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セルヒオ・ラモスの個人技術とアンチェロッティ監督のシステム史~選手の質に合ったシステムを採用する~

2014.12.22

Getty Images

 12月20日、クラブW杯の決勝戦がモロッコのマラケシュで行われた。欧州王者のレアル・マドリード(スペイン)と南米王者のサンロレンソ(アルゼンチン)の対戦は、前半37分にクロースの左CK(コーナーキック)をセルヒオ・ラモスがヘディングでゴールを挙げて先制し、後半6分にイスコの縦パスを受けたベイルが左足でシュートを決めて、レアル・マドリードは世界一の座に就いた。

大会MVPになったセルヒオ・ラモスのゴール

 セルヒオ・ラモスの先制点は、個人能力の高さによって得られたものであると言える。サンロレンソのCKの際の守備は、マンマークで1人の選手がレアル・マドリードの1人の選手に密着して守備をする形をとっている。以下は、サンロレンソのどの選手がレアル・マドリードのどの選手にマークしているのを示している。(図を参照)

【サンロレンソ】 【レアル・マドリード】
オルティゴサ  → ベイル
カンネマン   → ロナウド
メルシエル   → ベンゼマ
ジェペス    → ラモス
カリンスキ   → ぺぺ

 レアル・マドリードは、「ショートコーナーがあるぞ」と匂わせてハメス・ロドリゲスがコーナーの近くに立つ。そのためにサンロレンソの選手1人がロドリゲスの側にいる。キッカーのクロースに高低差を自由につけたボールを蹴らせないためにバイタルエリアの縦のライン上にサンロレンソの選手が1人立ち尽くす。ゴールマウスのニアサイドにはFW(フォワード)のカウテルッチオがかまえる。ペナルティマーク付近に両チームの選手は、5人対5人の同人数になっている。

 1人に1人の選手がマークするこの状態から、レアル・マドリードの選手がどのようにマーカーから逃れてフリーになれるのかが攻撃の鍵になる。先制点を挙げたセルヒオ・ラモスがとった手段は、最初にジェペスの前にポジショニングしておいて、クロースがコーナーキックを蹴った瞬間にボールに向かいながら、ジェペスの背後に回ってヘディングでボールに合わせるというやり方をとった。ジェペスは最初、自分の視界の範囲内にセルヒオ・ラモスがいるから競り合っても何とかなると考えたのだろうが、セルヒオ・ラモスはジェペスの視界から消えて背後に回り、さらに、ジェペスに少し体を預けることでジェペスの上からヘディングシュートを決めたのである。

 マークを外す動きの基本として、斜めの方向に動くことが重要だとされる。その際に、「ボールとパスの出し手」「相手のゴール」「自分をマークしている相手」を視野に収めながら動かなければならない。

 セルヒオ・ラモスの得点を生んだ技術も、2点目のベイルの得点に結びつくパスを出したイスコの技術も、どちらも個人の高い能力が支えになっている。レアル・マドリードは、セルヒオ・ラモスのような個人技術に優れた選手の集まりでもあるのだが、オーガナイズされた攻撃と守備に関するチームの土台を築いたのは、アンチェロッティ監督の手腕であることははっきりしている。

 レアル・マドリードでアンチェロッティ監督が用いた[4-3-3]のシステムは、監督のシステム史の中で、どのような経過をたどって得たのかを整理したいと思う。

戦術の師匠であるアリゴ・サッキの教え

アンチェロッティ

 1994年のW杯アメリカ大会のときに、イタリア代表のサッキ監督のもとでアシスタントコーチを務めたアンチェロッティ氏は、翌年の1995年にセリエBに降格したばかりのレッジャーナの監督に就任する。このときに採用したシステムは、「サッキの教え」であった[4-4-2]の中盤がボックス型であった。

[4-4-2]の完成型は、サッキ氏がACミランの監督時代に作り出したものである。レッジャーナ時代のアンチェロッティ氏は、次のようなサッキの戦術的手法を踏襲していた。簡単に言えば3点があげられる。
【1】前線からの積極的なハイプレス
【2】縦横いずれにもコンパクトな陣形を保つ
【3】オーガナイズされた守備組織

 やり方を実践する際に、アンチェロッティは、[4-4-2]のDF(ディフェンダー)4人と、MF(ミッドフィールダー)4人とFWの2人のそれぞれの横のラインが1本の線となって、3つのラインを形成しながら上下動を行なうように指示した。

 アンチェロッティ氏は、監督就任1年目でセリエBに降格したチームをセリエAに昇格させるという偉業を成し遂げる。このときにはアンチェロッティ氏は、[4-4-2]のシステムにはこだわっていたのだが、それぞれの選手の能力に噛み合ったタスクを与えていた。

 当時のレッジャーナの中盤の両サイドのMFは、タイプが異なる選手が使われていた。「使われていた」というよりも、レギュラーとして使える選手が彼ら以外にいなかったという選手層の薄さが現実にはあった。そこでアンチェロッティは、サイドでプレーするマルコ・スケナルディが、ドリブルが得意で1対1に強いという適性を見抜いて、スケナルディにはワイドに開いたポジションから縦に突破してセンタリングを上げるように指示した。

 もう一方のサイドにいるピエトロ・ストラーダは、戦術眼に優れた選手でパスが正確だったので、ピッチの中に入り込んで相手のDFラインを下げさせるためにミドルシュートを打つことや、FWへのラストパスを供給することを命じた。

 この当時のアンチェロッティ氏は、まずシステムがあってそこに選手の質を見抜いて味付けするというやり方だった。

サッキの教えからの脱却

 レッジャーナの実績を買われたアンチェロッティ氏は、1996年にパルマの監督に迎えられ、さらに1998年のシーズン途中からユヴェントスの監督に就任する。

 パルマ時代も[4-4-2]のシステムを採用するのだが、このチームには、イタリア代表のGK(ゴールキーパー)のジャンルイジ・ブッフォンやDFにファビオ・カンナバーロ、さらに元フランス代表のリリアン・トゥラムのようなワールドクラスのDFがいたので、守備に重点をおいた[4-4-2]になっていた。

 システムを最優先に考えて、システムに選手を当てはめていたやり方は、パルマ時代が最後だと言っていい。確かに、2011年に監督になったパリ・サンジェルマンでは、[4-4-2]を採用した。しかし、それは就任初期[4-2-3-1]などいくつかのシステムを用いて選手の質を見極めた結果の策であった。

 アンチェロッティ氏が、「システム優先主義」から「選手の質に合ったシステム」を作り上げていくきっかけになったのは、ユヴェントスの監督になってからである。なぜならば、当時のユヴェントスには、絶対的で特別な存在と言われるフランス代表だったジネディーヌ・ジダンがいたからである。ジダンがどれだけ絶対的で特別な存在だったのかを物語るエピソードがある。

 アウェーに遠征するためにチーム関係者と選手が出発準備をしていた。しかし、時間になってもなかなか出発しないので、アンチェロッティ氏は関係者に「出発はまだかね」と尋ねる。関係者から「ああ、ジダンを待っているんです」との解答をもらう。普通ならば、遅刻した選手がいたらその選手を待たずに出発するだろうし、後から罰金が課せられることになる。しかし、当時のユヴェントスはジダンにそうした処置をとらなかった。ジダンがやって来るまでみんなで待っていたのだった。

 このようにピッチの外でも特別扱いを受けたジダンは、もちろんピッチの中でも特別な存在だった。そのためにアンチェロッティ氏は、ジダンが活きるようなシステムを作り出さなければならなかったのだ。そこでアンチェロッティ氏は、FWの2トップの下にジダンを配置したシステム[3-4-1-2]を採用することになる。つまり、選手の特徴と個性を活かすようなシステム作りへと思考を変えていったのである。このことは、サッキ氏の教えからの脱却を意味していた。

ミランとチェルシーの「クリスマスツリー・システム」

アンチェロッティ

2001年にミランの監督になったアンチェロッティ氏は、2008年まで8年間に渡って長期政権を築き上げる。ユヴェントスで採用した3バックシステムから、慣れ親しんだ4バックシステムに変更できるチャンスがやってくる。なぜならば、ミランは、歴史的に「4バック至上主義」だからである。ミランは、どんな監督に対しても「4バックを崩さなければ、それ以外は自由にやっていい」という教義をうたう。

 2003年にブラジル代表のカカが加入したことで、アンチェロッティ氏はカカの能力を活かすために[4-3-1-2]を採用する。ジダンの場合のトップ下とは違って、FWを追い越してDFの裏へ抜け出すカカのプレーを引き出すための有効なシステムだった。

 このころのアンチェロッティ氏には、システムを優先してそれにこだわる必要性がなくなってきたと思われる。そうした思考の転換の象徴として、クリスマスツリー・システムと言われる[4-3-2-1]が作られたのである。このシステムは、「選手の質に合ったシステムを用いて勝利する」というタスクを監督自らに課したようなもので、それは次の3つの考えに基づいている。

【1】チームにいる多くのトッププレーヤーの持ち味を引き出すため
【2】ポジションやプレースタイルが重なる複数の選手を全員起用するため
【3】攻撃的で質の高いサッカーを通して勝利するというクラブの哲学をかなえるため

 このタスクを可能にするために、アンチェロッティ氏は選手たちと何度も議論を重ねたという。その結果、「4バックの最終ライン」、「ピルロを真ん中に置いた3人のMFの並び」、「2人のトップ下」「CF(センターフォワード)の起用」という4つの柱が築かれた。

[4-3-2-1]のメリットは、4つのラインを作って陣形を整えられることによって、それぞれの選手が均等にピッチに配分されるので、コンビネーションよく動けるし、トライアングルを使ってのパス交換に安定性が生まれることで、逆に、ポジションチェンジを使った動きには意外性が発揮される。

 2009年にプレミアリーグのチェルシーの監督に就いたアンチェロッティ氏は、ミランと同じ[4-3-2-1]のクリスマスツリー・システムを用いた。これには、イングランドでは4-4-2を採用しているクラブがいくつかあったことから、中盤が5人対4人の数的有利になれるという理由でこのシステムを採用したという。その際に、2人のトップ下のうちの1人である元フランス代表のフローラン・マルダをタッチライン沿いに開かせた。なぜならば、3人のMFの中で得点力が高いフランク・ランパードの能力を活かすために、ランパードが前線に上がりやすいように道を作ったからである。

レアル・マドリードでの[4-3-3]の狙い

アンチェロッティ

 アンチェロッティ氏は、2011年にフランスリーグ・アンのパリ・サンジェルマンの監督になる。前述した通り、最終的に[4-4-2]のシステムに落ち着いた。2012-13シーズンにおいて、19年ぶりのリーグ優勝をもたらしたアンチェロッティ氏に次なるオファーが飛び込んでくる。スペインリーガエスパニョールのレアル・マドリードからの監督就任要望である。

 2013年にレアル・マドリードを指揮するアンチェロッティ氏は、[4-3-3]に落ち着くまで[4-2-3-1]などいくつかのシステムを試みた。しかし、[4-2-3-1]だと中盤のMFが2人になってしまうので攻守のバランスを崩してしまったことから失点する機会があり、その対策として中盤のMFを3人にして、相手と数的同数あるいは数的優位な状態で戦うことを選んだ。

 ロナウドとベイルを3トップの両サイドに配して、真ん中にはクロースをゲームメーカーに置く。ボールポゼッションによって自分たちがゲームを支配するという戦い方をして、ショートカウンターの場合であっても、サイドから攻撃の起点を作ることを約束事にしている。なぜなら、ロナウドとベイルの突破力とスピードを活かすために、サイドバック、インサイドハーフの連係から攻撃の活路を見出すという戦術をとっているからだ。そのために、[4-3-3]の中盤は逆三角形で3トップの両サイドはワイドに開いたポジションをするのである。

 このシステムで戦えば、この戦術で戦えば、絶対に勝てるというものはこの世界に存在しない。問題なのは[4-4-2]、[4-3-3]というシステムではない。チームにどんな特徴をもった選手がいて、それらの選手を最大限活かすためにはどんなシステムが必要なのかを考えることが重要なことなのだ。
サッキ氏は以前こんなことを述べたことがあった。

「選手の個々の能力よりも戦術が優先する」

 サッキ氏の発言をもっと進化させた言葉を語るに違いない、今のアンチェロッティ監督は、「選手の質によってシステムは採用される」と考える監督の代表的な存在になったと言える。

文=川本梅花

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