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パナシナイコスの梶山陽平、ギリシャ移籍の真相を語る

2013.03.18

[サムライサッカーキング 4月号掲載]

ギリシャで感じる「1 0 0 パーセント」の意味

エーゲ海、イオニア海、地中海に囲まれた歴史と伝統の国。梶山は現在、ここで各国の屈強な戦士たちと切磋琢磨している。幼い頃からFC東京で育ち、チームの顔に成長した彼が、なぜ遠い異国の地に新天地を求めたのか。移籍の真相とギリシャでの日々を、寡黙な男が熱く語る。

kajiyamaインタビュー・文 = 松岡祐司(東京中日スポーツ) 写真 = 新井賢一

──パナシナイコスへの移籍から約2カ月が経ちました。まずは現在の率直な感想を聞かせてください。

梶山(以下K) 最初の1カ月はとても新鮮であり、不安でもありました。(EU外選手枠の影響で)選手登録が当初の予定より3週間ほど遅れましたからね。本当はもっと早い時期から試合に絡むことができれば良かったんですけど。ただ、その間もなかなかチームの結果が出なかったので自分にチャンスがきたし、その期間に良い準備ができましたからね。

自分自身にとってはそれも良い流れだったのかなと、今では思っています。プレー面ではやはり言葉の壁、コミュニケーションの問題を強く感じていますね。

チームメートとは徐々に信頼関係を築けているので、今でこそ戸惑いはありませんが、スペイン人のファブリシオ(ゴンサレス・パネラス)監督とは言葉が通じないので直接コミュニケーションを取ることができない分、日本とは違って信頼を得るのが大変だなと思っています。通訳がいないので、監督の指示や意図をすべて把握するのは難しい状況です。だから、監督からしたら「こいつ、本当に理解しているのか?」と思われている可能性はありますね(笑)。

──ヨーロッパへの移籍はプレーヤーとしての大きな目標だったと思います。いつ頃からヨーロッパでのプレーを意識していたのですか?

K きっかけは2005年に出場したワールドユース(現U─ 20ワールドカップ)でした。日本人とは球際の深さが全く違う海外の選手と試合をするのがとても楽しかったんです。その頃から、「いつかはヨーロッパでプレーしたい」という気持ちがありましたね。

ただ、FC東京でも学ぶべきことはたくさんありました。プロデビューしたシーズンに対戦した奥大介さん(当時横浜F・マリノス)の技術の高さに衝撃を受けたことは、今でもよく覚えています。Jリーグは上手い選手ばかりで、自分も「もっと上手くなりたい」という一心プレーしていましたね。また、年齢を重ねる毎に、何よりも家族、2人の子供の将来を考えると、日本でプレーし続けることも自分にとっては良い選択だと考えるようになっていたのも事実です。

FC東京で成し遂げたい目標もあり、やっているサッカーも楽しかったので、やみくもにヨーロッパへ行きたい、ということではなく、Jリーグでプレーすることも悪くないと考えていました。

──FC東京とは契約を1年残していたので、残留が基本路線だったと思います。パナシナイコスへ移籍した経緯を教えてください。

K 昨年のシーズンが終わってすぐの12月上旬、代理人から連絡があって、パナシナイコスからオファーが届いていることを伝えられました。(打診などではなく)いきなり正式オファーだったので少し驚きましたね。正直、ギリシャはあまりイメージがありませんでしたが、パナシナイコスはビッグクラブなので、すぐに「挑戦したい」と思いました。

給料の支払いだけが不安でしたが、そこは大丈夫ということだったので。ただ、やはり(移籍を)決断するまでには時間がかかりました。若ければ悩むことはなかったと思いますが、自分のことよりも妻や子供のことを先に考えてしまい、なかなか決断できませんでしたね。

自分の夢だけを追っていいのか、と。でも、妻は「行きたいなら、いいよ」と言ってくれて。ヨーロッパへ移籍するなら年齢的にもラストチャンスだと思いましたし、最後は一人で悩みに悩んで、移籍を決断しました。

【関連リンク】
【有料】梶山陽平インタビュー全文「ギリシャで感じる『100パーセント』の意味」前編
【有料】梶山陽平インタビュー全文「ギリシャで感じる『100パーセント』の意味」後編

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