2016.05.13

日本サッカー選手代理人が明かす①「『褒めなくていい』――北澤豪選手との出会いが、選手に寄り添うマネジメントのあり方を教えてくれた」

インタビュー・文・写真=波多野友子

日本サッカーにおける選手代理人の第一人者が田邊伸明氏だ。田邊氏は1994年に株式会社ジェブエンターテイメントを立ち上げ、22年にわたり多数の選手の移籍を国内外で成功させてきた。どのような経緯で代理人という特殊な世界へ飛びこんだのか。自身の来歴と、運命を変えた北澤豪選手との出会いについて語ってもらった。

――まずは、学生時代のお話から聞かせてください。

田邊伸明 中学・高校とサッカー部だったんですが、どっぷり浸っていたというわけではなく、草サッカー程度に楽しんでいました。それで、内部進学で大学へ入学した後、OBとして中学サッカー部のコーチを担当することになったんです。最初はいやいや始めたものの、やり始めたら意外とのめり込んでしまって(笑)。就職活動のこともあまり考えず、4年間中学生の時間割に合わせて、講義を受講していたほどでした。夏休みなどを利用して、海外サッカーを見て回ったりもしました。チェルシーのライセンス講習を受けてみたり、バックパッカー的にヨーロッパ、中東、エジプト、アメリカなどを観戦旅行したりしましたね。

――サッカー一色の大学生活だったのですか?

田邊伸明 いえ、実はそうでもないんです。僕が学生の頃はちょうどバブル全盛期で、いくつかの大学サークル合同で、イベント会社を作ったりもしていました。大手企業からスポンサーを募り、六本木中のディスコを貸し切ってパーティー券を売って、ミスコンを開催したりして。その頃から、お金を生み出すような仕組みを作って活動していました。

――華やかな学生生活を送られていたのですね。就職活動には、どのように取り組まれたのでしょうか。

田邊伸明 いわゆる青田買いで、3年生の8月にはレコード会社への内定が出ていました。親戚にテレビ局員、アナウンサー、歌手がいるという芸能一家だったので、そういう業界には馴染みが深かったんです。そんな折、たまたま父親と知り合いだったイベント運営会社ジエブの社長が私に興味を持ってくれて、一度仕事を見に来ないかということで、ゴルフのトーナメント運営の現場にアルバイトで入ったんです。ゴルフには興味はありませんでしたが、当時盛り上がっていたサッカーのトヨタカップ運営も手掛けていると知り、心が動きました。

――そしてレコード会社の内定を断り、88年にシエブへ入社されました。当時携わられた仕事について聞かせてください。

田邊伸明 最初はゴルフの大会運営が中心でしたが、入社1年半後にようやく念願のサッカー担当部署に配属されました。トヨタカップ、ゼロックススーパーサッカー、キリンカップの大会運営が主な仕事でした。チケット、ポスター、プログラムやグッズの製作から、各国チームの練習場、宿泊所、移動手段の手配、180カ国に及ぶ放送権の調整にも携わりました。監督記者会見や選手インタビューの際、後ろにスポンサーロゴが入ったバックボードがありますよね。あれを最初に手掛けたのもジエブでした。

――そして大会運営の仕事を経た後、マネジメントの仕事を始めます。

田邊伸明 担当したフジテレビの「国際スポーツフェア」というイベントで、ゲストに読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)の選手たちがゲスト出演しました。その際に、武田修宏選手と親しくなったんです。91年のキリンカップで日本代表が優勝して以来、武田選手、三浦知良選手、ラモス瑠偉選手、北澤豪選手は当時の大スター。国民的アイドル並みの存在でした。彼らと付き合ううちに、北澤選手が移籍に伴って浜松から東京へ引っ越すことになりました。私が不動産屋や車販売店を紹介することになって、それ以来、北澤選手との長い付き合いが始まったんです。

――北澤選手のマネジメントを担当するようになったということですね。

田邊伸明 そうです。読売サッカークラブのスター選手に、当時メディアも大注目していました。一人の選手が5、6社のCMに出演するような時代で、クラブの広報も手がまわらず、個々のマネージャーに依存しているような状況で。私にはちょうど芸能プロダクションのバイトで培ったスケジュール管理やメディア対応のスキルがあったので、北澤選手のマネジメントを担当するようになったんです。

――北澤選手とは、どのような関係性を築かれたのですか?

田邊伸明 北澤選手はもともとアマチュア出身で、会社員をしながらサッカーを続けてきた選手です。環境が劇的に変化するなかで、常に自分の立ち位置を客観的に捉えようとしていました。リーグ戦で1得点するだけで、周りからちやほやされることにも違和感をおぼえていたようで、「褒めなくていい」とよく言われましたね。自身でも几帳面にプレーに関するノートをつけていて、「どこがよくなかった、もっとこうしたほうがいい」という話をしてくれと。そんな会話を多くしていました。

――北澤選手のサッカー愛を感じさせるエピソードですね。田邊さんは何を感じ、学ばれたのでしょうか。

田邊伸明 当時は北澤選手しか知らなかったので、すべての選手がそういう意識を持っていると信じていました。考え方が「北澤基準」になっていたわけです。でも他の選手との仕事が増えると、必ずしもそうではないことを知りました。Jリーグが盛り上がる以前から先が見えない状態でサッカーを続けてきて、ようやく仕事としてサッカーをつかんだ選手と、高校を卒業して18歳から当然のようにプロリーグでプレーができた選手とでは、当然こだわり方や追求の度合いが違う。これから出てくる選手たちが将来問題にぶち当たった時、自分は北澤基準を持って、選手に寄り添える存在になろうと思いました。

日本のサッカー選手代理人が明かす②「エージェント契約の選定基準は、“世界のトップレベルで通用する選手かどうか”」

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株式会社ジェブエンターテイメント
代表取締役 田邊伸明

大学卒業後、スポーツイベント会社に就職。1991年からサッカー選手のマネジメント業務を開始。
また、ワールドスポーツプラザ「カンピオーネ」、「ワールドスポーツカフェ」などのプロデュース、サッカービデオ/DVDの日本語版監修などサッカービジネス全般のコンサルティング業務なども手掛ける。
1999年日本サッカー協会のFIFA(国際サッカー連盟)選手代理人試験を受験し、2000年FIFAより選手代理人ライセンスの発行を受ける。
主な契約選手は稲本潤一(コンサドーレ札幌)、大久保嘉人(川崎フロンターレ)、平山相太(FC東京)、槙野智章(浦和レッズ)、浅野拓磨(サンフレッチェ広島)など。

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