移籍する状況になっているが、播戸氏は「もっとJリーグで実績を残してから移籍してほしい」と提言。加地氏も「賛否両論あるよね」と語る中、小野は「気持ちは分からないでもない」とコメント。「大事なのは(海外に)行くことではなく……」と語る小野の意見には播戸氏、加地氏も大きくうなずいていた。

 その後は小野と加地氏が出場した2006年ワールドカップ・ドイツ大会にも話が及んだ。話題の中心となったのは、小野が「俺が出てから3点取られた」と振り返ったオーストラリア戦。日本は1点を先制したものの、79分に小野が交代出場した直後に3点を奪われ逆転負けを喫した。当の小野も「なんで俺を出すのかな、と思っていた」そうで、彼自身がイメージしていた交代策や守備陣と前線の考えが統一されていなかったこと、小野の投入によって選手たちがさらに混乱したことなどが明かされた。

 小野は当時の日本代表について「いろいろな意味で、みんな不完全燃焼だった」と振り返り、加地氏も「みんな経験値が高すぎて、どこにサッカーをすり合わせればいいのか分からなかった」とコメント。その後も議論が続きかけたが、小野が「まあ……あと10年ぐらい待とうよ」とストップをかけた。

 播戸氏が40歳、加地氏が37歳で引退した一方、41歳の今なお現役を続ける小野は「まだまだ、やろうと思えばやれる部分はある」とプレーし続けることに意欲を見せ、「今はサッカーが楽しい」とも。札幌に復帰し、再びJ1の舞台で戦うことになった小野の活躍に期待が集まる。

『+(ぷらす) #4 小野伸二+加地亮+播戸竜二〈後編〉』は「スポーツライブ+」にて3月3日(水)23時30分から放送される。上記の内容以外にも、播戸氏がアーセナルのトレーニング施設で練習をした話や、加地氏がアメリカMLSにチャレンジした話、そして小野が「一番、自分に合っていた」と語る海外のリーグについても語られる。気心が知れた播戸氏、加地氏を相手に見せる小野の穏やかな表情にも注目だ。

『スポーツライブ+』とは

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