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伝説の名実況から30年…山本浩アナが振り返るマラドーナ“神の手””5人抜き”裏話

「マラドーナ……マラドーナ……マラドーナ!来たあっ!~マラドーナァー!」

 1986年メキシコ・ワールドカップにおいて誕生した、ディエゴ・マラドーナの“5人抜き”。このシーンを語る上で忘れてはならないのが、日本へのテレビ中継で実況を担当したNHKアナウンサー(当時)、山本浩氏の存在と、彼がマラドーナのプレーにかぶせて発したフレーズだ。

 マラドーナがこのプレーで伝説になったのと同様、山本氏のこの時のフレーズも“伝説の名実況”として今なお語り継がれている。

 当時、日本にはまだJリーグはなく、サッカーを熱心に見ていたのは一部のファンだけ。山本氏自身もこの大会で初めてワールドクラスのサッカーを目の当たりにし、その頂点に君臨したマラドーナの一挙手一投足に激しく心を揺さぶられたという。

 今回のインタビューで、山本氏は伝説の実況が生まれた背景や、自身が紡ぎ出した言葉に対する意外な思い、そして「メキシコの青い空」の下、エスタディオ・アステカの一角で目の当たりにしたマラドーナに対する思いを語ってくれた。

インタビュー=小松春生

“5人抜き”は喋りながら「まずい実況をやってしまったな」と思った

以前、山本さんは「マラドーナの“5人抜き”の実況は自分の本意ではなかった」とおっしゃっていました。まずはその真意から教えていただけますか。

山本浩 当時、NHKでは私の12年先輩のアナウンサーがサッカーの実況を担当していました。その方をはじめとする先輩方から、スポーツアナウンサーが実況の時にやるべき基本原則をずっと教えられてきたんです。それは「試合中、解説者の方が長い話をされた時には、その話をそのまま『ああ、そうですか』で終わらせないで、いったんまとめて視聴者にお返ししなさい」というものでした。イングランド戦でも“5人抜き”が生まれる直前は、アルゼンチンがなかなかうまくボールを運べず、イングランドもうまくいっていなかった展開だったので、それを踏まえて解説の岡野俊一郎さんに「どうしてうまくいかないのでしょうか」と質問をぶつけたんです。すると、岡野さんがわりに長い話をされました。

 解説が終わる頃、マラドーナにボールが入ったんです。マラドーナのプレーが始まったから実況をしなければいけない。でも岡野さんがまだ解説の最中のことでした。当時の僕はまだ若造だったので、解説を遮って実況に入ることができなかったのです。岡野さんは、機転を利かせて解説を収束させてくれる。本来ならばすぐに「マラドーナ」と入るのですが、先輩からの教え、つまり「長い解説の時にはそれをまとめて1回言え」という教えが頭にあって、「イングランドのパスがなかなかつながらない」とか、岡野さんの解説の趣旨をくり返してしまったんです。

確かに、当時の映像を見返すと、マラドーナがボールを持った瞬間には「なかなかイングランドのパスが、二つ三つと続くことがありません」とおっしゃっています。

山本浩 その間にマラドーナはボールを受け、ターンで2人をかわして加速し始めた。そしてハーフウェーラインを越えたあたりから、ようやくプレーの実況を始めたわけです。ですから自分としては「いかん。最初にボールが入った時に実況できていない」という思いがあって、喋りながら「まずい実況をやってしまったな」と思っているんです。放送終了後には先輩から電話がかかってきて、「おい、どうした。最初にボールがマラドーナに入った時に言わないとダメだろ」と言われてしまいました。

後手に回ってしまったわけですね。

山本浩 そうなんです。しかも、あのプレーはアルゼンチンエンド内から始まりました。通常、ハーフウェーラインを挟んだところでボールが行き来している時は、解説をしてもらっていても問題がない。プレーの実況をするのは、ゴールに近づいてからなので。だから岡野さんも解説していても「大丈夫だろう」と判断して長めの話をされた。ところがボールを持ったのがマラドーナだったので、ゴールまで持ち込んでしまうことになったわけです。

咄嗟に「マラドーナ」と言ったのが、結果的には良かったかもしれない

あそこからゴールまで持って行くとは、思っていなかったと。

山本浩 あの試合にイングランド代表として出場していたゲーリー・リネカーが名古屋グランパスに在籍した時、直接会って聞いたことがあるんです。「自分はあの試合を実況していて、あなたはアルゼンチンのペナルティーエリア付近にいたと記憶しています。あのプレーは見えていたのですか?」と。するとリネカーは「距離があったから、あそこでボールが入っても平気だと思っていた」と答えてくれたんです。当事者のリネカーですら「平気だと思っていた」と言うくらいですから、実況も解説も完全に油断していました。

結果的に“5人抜き”の流れを視聴者に伝えることができたのではないかと思うのですが。

山本浩 最初のシーンを実況していないので、次のタッチの時に「早く言わなければならない」と思って、咄嗟に「マラドーナ」と言ったのが、結果的には良かったのかもしれません。あれを言っていなかったら、かなり短いフレーズになってしまい、視聴者の方々の記憶に残らなかったかもしれないですね。

“神の手”ゴールは「全く分からなかった」

イングランド戦でのアルゼンチンの1点目となった“神の手”ゴールについてもうかがいます。実況されていた時は、ハンドと認識されていたのでしょうか。

山本浩 全く分からなかったです。自国が本大会に出場していない国の放送局は、放送席が端っこのほうや、上のほうに割り当てられてしまうんです。我々はかなり上のほうの席だったと思います。しかもエスタディオ・アステカは非常に巨大なスタジアムですから、ピッチまではかなり距離がありました。肉眼で見ても分からないし、モニターでスロー再生されたんですけど、当時はまだブラウン管の画面でしたので、日差しの強い中での試合だったこともあって、はっきり分からなかったんです。岡野さんに聞いても「はっきりとは見えなかった」と言われて。審判がゴールを認めましたし、手で決めたとは思っていなかったんですが、スロー再生が出た後で他の放送席の反応を見て「もしかしたら手だったんじゃないか」と思い始めて。

放送席も騒然となったと。

山本浩 その時にイギリス『BBC』のプロデューサーが僕たちのブースにやって来て、喋っている私の肩を叩いて「今のはハンドだからそう言え」と(笑)。各ブースを回っているんですよ。彼らにはちゃんと見えていたんだと思います。岡野さんが「手で入れたと言いますけど、こんなに素晴らしいシュートですからね」とおっしゃったのも覚えていますね。

現場でご覧になっていて、手を使ったかどうかは全く分からなかったわけですね。

山本浩 ご家庭でご覧になっていた方のほうがはっきり見えていたと思います。今のテレビはデジタルですから余計にクリアですが、あの当時であっても、日本は恐らく真夜中の放送だったと思うので、静かな環境で集中して見ていたんじゃないでしょうか。少し横道にそれますが、まだ大雑把な時代だったので、スタンドでは放送席の周囲を各スポンサーのキャンペーンガールを練り歩いていたんですよ。かわいい女性がやたらとウロウロしていて、集中できるわけがない(笑)。歓声もすごかったですし、その中でモニターを見ていても、よく分からない。「確信を持てないことは言うな」、という時代でしたから、手で決めたかどうかの議論はしませんでした。

W杯という舞台は「自分の限界よりも少し高いレベルを発揮できる」

メキシコW杯は、山本さんにとってどんな大会になりましたか?

山本浩 当時は日本リーグの放送を担当していましたが、レベルや熱狂度は、あまりにも違いました。観客が作り出すサッカーの“空気”というものがありますが、当時の日本は観客がチアホーンを鳴らしていて、それが牧歌的な雰囲気を醸し出していました。W杯は、まさに鬼気迫るというか、勝つためにはここまでしなければならないのかと思うようなことを平気でやる世界。全く違う舞台だと感じました。『のど自慢』と『紅白歌合戦』くらいの違いがある感じですよね(笑)。そういう場所で実況をさせてもらえたので、放送にも相当自信がつきました。

大会の雰囲気が高みに導いてくれたということですね。

山本浩 プレーはハイレベルですし、雰囲気も抜群。緊張感もあるので、自分の限界よりも少し高いレベルを発揮できる。私は当時33歳だったんですが、東京に異動してまだ2年目か3年目。その前は福島に4年、松山に3年いたんですが、松山時代は温泉の中継などをやっていて、全国レベルのサッカーの実況なんてほとんどしてない状態でした。それがいきなりW杯ですから、見るもの聞くものすべてが新鮮で、多くの経験を積むことができました。

メキシコW杯まで、ほとんどサッカーの実況をされていなかったんですか?

山本浩 日本リーグは担当していました。国立西が丘サッカー場での日本リーグの試合を実況したのですが、ゴールが決まるとスローVTRが流れますよね。そのスローモーションを見ると、ゴールの後ろでキャッチボールをしている親子が映るんですよ(笑)。それくらい観客がいなかったですし、芝生の状態も悪かった。その中で実況しても、正直、気合が空回りですよね。それがいきなりW杯では、緑色のフカフカの芝生で、一流の選手たちがものすごいスピードでパスを回している。もう、レベルが全く違いました。

W杯を実況したことは、山本さんのキャリアにも影響があったということですね。

山本浩 すごく影響されました。東京では放送の専門家たちが僕の実況を聞いて、様々な反応をしてくれました。ほとんどがダメ出しでしたけど、ハイレベルなプレーを見ながら手厳しい指摘を次々に受け、経験値はどんどん上がりました。普段、国内でサッカーを見ている方が、W杯本大会を見に行かれると、“見る力”が養われると思います。それと似たような状況でしたね。

大舞台を経験してレベルアップするのは、選手だけじゃない。

山本浩 そういうことですね。

30年で日本サッカーを見る人たちの関心度や情報分析力も、ものすごく高くなった

マラドーナの“神の手”と“5人抜き”から30年が経過しましたが、日本サッカー界の30年間を、山本さんはどうご覧になってきましたか?

山本浩 30年前の日本はまだ“サムライ”的な要素が強く、コンディションなどはあまり気にせず、サッカーが好きな人たちがサッカーをしていたといったらいいでしょうか。選手たちは観客のことなどあまり考えていませんでした。なぜかというと、当時の日本リーグは実業団でしたから、会社のためには戦うんですけど、一般のサッカーファンをとことん喜ばせようとはあまり考えていなかったからです。代表に招集されて初めて、日本国民を背中に負いながら戦うといった状況でした。

わずか30年前ですが、サッカーは日本ではメジャーなスポーツではありませんでした。

山本浩 そこから徐々に機運が高まり、Jリーグ開幕にこぎつけるわけですが、その頃というのは日本国民のサッカー熱が徐々に高まり、特定のクラブを応援しなくても、サッカーという競技自体を応援するようになっていった時代なんです。そう考えると、86年のメキシコW杯というのはその前段階で、サッカー熱が温まり始めた時期でしたね。今では程よく温まっている人、熱くなりすぎて怒っている人といろいろいますが(笑)。日本サッカーのレベルが上がったのはもちろんですが、サッカーを見る人たちの関心度や情報分析力も、ものすごく高くなったと思います。

目覚ましい進歩ですね。

山本浩 そうですね。昔もサッカーに詳しい方、プレー経験があってサッカーのことを熟知している方はいたでしょうが、用語にしても統一されていませんでした。今は「バイタルエリア」が何のことかご存知の方も多いと思いますが、当時はそんな用語もありませんでしたし、他の用語にしても、その定義がかなり曖昧だった。用語がないということは、つまり共通理解をさせようと思って一つのメッセージを発しても、多くの人に伝わらないわけです。今ははっきり伝わりますし、評論家や分析をする方たちが非常に厳しい視点で、細かいところまで語るようになりました。そういう意味では、サッカーに関する基礎的な能力は、はるかに高くなったと思います。

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