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OB選手たちの現在――岡田佑樹(元コンサドーレ札幌)「自分がやりたいと思うことを考えたり、イメージしておくことはすごく大切だと思います」

2014.11.28

[Jリーグサッカーキング 2014年12月号掲載]

Jリーガーたちのその後の奮闘や活躍を紹介する本企画。今回紹介するのは、2003年から5年間コンサドーレ札幌でプレーし、現在は札幌市内でカフェを経営する岡田佑樹さん。現役時代からインテリアを趣味とした彼は、引退後のカフェ経営に向けて着々と準備を進め、充実したセカンドキャリアを過ごしている。自らを「珍しいケース」と語る彼の半生と、独特の人生観に迫った。
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文=Jリーグサッカーキング
取材協力=Jリーグ 企画部 人材教育・キャリアデザインチーム
写真=大橋泰之、Jリーグフォト

プロになりたかったわけじゃない

「本当は、プロになりたかったわけじゃないんですよ」

 11年間に及ぶ選手生活は、決して自ら望んで手にしたものではなかった。そう言って岡田佑樹は、コーヒーを入れながら当時のことを振り返った。

 静岡の名門・藤枝東高を卒業したのが2002年。同級生に日本代表MF長谷部誠(現フランクフルト/ドイツ)、1学年下に成岡翔(現アルビレックス新潟)らを擁したチームは冬の全国高校サッカー選手権大会出場という目標を果たせなかったものの、そのチームで中核を担った岡田にもプロクラブからのオファーが届いた。しかし、かねてから大学進学を希望していた彼は、このオファーを固辞。父はプロの世界に飛び込むことを勧めたが、「自分が長く活躍できるとは思わなかった」という彼の心は簡単には動かなかった。ところが、想定外の出来事によって「堅実派」だった岡田の予定が狂わされることになる。

「一応、サッカー推薦という形での大学進学が内定していたんです。だから安心してセレクションを受けたんですが、まさかの不合格という結果になってしまって……。『そんなことあるの!?』と自分でも驚きましたけど、勉強は嫌いじゃなかったので翌年、一般受験をすることにしました。それまでは、予備校に通う浪人生ですね。ただ、大学でもサッカーを続けるつもりだったので、体が鈍らないように社会人のサッカーチームに入れてもらったんです」

 彼が加入したのは、当時、社会人東海リーグ1部に在籍していた中央防犯藤枝SC(06年に解散)である。インターネット上で見る彼のキャリアには「プロ入りの願い叶わず」と書かれているものが多いのだが、それが間違いであることを岡田は笑いながら指摘した。

「インターネットでそう書かれているものが多いんですけど、実はそうじゃないんですよ。ちゃんと高校時代から、オファーはあったんです(笑)」

 受験勉強と社会人リーグでのプレーを両立した岡田は、順調な浪人生活を送っていたと言っていい。そうして迎えた02年末、彼の下に1本の電話が入った。

「僕が高校時代に川崎フロンターレでスカウトをしていた城福(敬/現仙台育英高サッカー部監督)さんがコンサドーレ札幌のスカウトになることになって、そのタイミングで『どうしているんだ?』と連絡をくれたんです。一度は断ったのに、ずっと気に掛けてくれていたことがうれしかったですね。ちょうどその頃、実は事故にあってしまって勉強ができなかったんです。センター試験は受けたんですが、いろいろと考えた結果、コンサドーレのキャンプに参加することに決めました」

 ブランクもあるし、そもそもプロになりたいと強く願っていたタイプではない。正直に言えば、「一度はJリーガーになっておこう」という生半可な気持ちでプロの世界に飛び込んだことも事実である。だから、もちろん最初からピッチに立てるなんて思わなかったし、プロの世界で簡単に通用するとも思わなかった。ところが、この年のチームを率いたブラジル人監督ジョアン・カルロスは、6月14日の湘南ベルマーレ戦で岡田をピッチに送り込む。03年は16試合、翌04年は26試合、さらに05年は38試合と、彼はMFから右サイドバックへとポジションを変えながら、順調に出場試合数を伸ばしていった。

「楽しかったですね。当時はコンちゃん(今野泰幸/現ガンバ大阪)のように才能のある選手も、ウィルのように高給取りの外国籍選手もいて(笑)。僕は人見知りなので最初はものすごく緊張していたんですが、思い切ってプレーさせてもらいましたし、みんながサポートしてくれました。やっぱり、初ゴールを決めた試合(03年第21節大宮アルディージャ戦)のことは忘れられません。あのゴールがキャリアの中で最もキレイなゴールだったし、札幌ドームでの試合だったので。大観衆の前でプレーして、ゴールを決めて、本当に幸せな時間でした」

 もちろんサポーターの後押しも、当時の岡田にとっては大きな原動力となった。

「携帯電話に保存してある動画を、今でもたまに見るんです。コンサドーレに来たばかりの頃、札幌ドームで見たサポーターの迫力に圧倒されて、感動して動画を撮っていたんですよ。あの頃は本当にすごかったですね。自分がプロになったことを実感しました」

 それでも、プロに対する意識が大きく変わったわけではない。その瞬間がサッカー選手としてどれだけ幸せでも、それが何をきっかけに、いつ終わるか分からない。もともと一つのことに没頭するタイプではない。だから常に気分転換となる何かを求め、できるだけ時間を有効に使いたいと考えていた。その一つが、趣味の一つと言える「インテリア」を楽しむためのカフェめぐりである。オフの日は決まって札幌市内の洋服店やカフェを回り、インテリア鑑賞を楽しむ時間を過ごしていた。

頭の中で描いていたイメージどおりの時間

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 4年目の06年、岡田はベンチ入りすらできない苦しい時間を過ごした。一度は戦力外通告を受けることも覚悟したが、翌07年も契約を延長。しかし、それでも出場機会は与えられず、慣れ親しんだ札幌を離れる決断を下す。

「結局、ゼロ提示を受けることになるんですが、練習をしていても自分が負けているとは思いませんでした。選手としての自信はあったんです。だから、移籍先を探すことにしました」

 そうして岡田は、実力を高く評価してくれた栃木SCへの移籍を決断する。舞台はJ2より下のカテゴリーであるJFLだったが、「ぜひ来てほしい」という一言が何よりうれしかった。翌08年、栃木はJ2への昇格を成し遂げ、岡田は中心選手の一人として30試合に出場した。そしてこの頃から、セカンドキャリアに対するイメージが明確になり始める。

「コンサドーレでの最後のシーズンあたりから、『カフェをやろうかな』と考えていた気がします。栃木に移籍したのが25歳の時。何とか30歳までサッカーを続けて、それから先をセカンドキャリアにしたいなと」

 そう思い立ってからの実行力は実に素晴らしい。

 Jリーグ・キャリアサポートセンター(当時)のシステムを利用して空いている時間をパソコンや英語の勉強に費やし、08年にはコーヒーと紅茶の通信教育に取り組み、野菜ソムリエの資格も取得した。そうした時間を過ごしながら「サッカーは30歳まで」と再び心に決め、栃木で3年、水戸ホーリーホックで2年、さらに地元・藤枝に誕生した藤枝MYFCで1年と、選手としてのキャリアを重ねた。J2では3クラブをわたり歩いて173試合、JFLでも37試合に出場し、通算出場試合数は200を超えた。

「できればもっとたくさん稼いで、40歳くらいまでプレーするのが理想的ですよね。でも、それができるのはほんの一握りの人だけ。サッカーの世界で生き残るために必要なのは、実力だけじゃないと思うんです。僕はたぶん、性格的にそういう世界で生き抜くことが苦手だった。思えば、子供の頃から“選抜チーム”というのが嫌いで、知らない人の中に入っていくのがイヤだったんですよ。そういう意味では、やっぱりサッカー選手という職業にあまり向いていなかったのかな(笑)」

 とはいえ、結果的には長くサッカー界に身を置き、20代のすべてをサッカー選手として費やした。その世界を飛び出そうとすることに恐怖心はなかったのか。

「もちろん自信があったわけじゃありません。でも、逆に、少しでも早くサッカー界から出て、違う世界に行かないとダメだと考えていました。何をやるにしても、若い頃から取り組んでいたほうがいい。だから、正直に言えば葛藤もありました。好きなサッカーは続けたい。でも、その後のことを考えれば少しでも早くやめたい。それが遅れるほど恐怖心が増すので、ジレンマはありましたね」

 危機感を常に持っていたからこそ、岡田は頭の中にあるイメージを形にすることに努めた。水戸に在籍した11年からの2年間、彼はセカンドキャリアに向けた試験的な意味でカフェを開き、プレーに影響が出ないように注意しながら自らも厨房に立った。

「利益を出そうとしていたわけではなく、将来のための勉強としてオープンしました。メインで働いていたのは妻です。アルバイトも雇いましたし、僕自身もできる範囲で手伝いました。あの経験が大きかったですね。とても有意義な時間だったと思います」

 藤枝でプレーした13年は、週に一度のコーヒー教室に通った。

「調理にはある程度の自信があったんですが、カフェをオープンしたいという願望がありながら、コーヒーには自信がなかったんです。そんな時に近所でコーヒー教室が開催されていることを知って、通い始めました。だから、最後の1年は勉強しながらサッカーを続けていたという感じですね。ものすごく勉強になりました」

 果たして岡田は、頭の中で描いていたイメージどおりの時間を過ごし、サッカー選手としてのキャリアに幕を下ろす。

 今年7月31日、引退直後から進めてきた準備がようやく実を結び、岡田は札幌市西区山の手に『C2カフェ』をオープンさせた。記念すべきセカンドキャリアのスタート地点に札幌を選んだ理由は至ってシンプルである。自分の店を持つなら、世話になった土地がいい。生まれ育った藤枝か、それとも札幌か、水戸か、栃木か……。いくつかの選択肢の中から選んだのは、サッカー選手としてのキャリアのスタート地点となった札幌だった。

ファーストキャリアにも生かすべき価値観

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『C2カフェ』は大通りに面した好立地にあるが、店構えは分かりやすいとは言い難い。実は、それも「カフェに派手な看板は似合わない」という岡田のこだわりの一つ。自分の好みを反映する苦労は「想像以上だった」というが、店内に足を踏み入れればそうしたこだわりもよく伝わってくる。当然のことながら、コーヒーを入れる仕草に元Jリーガーの面影はない。

「今の仕事も、すごく楽しいですよ。水戸時代にカフェで経営に関わっていた分、ある程度のイメージを持って取り組めていることが大きいですね。でも、自分はまだこの仕事を始めたばかりなので、常に勉強させてもらっています。やりたいこともたくさんあるし、ある意味、伸びしろもあるので面白いですね」

 単純にコーヒーを「おいしい」と言ってもらえることが、今の岡田にとって何よりの喜びである。もちろんインテリアや料理を褒められることもうれしい。オープンしたばかりの頃は、コンサドーレのサポーターも多く足を運んでくれた。心から望んだ道ではなかったのかもしれないが、やはりサッカー選手として過ごした11年間という時間も今の仕事にプラスに作用している。

「やっぱり、サポーターが足を運んでくれることはうれしいですよ。『サッカー選手が経営しているカフェ』という見られ方をされることも、僕にとってはプラスです。オープンしたばかりの頃は、お客さんの3分の1がコンサドーレのサポーターの方でした。いろんな人に喜んでもらうためにも、どこよりもおいしいコーヒーと料理を提供したいですよね。負けん気は強いほうなので、頑張りたいと思います」

 岡田のセカンドキャリアはまだ始まったばかりだが、早くから頭の中に“第2の人生”のイメージを描いてきた彼である。今後について聞いてみると、「あまり大きなことは言わないようにしているんですけど」と穏やかに笑いながらこう話した。

「やっぱり、経営者である以上、ビジネスとしてしっかり成り立つように頑張りたい。具体的には、去年から力を入れているコーヒーの世界で認められるように、少しずつ努力していきたいと思います。僕は目標を口にするタイプではないのですが、今のところは、何となくそんなイメージを持っています」

 サッカー選手としてのファーストキャリアにおいては、彼の例は非常に珍しいケースと言えるだろう。プロになりたかったわけではないが、出会いに導かれてその世界に飛び込んだ。ピッチに立つ喜びを感じながらも、趣味に費やす時間もしっかりと確保した。そこから学ぶ意欲が高まり、学びながらセカンドキャリアに対するイメージを明確にした。そしてそれを行動に移し、好きなサッカーを存分に楽しんだ後で、また別の好きなことに没頭し、それを仕事としている。

「僕は珍しいケースだと思いますよ(笑)。人にはそれぞれの考え方があるし、境遇も違う。だから、セカンドキャリアに対する一つの答えなんてないと思うんです。ただ、中途半端にしないということだけは大事だと思いますね。サッカーだけに集中するのもいいと思いますし。僕もそれができれば良かったと思うこともありますから。こればっかりは分からないですよね。でも、自分がやりたいと思うことを考えたり、イメージしておくことはすごく大切だと思います。まあ、現役の頃からそれを行動に移していた僕は『ヘンなヤツ』と思われていたかもしれませんけどね(笑)」

「やりたいこと」を見つけるのは、決して簡単ではない。しかし、もし少しでも心に引っ掛かることがあるなら、恐れることなくトライしてみるべき。岡田のそうした考え方は、セカンドキャリアだけでなく、サッカー選手というファーストキャリアにおいても大切な価値観であることは間違いない。

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