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【インタビュー】高原直泰、実直な情熱「SC相模原が最後のクラブだと思っている」

2014.11.11

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写真=小林浩一、Getty Images インタビュー・文=小谷紘友

 日本での眩い実績は、もはや言うまでもない。アルゼンチンの熱情に身を投じ、ドイツの大男達と対峙し、韓国での挑戦を経た彼の新天地は、今季新設されたJ3だった。

 3月の開幕後、電撃加入を果たした先は、SC相模原。創立7年目の若きチームで、何ものにも代え難い経験を引っ提げ、高原直泰は新たな戦いに挑んでいる。

昔の自分を知る人にとって、今の自分はあり得ない

――現在(第31節終了時点)まで21試合に出場して5ゴールを挙げていますが、手応えはいかがですか?
「個人としては、はっきり言えばそんなにないですね。常に結果にこだわって生きてきたので、自分のプレーがどうこうというより、結果が伴っていないという意味で、全然良くないですね。クラブとしても似たような感じ(第31節終了時点で6位)で、まだ足りない部分が多い。試合結果でも、それ以外でも改善しないといけない部分がたくさんあると思います。全てがすぐに上手くいくわけではなく、自身のプレーもチームとしても色んなことにチャレンジして、そこから上手くいくこともありますし、修正しないといけないところもあります。それはやってみないとわからないことで、学ぶことでより良くしていければという感じですね」

――創立7年目のクラブということで、一から作り始めている楽しさはありますか?
「クラブとしてはあると思います。どうやれば相模原や周囲の人々が、試合に足を運んでくれるのかを考えたり。選手としては、来てくれたお客さんにある程度満足してもらい、また試合を見に行こうという気持ちにさせないといけない。これまで所属したクラブはある程度基盤が出来上がっていたので、あまりそういうことを心配しなくても良かった。相模原はこれから作り上げていく段階で、今まで自分がやってきた環境とは全然違う。そういう意味でのやりがいはありますね」

――ネームバリューと実績から、高原選手が町中にいると声を掛けられることも多いと思います。
「たまにその辺をウロウロしていますから、結構ありますよ(笑)。普通に『あれ、高原さん?』と声をかけられて、『ああ、どうも』みたいな感じですね。そこから、『どうしているんですか?』となったりするので、『今はSC相模原というクラブでやらせてもらっているので、もし良かったら足を運んで見に来てくださいね』という話をしたりします。だからこそ、クラブには自分を上手く使って欲しいですね。自分もメリットを感じて加入し、プレーしているので、クラブにも上手く使える時は使って欲しい。SC相模原というクラブを、相模原市民をはじめ、より沢山の人々に知ってもらうためなど、好きなようにどんどん使って欲しいですね」

――今年発足したJ3というカテゴリーで、想像と違った点や想像通りだった点はありますか?
「両方ありますね。中には技術的な部分だけで言えば、もっと上のカテゴリーに在籍できる選手もいます。ただ、全てで良いものを持っているならば、実際に上のカテゴリーでプレーしていると思うので、やはり何か足りないんだと思います」

――足りないところは、具体的にはどういう部分でしょうか?
「基本的に良いなと思う選手は、ボールをしっかり持てて、上手いんですよ。ただ、判断やボールを奪われた後の切り替えが遅いですね。上のカテゴリーとの差は、そういう細かい部分をほぼ無意識でできるかどうか。これは一つの例ですけれど、細かい部分の意識が足りないと、上に行けば行くほど逆に目立ちます。その部分を当たり前にやる選手達が上のカテゴリーにいて、その中で技術的に秀でている選手が更に上に行くと思います」

――そういう気付いた点をアドバイスしたりもするのでしょうか? 自分で気付かないとわからないという考え方もあると思います。
「もう少しこうした方が良いのでは、ということは言いますね。それは、以前に在籍した東京ヴェルディや清水エスパルスのときもそうでした。若い選手と一緒にプレーすることが増えたので、今までの経験上、気になった時はなるべくアドバイスしようとしています。ただ、言われたことを全て聞く必要はないと思います。聞く耳を持って、その中から生かせるものを意識してやってもらい、自分なりに上手くこなすことに少しでも役立てばいいかなと。自分自身、自ら聞くことはなかったですが、ジュビロ磐田の時は周りがほぼ代表選手だったことで一緒にやるだけでも上手くなりましたが、その中でもちょっとアドバイスしてもらったことを自分なりに解釈していました。人の意見や話をまずしっかりと聞いてみる。最初から『俺はそうじゃないです』ということではなく、相手も自分のことを思って言ってくれるわけですから。相手の言っていることをまず真剣に聞いて、それから自分なりにやっていこうと。色々考えながらやることは、大事だと思いますね」

――過去に自身が受けたアドバイスや気づいた点で、今でも残っていることはありますか?
「やはり、中山(雅史)さんと一緒にやらせてもらったことですね。一緒にプレーさせてもらう中で見て感じた部分ですが、ボールのない時の動き出しはすごく勉強になりました。ただ、アドバイスを受けるというよりは、自分がミスすることで学ぶこともありました。ミスをして色々言われると、ミスをしたという自覚を持ちますよね。同じようなミスを繰り返していたら試合には出られないでしょうし、ジュビロでは周りが上手かったので単純なミスは練習中からほとんどありませんでした。だから、簡単なミスをするとすごく目立ってしまいます。そういう緊張感が練習からある中でやらせてもらっていたので、非常に助かりました。今はチーム全体のレベルもあって、そういう緊張感を出そうと思っても、なかなかできないんですよね。どうやったら上手く伝えられるかなと。選手という立場でどれくらい力になれるかはわからないですけど、やれる範囲でアドバイスをしているつもりです」

――以前からそういう考えは、持っていたのでしょうか?
「(2011年に)エスパルスに移籍した頃からだと思います。今までの自分の考え方やスタンスだけではちょっとダメかなと。自分自身でも変わらないといけないということだったと思います。自分自身のサッカー観はそんなに変わっていないと思いますが、対応は劇的に変わりましたね。それまでは『俺は俺』という感じで、他の選手にも言わなくても感じて欲しいと思っていましたが、それではやはり伝わらないなと。もちろん、伝わる選手には伝わりますが、より分かりやすく教えてあげるには、気付いたところを普通に伝えてあげることが一番いいと思いました。やはり、伝えたことで選手達が意識して、少しでも成長や役に立てばいいですからね」

――劇的だったのですね。
「そうですね。だから、昔の自分を知る人にとって、今の自分はあり得ないと思いますよ(笑)。簡単に言えば、丸くなったということですね」

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町の人に愛されていなかったら、名門にはなれない

――SC相模原に移籍した際は、若手へのアドバイスなどでクラブから要求はありましたか?
「一番言われたことは、『選手の意識を変えて欲しい』ということですね。ただ、やりながら、結構難しいことだなと思いました。J1などを経験した選手もいるとは思いますが、ほとんどが今まで経験したことのない選手ばかりですから。経験のない選手達に、どうやったら伝わるのかと。だから、できる範囲は限られるかもしれないですが、あまりに集中力を欠いたプレーや、練習の雰囲気がチーム全体ですごく緩い時とかは、檄を飛ばしたりはしています」

――ジュビロでは、ドゥンガさんや中山さん、藤田(俊哉)さん、名波(浩)さん達が在籍していましたから、そういう場面も少なかったと思います。
「そうですね。それに、高校を卒業してから加入しましたが、もう本当に周りが上手過ぎましたね。周りは普通にやっていたと思いますが、先ほど言った通りミスをしないんですよ。その中に自分が入って、簡単に取られたりすると、ドゥンガに練習中でも試合中でも結構怒られましたね。一番激怒されたことは、試合でゴール前まで自分でドリブルして、そのままシュートを打ったら、ブロックされてしまってCKになった時。その時に中山さんがフリーでいたので、ドゥンガから『パスを出しておけば中山がフリーで打てた』と、『お前は、そんなに一人でやりたいなら全部やれ』と言われて。そこからCKやFKを全部蹴らされましたね」

――すごいエピソードですね。
「その時は結構、『カチン』と来るんですよ(笑)。ただ、終わった後とかに冷静になって言われたことを振り返れば、そういうことも意識しながらやっていかないといけないなと思いました。もちろん、結果的に強引にシュートを打って決まっていたら別に何も言われなかったと思います。FWとして、強引にいかないといけない部分もありますから、その判断は難しいですよね。まずゴールが一番ですが、その中でも少し冷静になれて、言われたからこそゴール前での選択肢も意識します。言われたことを考えて、自分の成長に繋げていく。それは若ければ若いほどいいのかなと」

――当時は加入間もない頃だったと思います。
「その時は18歳でしたね。若いうちに色んなことを言われ、『カチン』ときてイライラしながらも、若いなりに何とか考えて生かしていたという部分がありました。だから、今のチームでも、自分に少し言われたとしても、あんまり落ち込むなよと(笑)。『プレーの選択肢として、もっとこういう場所が見られなかったか』とか、『もっとこうした方が良いんじゃないか』など言うこともありますが、全て良かれと思ってですから。ただ、勝ちたい気持ちが一番にあるので、試合中とかに溜まったものがたまに爆発するときがありますが、そういうことも気にしないでくれよとは言いたいですね(笑)」

――高原選手が『相模原のドゥンガ』になることもあるのでしょうか?
「ドゥンガみたいにはならないですけど、それに近い存在ぐらいになっていければなと。ドゥンガには、よく日本語で『バカヤロー』と怒られていましたけれど(笑)。そういう感じではなくて、少しでもアドバイスになるように、なるべく的確に気づいた時に言えればいいなとは思っています」

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――高原選手は国内外の名門でプレーされてきましたが、SC相模原が名門クラブに成長していく上で必要なものはどういうものでしょうか?

「クラブがより成長していくためには、この町の一部になっていかないといけないと思います。ホームゲームがあるならば、町の人々が『相模原の試合を見に、みんなスタジアムに行くぞ』と、当たり前になることがすごく大事ですね。だからこそ、どうやれば色んな人にSC相模原のことを知ってもらい、試合に見に来てもらえるのかが、クラブが発展していく上でも、すごく重要なことだと思います。とにかく色んな人々に知ってもらって、スタジアムにまず来てもらう。そうしたら、あとは選手達が頑張るしかないですから。それを地道に続けて、松本山雅のようにホームゲームで毎試合1万人が入ることが当たり前のようになればいいなと。この町の色んな人々から愛されるクラブになることが、今後何十年で名門になっていくための大事な要素になってくると思います。やはり町の人に愛されていなかったら、とてもじゃないですけど名門にはなれないですよね」

――高原選手も在籍したアルゼンチンのボカ・ジュニアーズでは、スタジアムに併設されたミュージアムに歴代所属選手の写真が飾ってあり、選手への敬意を感じました。
「自分達も町の人々に敬意を払うんですが、周りの人々も自分達に対してすごく敬意を払ってくれるんですよね。互いにリスペクトしていることが自然になっているので、そういう風に将来的になっていければなとは思います」

――移籍の経緯になりますが、クラブの代表を務める望月(重良)さんに声を掛けられたことが加入のきっかけでしょうか?
「そうですね。在籍していたヴェルディに残っても、試合に出られない、使われないという状態だったと思います。それなら、残ってもしょうがないと。移籍期限の終了が約一週間後に迫っていましたが、望月さんから連絡が来て、手続きの問題もあるので『すぐに返事が欲しい』ということだったので、すぐに『行きます』と言いましたね」

――移籍について、誰かに相談したり、クラブについて調べたりはしましたか?
「全くしていないですね。そんな時間もないぐらいでした。とにかく、自分が思ったことはプレーしていないといけないということ。今までの経験から、練習しているだけでは何も得られない。とにかく公式戦でプレーすることが選手にとっては一番で、自分としては、プレーできる場所を与えてくれるクラブに行く必要がありました。そういう意味で、タイミングが合って望月さんから連絡が来たということで、迷うことなくほとんど即決でしたね」

――望月さんからは『ピッチで輝く姿を見たい』と言われたと聞きました。
「それは言われましたね。それと、先ほどの『意識を変えて欲しい』ということです。大きく言えば、自分自身とチームに対しての2つのことでした」

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相模原が最後のクラブだと思ってプレーしている

――シーズン終盤になりましたが、達成感はどのように感じていますか?
「やはり、人間はどんどん欲が出るんですよね。最初は、とにかくプレーするところを確保したかった。そこから試合に出ると、今度は自分自身の結果も出して、チームの勝利も得たいという気持ちになります。そうなると、満足度は20パーセントぐらいですかね」

――100パーセントはどのあたりを想定していましたか?
「チームとしては優勝ですね。個人としては、現時点でプラス10ゴールぐらい奪っていないと満足はできないかなと。ただ、個人の満足度は、キリがないんですよね。だから、そこはあんまり気にしていないというか。自分の目指すものをしっかりと持っておけばいいだけですから。一方で、クラブの目標は自分だけでは達成できません。そういう意味では、仮にクラブの目標を達成できた場合は、かなりの満足度があると思います。なので、クラブの達成度は、もしかしたら10パーセントぐらいになるかもしれないですね。一人ではできないし、ピッチに立つ選手だけではなくて、ピッチに立てない選手もいる。でも、そういう選手達が集まって一つのチームにならないと、良い結果は得られないと思います。本当に難しいことですが、そういう集団でありたいですよね。自分達の目標を達成するために、現状の立場では満足できない場合もあるでしょうし、それでも自分の思っていることを我慢して、チームのために頑張ったりすることもどうしても必要になってくるのかなと。昔の自分なら絶対に我慢できないなと思いますけれどね(笑)」

――ちなみにですが、所属クラブによって、『やりがい』も変わってきたりしますか?
「やりがいは、自分がどう思うかですね。クラブによって目標としているものは違いますから、自分がそのクラブで何がやりたいか。だから、その都度やりがいも変わってきますが、それを見出せるかどうかですね。このクラブで何ができるだろうか、どういうことをもたらすことができるか、自分は何に貢献できるかなどですね。だから、一番大事なことはクラブのビジョンがはっきりしていることになります。それに、自分が乗っかることができるか。自分の考え方は昔気質という感じで、やると決めたら、自分の全てを捧げるぐらいの感覚でやりますから。それこそ考え方が変わってきたことに繋がるかもしれませんが、最近は『ここが自分の最後のクラブ』と思ってやってきました。でも、結局頑張っているけれどなぜか短命で終わっちゃうというか、自分の気持ちとは裏腹にあまり長くいられないというか(笑)」

――情熱が強すぎるのでしょうか。
「どうなんですかね、わからないですね。エスパルスの時は他クラブからも条件の良いオファーをもらって、サッカー選手ということだけを考えたらそのオファーを受けた方が絶対に良かったと思います。ただ、自分の考えでは、エスパルスは自分にとってサッカー選手として育ち、基盤を築いてきた町にあるクラブ。高校生の時もお世話になり、卒業した時にも誘ってもらいながら行けなかった。自分の中にそういうものが残っていた部分があったので、エスパルスに入りました。ただ、条件の良いオファーを断ってこのチームで終わろうと本当に思っていたんですけど、それは自分が勝手に思っていたことなのかもしれませんね。けれど、それだけの情熱を持ってやってきましたし、今こうして相模原にも同じぐらいの情熱を持ってやって来て、ここが最後のクラブだと思ってプレーしています。ただ、それも自分で勝手に思っているだけですけどね(笑)」

――すごく寂しい感じになってしまいます。

「それでも、望月さんは元々プロサッカー選手としてやってきて、日本代表でも一緒にプレーさせてもらっていましたから、自分の思いは伝わっているかなと。だからこそ、更に頑張りたくなります。代表が選手経験者という場合だと、やはり選手の気持ちを分かってくれるというところが、一番ありますね。サッカー選手も一人の人間で、特に自分は気持ちの面で動く部分が大きいですから。自分の気持ちを受け止めてもらえると、余計に『この人のために頑張りたい』と思うんですよ」

――昔気質という意味が、すごく伝わってきます。
「義理人情というか、そういう考えなんですよね。そういう部分をすごく大事にする性格なので。だからこそ、望月さんにバシッと気持ちを受け止められると、『よーし、俺もまた頑張っちゃおうかな』となるんですよね(笑)」


 情熱の炎は、時として身を焦がすのだろうか。もちろん、巡り合わせや各チームの事情はあるが、あまりに実直な生き様は不器用にすら映ってしまう。

 ただ、その巡り合わせの妙が、SC相模原を引き合わせる結果にもなった。

 優勝した2000年のアジアカップをはじめ、日本代表の同僚だったクラブ代表を務める望月重良氏は、「まだ引退するには早いし、もっと活躍できると思う。ピッチに立っていなければいけない存在」と高原を評し、「情熱というか、我々はクラブの意志を彼に伝えただけで、それを感じ取るかは本人次第だった」と獲得の舞台裏を明かしている。

 互いの情熱が共鳴したことで成立した電撃移籍から8カ月。高原直泰という稀代のストライカーは、確かなやりがいを感じながら、今もなお実直にゴールを追い求めている。

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