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J1クラブの社長の座を捨て再出発…いわきFCの大倉社長「ベルマーレではやりきった気持ちがあった」

2016.08.03

インタビュー=安田勇斗
写真=小林浩一

思い立ったらすぐに行動する。経営者に必要とされる資質の一つと言われており、いわきFCの大倉智社長もその才を備えた人物という印象を受けた。選手時代に移籍先を探す際、自らクラブに電話をかけて確認を取った。引退を考えていた時には、見ず知らずのヨハン・クライフ国際大学に問い合わせて入学を決めた。セレッソ大阪では“素人”ながら立候補して強化部長に就任した。湘南ベルマーレでは先陣を切ってクラブ改革を推し進めた。そして2014年に湘南の社長の座に就き、さあこれから、というタイミングだった。突然の決意表明に唖然とした。わずか2年で社長を退き、いわきFCでゼロからのクラブ経営に着手したのだ。思いきった決断に見えたが、大倉氏は「僕自身は全くそう感じていないんですよ」と笑顔を見せる。「どこかで限界を感じていた中で、この挑戦は非常に興味深かったし刺激的だったんです」

――1992年に日立製作所サッカー部(現柏レイソル)で選手キャリアをスタートさせました。

大倉智 僕が大学を卒業して日立製作所の社員として入ったのが92年で、Jリーグが開幕したのが93年でした。当時はプロ化とか、サッカーで飯を食うとか、そういう考えが全くなかった時代なので、Jリーグができること自体、半信半疑だったんです。同じ世代の澤登(正朗/元清水エスパルス)や森山(泰行/元名古屋グランパス)、磯貝(洋光/元ガンバ大阪)といったそうそうたるメンバーがプロクラブに行って、僕もJクラブから誘ってもらったんですけど、そういう気持ちがあったので日立で社員としてサッカーを続けることにしました。日立では午前中に仕事をして、15時から練習していたんですが、それがあるべき姿だと思っていたので違和感は感じていませんでした。でも、日立でも段々、プロ化の流れが進んで、カレカやミューレル(ともに元ブラジル代表)が来て、180度世界が変わってしまって(笑)。社員選手も徐々にプロになり、僕も自分の判断で会社を辞めてプロになりました。

――その後、ジュビロ磐田、ブランメル仙台(現ベガルタ仙台)、アメリカのジャクソンビル・サイクロンズを渡り歩きました。

大倉智 95年にレイソルから移籍することになったんですけど、年末まで行き先が決まってなくて、そんな時にある新聞記者から「ジュビロが興味を示していたよ」と教えてもらいました。すぐにジュビロに電話して、「大倉ですけど……」と話したら「じゃあ磐田に来て」と言われて、次の日にジュビロと契約しました。

――行動力がありますね(笑)。

大倉智 性格的にそういうところはあります(笑)。ただ、プロとして活動していたのは5、6年で、A代表も経験できなかったのでプロ選手としてやりきったという感覚はないですし、成功したとは思っていません。なので、今の選手たちには、自分の経験を反面教師として話しています(笑)。でもそういう選手生活の中で、ふとしたきっかけで「このままだとJリーグはうまくいかないんじゃないか」と思うようになり、経営者になること、スポーツマネジメントの世界に足を踏み入れることを視野に入れるようになったんです。日本でプレーする場所がなくなって、98年にアメリカに行き、そこで将来について心を決めて、選手を引退しスペインに行きました。

――現役でプレーしていた頃から、現在の仕事をイメージしていたんですね。

大倉智 あるクラブで自分の移籍を巡ってトラブルがあったんです。クラブの考えを選手に押しつけるような移籍だったので断ったんですけど、それでもめてしまって。これをきっかけに、選手だけでなく、経営者も指導者もプロにならないといけない、と考えるようになりました。選手1人の移籍でこういう状態でしたから、しっかりクラブを経営できないと、Jリーグ全体がうまくいかなくなると思ったんです。一般企業の一般社員がやるのではなく、サッカークラブのプロのスタッフがやるべきだと。

――アメリカに行ったのも、そういう流れからなのでしょうか?

大倉智 アメリカのスポーツビジネスを勉強したかったのはありますし、サッカーをしながら、将来のことも考えていました。そんな中で、母親が荷物の中に朝日新聞の切り抜きを入れて送ってくれたのですが、それがヨハン・クライフ(元オランダ代表)が大学を立ちあげた、という記事だったんです。選手のセカンドキャリアやスポーツビジネスを学べるというので興味を持ち、朝日新聞に電話をして確認しました。それからヨハン・クライフ国際大学に電話を入れ、サッカーをスパッと辞めてバルセロナに行きました。

――3年ほど過ごしたヨハン・クライフ国際大学はどのぐらいの規模だったのでしょうか?

大倉智 今はわからないですけど、当時は自前の校舎がなくて専門学校の一部を間借りしていました。アメリカで勉強した先生たちの他、バルセロナやエスパニョールの強化部長の単発講義などもあったりして、生徒には50代の経営者やバルサの2軍選手などもいました。1クラス50人で、2クラス計100人ぐらいだったと思います。日本人も4、5人いて、彼らにスペイン語を教えてもらったりしていました。父親の仕事の影響でアメリカに住んでいたこともあり、英語は大丈夫だったんですけどスペイン語はわからなかったので、最初は授業を聞くにも辞書が手放せない状態でした。入学前に「英語しかわからないんですが、大丈夫ですか?」って聞いたら、「全然平気ですよ!」って言ってたんですけど、スペイン人はそういうところがいい加減なんで(笑)。人によってはヒートアップするとスペイン語じゃなくカタルーニャ語になるので本当に苦労しました。理解するまでに半年ぐらいはかかりましたね。

――どんなことを学んだのでしょうか?

大倉智 スペイン語の簿記の授業なんかもあったんですけど、役に立っているのかどうか(笑)。それよりもサッカーの本場で3年間過ごした方が大きかったと思います。バルサやエスパニョールの練習や試合を見て、現地の情報を収集して、いろいろな方とお話して、スペイン語も勉強できたので。この3年間は自分の支えにもなっています。

――スポーツマーケティングやスポーツビジネスの勉強での収穫は?

大倉智 僕自身、そういうことがわかり始めたのは最近で、あの時は「何かやらなきゃ」という思いが先行して飛びたった感じなんですよ(笑)。正直に言って「これがサッカーのビジネスなんだ」という答えを持ち帰ることはできなかったですね。

――その学習期間を経て、セレッソ大阪の強化部長に就任します。実績がなかったため、はたから見ると大抜擢とも思える人事です。

大倉智 知人を通じて、当時の日本ハム社長の大社啓二さんのバルセロナでのアテンドを頼まれました。日ハムはセレッソ大阪のスポンサーで、大社さんは役員も務めていたんです。大社さんがセレッソと海外クラブの提携を考えられていて、スペインの他にイタリアやポルトガルにも一緒に行かせていただきました。かばん持ち兼プチ通訳という形で(笑)、いろいろと勉強させていただき、その流れでセレッソに行くことになりました。本当は別の方と一緒に強化を担当させていただく予定だったのですが、その方が急きょ辞められることになり、勝矢(寿延/元ジュビロ磐田)さん、梶野(智/元セレッソ大阪)さんと一緒に担当するようにと言われました。仕事を進めていくにあたってリーダーが必要となったのですが、当時は僕も若くて鼻息が荒かったので「やります!」と手を挙げて強化部長を務めることになりました。

――強化部長として具体的にどのような仕事をされていたのですか?

大倉智 素人だったので、最初はJリーグの規約を読むところからでした(笑)。任されたのは、アカデミーを含めたチームの強化です。3年いたのですがうまくいかなくて、最終的には強化部長を下りるよう通達がありました。そのタイミングで湘南ベルマーレからオファーをいただいたのですが、大社さんからは「ここは我慢だ」と引きとめていただき、迷いました。ただいずれにしても、成績が悪かったのは自分の責任でしたし、なぜこうなったかを突き詰める必要があるとは感じていました。

――答えは見つかりましたか?

大倉智 理念や目指すべきものが定まっていなかったんです。それで付け焼刃的に、当たるか当たらないかわからない監督や選手を迎え入れていた。ではどうするべきかと考えた時に、ドイツに行った時にウリ・ヘーネス(元バイエルン会長)さんが僕に言った「興業やプロスポーツは負け方が大事だ」という言葉を思い出したんです。負けてもお客さんがチケットを買った価値がある、また翌週も来たいと思う試合をしないといけないなと。でも、セレッソではそれが実践できないと感じ、ベルマーレに行くことにしました。

――湘南では目指すスタイルを追求できましたか?

大倉智 できたと思います。ベルマーレを“再建”できたかなと。観客2500人だったのが、満員になる試合も増えたし、社長も務めさせていただいて売上の規模も大きくなりました。上田(栄治/元湘南ベルマーレ監督)さんとクラブ理念を作りあげて、選手を入れ替えて、監督が代わってもブレずに戦いました。その中でできあがったのが今のベルマーレです。

――湘南ではどんなことを変えていったのでしょうか?

大倉智 まずは「何のためにサッカーをするか」を明確にしました。湘南で言うと、湘南地域に住む方々にサッカーを通じて無形のサービス、つまり感動や夢、希望などを提供することです。勝つことではなく、まずはそこを大事にするよう選手たちに徹底しました。それを実現すべくベルマーレでは「アグレッシブ」とか「前に前に」とか、そういう言葉を使っていました。また、そのサッカーを実践するために必要な選手を集めました。最初は全然獲得できなかったんですけど、段々と成績が上がってきてクオリティーの高い選手を取れるようになり、浮き沈みはありながらも良いサイクルができてきました。それで09年、反町(康治/現松本山雅FC監督)監督の時に、10年ぶりにJ1昇格を果たし、僕自身、初めて成功体験を感じることができました。こうやればチームは強くなるんだなと。大事なのはお客さんがどう思うかということで、今のJリーグに欠けている部分を追求していくことで“結果”は出るんだと痛感しました。ただ昨シーズンは残留を果たしましたが、この先のステージに進むには相応の資金が必要で、湘南ではそれが難しいとどこかで感じ始めたんです。

――具体的にはどんな点からでしょうか?

大倉智 地域ロイヤリティをマネタイズしていこうとする中で、湘南エリアが広域であることや、神奈川県が混然としていることで、地域ロイヤリティそのものが生まれないんです。そのため、スタジアム建設に向けても動けず、今あるスタジアムも小さいので、来るのはサッカー好きだけ。それで満員ですから、お客さんが多様化しないんです。結果、産業化も進められない。これは理由の一部ですが、自分の中ではどこかでベルマーレではやりきった気持ちもありました。

――そう思ったのはいつ頃ですか?

大倉智 社長に就任して1年ぐらい経って、株式会社ドームの安田(秀一/代表取締役。ドームはいわきFCの親会社で、スポーツメーカー『アンダーアーマー』の日本法人でもある)に出会ってからですね。今のJリーグでは多くのお金を生みだせないんじゃないか、と思っていた時にいろいろな話をして、僕の中にあった疑問の答えが見えてきたんです。安田はこういう想いを打ち明けてくれました。「いわきに物流センターを作る。それでサッカークラブも立ちあげたい。33万人の都市にスタジアムを作ってビジネスとして成立させ、税金を収めて市を豊かにし、学校の環境を良くして子どもたちの未来を良いものにしたい。スポーツですべてを変えていく事業を、残りの人生を懸けて取り組んでいきたい」と。それでクラブ経営を引き受けてほしいと言われたのですが、最初は断ったんですよ(笑)。「それなら湘南に出資して、スタジアムを建ててほしい」と話しました。ただ、どこかで限界を感じていた中で、この挑戦は非常に興味深かったし刺激的だったんです。それで最終的には、いわきFCの経営に参加することを決めました。

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――かなり思いきった決断だと思います。

大倉智 よく言われますよ(笑)。でも僕自身は全くそう感じていないんです。社長にこだわる理由はないし、湘南でなくてもサッカー界で生きていけますから。

――やはり「思い立ったらすぐ行動」なんですね。

大倉智 そうですね(笑)。ただ今回のことで言うと、ベルマーレの社長である以上、Jリーグの中で生きていかなきゃいけなくて、そうすると、自分はダメになるかなと。安田に出会って違う世界を知って、他のスポーツにも視野を広げられるようになりました。日本では野球、テニス、ゴルフなどスポーツ全般に様々な問題がある中で、Jリーグの中にいたら井の中の蛙になってしまう。欧米のスポーツマーケティングをもっと知る必要があると思いますし、それをサッカーに限らず日本のスポーツ界に活かしていきたい。これがいわきFCの経営を引き受けた一番の理由なんです。

33万人に想いを届ける…いわきFCの大倉社長が挑戦する“スポーツ界の改革”

株式会社いわきスポーツクラブ
代表取締役
大倉 智(おおくら さとし)

1992年 早稲田大学商学部 卒業
日立製作所入社後、社員選手から 柏レイソル・プロ選手に転向
1996年 ジュビロ磐田へ移籍
1997年 ブランメル仙台(現ベガルタ仙台)へ期限付き移籍
1998年 ジャクソンビル・サイクロンズ(USA)へ移籍。現役を引退
2000年 ヨハン・クライフ国際大学(バルセロナ)へ入学、スポーツマーケティングを学ぶ。
2002年 セレッソ大阪 チーム統括ディレクターに就任
2004年 株式会社湘南ベルマーレ 強化部長に就任、J2下位に低迷していたチームをJ1昇格に導く
2013年 株式会社湘南ベルマーレ GMに就任
2014年 株式会社湘南ベルマーレ 取締役社長に就任
2015年 株式会社湘南ベルマーレ 代表取締役社長に就任
2016年 株式会社いわきスポーツクラブ 代表取締役に就任

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By サッカーキング編集部

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