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福島県初のJリーグクラブとしてJ3に参戦する福島ユナイテッドのシーズンを展望

2014.03.07
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 J1、J2が先週末に開幕し、今シーズンから新設されたJ3リーグが、3月9日(日)にいよいよ開幕する。昨シーズンのJFLでの戦いから何がどう変わっていくのか、またチームは何を思っているのか。J3開幕直前レポートとして、チームの今を聞くために、沿道にまだ雪が残る福島を訪れた。

JFLからJ3へ

 昨年、初の全国リーグに挑戦した福島ユナイテッドFCだが、JFL2013シーズンは18チーム中14位と低迷した。チーム在籍8年目と福島ユナイテッドの顔でもある時崎塁選手。昨シーズン途中からDFにコンバートし、新たな境地でプレーするが、J3参入への喜びは、それほどではないと言う。「今年からJ3での戦いになりますが、勝利で勝ち取ったわけではないんですよね。そういう意味では、JFLに昇格した時の方が、嬉しかったですね」と、東北社会人リーグで優勝し、全国地域サッカーリーグ決勝大会を勝ち抜いた2012シーズンを振り返った。「今回は、JFLからJ3にシフトしたというか。でも、やっぱり福島県にとっては、初めてのJリーグチームの誕生で、ユナイテッドもそれを目指してきて、達成されたということは、率直に嬉しいですね。J3では12チームで戦うことになるのですが、福島を含めて9チームが昨年JFLを戦ったチーム。ユナイテッドはその中で順位が一番下なんですよね。今年も相手は変わらないので、昨年の雪辱を晴らしたいですね」

 竹鼻快GMも、その点で時崎選手に同意する。「周りの盛り上がりがあって、TV局を始めメディアも多く取材に来てくれているんですが、あまり期待に添えるようなコメントを言えないんですよね。JFLに昇格した時には地域リーグから全国リーグになりましたが、J3がバタバタと始まっている中で、みんなどうなるんだろう、と思っていて、まさにルイ(時崎選手)の言う通りでね」

 福島に初めてJリーグのチームが誕生したというニュース。まだまだ市民、県民を上げての盛り上がりにはならないが、JR福島駅前に福島ユナイテッドを応援するのぼりがたったり、地元百貨店・中合福島店に、福島ユナイテッドオフィシャルショップができたり。はたまた、スポーツ紙の地域版では、選手インタビューが連日掲載されたりと、街でも福島ユナイテッドを目にする機会が増えている。

 昨年からホームゲームでキッチンカーを出す拉麺家の兵頭社長は、「お店のフラッグを見て、『ユナイテッド応援してるんですか?』って声を掛けてくれるお客さんが増えました。盛り上がってきているけど、まだまだ試合は見たことがない人の方が多いので、是非スタジアムで見て欲しいですね」と語り、中合の福島ユナイテッドオフィシャルショップでオフィシャルグッズを買った50代の主婦は、「震災の時もチームの方がボランティアしてくれて。頑張って欲しいですね。悲願のJリーグなので。いつか仙台や山形とみちのくダービーをして欲しいです」と、震災で街に根付いたチームに声援を送る。

福島ユナイテッドが目指すもの

「J3だからどうという問題ではなく、昨年から今年、今年から来年と一歩一歩積み重ねて、より良いクラブになることだと思います。今までも福島ユナイテッドに関わってきた人たちがいっぱいいて、クラブが小さい時からの積み重ねなんですよ。その重ね方っていうのがクラブによって違うんだろうし、理想形もありますが、Jになったことで、その重ねられる厚みが増していけばいいですね。ただ、新しいリーグなので、過度な期待はしていません。『まだスポーツどころじゃない』という声も聞きますが、我々がしなければいけない最大の目標は、福島の人たちに『ユナイテッドがあって良かったな』と思ってもらうことなんですよ。それには3つの要素があって、まずは、経済効果。そして風評被害の払拭。最後に、サッカーという最高のエンターテイメントを楽しんでもらうこと」と竹鼻GMはチームの目指す方向性について語る。

 Jリーグクラブが地域にもたらす経済効果については、ガイナーレ鳥取でGMを務めた時に経験済みだ。ガイナーレ鳥取は、日本で一番人口の少ない鳥取県からJリーグ参入を目指し、2010年にJFLで優勝し、J2昇格を決めた。J2は1999年に10チーム(J1は16チーム)でスタートし、2011年は20チーム(J1は18チーム)が参加するリーグに成長していた。

「僕の場合、鳥取でJ2に昇格したんですが、J2に上がれた時の地域の喜びは大きかった。J2に上がって、AWAYのお客さんが増えて。鳥取で平均3000人が移動するイベントって、2週間ごとになんてできなかったんですよ。土日に商売していて、試合を見に来ることができない人も、経済効果でそれを感じてもらえた。行政とクラブ、民間の三者がお互いに深い関わりを持って、『サッカーの好きな人にスタジアムに来てもらおう』っていうところから、街づくり的なところへとステージが変わっていったんですよね」

「例えば、福島だと、芝生のグランドを作りたいという目標があります。ユナイテッドの専用練習場ですね。ただ、それも1面だけじゃなく、2面、3面と複数のグラウンドを作る。そうすると、地元の高校や大学が使えて、色々なチームが活用できる。それこそ震災でトレーニング施設としては一時閉鎖してしいるJヴィレッジの役割を担うこともできる。現在、サポートしてもらっている飯坂温泉でスポーツ合宿を企画すれば、20人から40人のチームが3泊、4泊としてくれる。そうするとユナイテッドとしてもお返しができる。『自分たちだけ』ではなくて、地域の人たちにつながる活動をしていかないといけないな、と思います。つまり、関わる人を増やしていかないといけないと思うんですよね」

湘南との提携で、風評被害の払拭も

 2011年3月11日、東日本大震災が起き、福島第一原子力発電所で事故が発生。放射能汚染による危険性から、福島県には立ち入り禁止区域が設定され、多くの人が県内外に避難することになった。3年が経過する今でも県内避難で約9万人、県外避難で約5万人が、自分の故郷で暮らすことができずにいる。さらに追い打ちをかけるように、観光客の足が遠のいたり、福島県産品を購入しないという風評被害が起きた。「福島県民ということだけで、『近くに寄るのは危ない』と言われた時期までありました」と話すのは、除染情報プラザの青木アドバイザー。「今、福島県産の主たる品目として、お米の全数検査を実施しています。2013年の秋に収穫したお米は、放射性セシウムが、ご飯1キロあたり最大でも2.5ベクレル。空気や大地など自然界にも存在するウラン・トリウムでの被ばく数値から考えても、まったく問題のないレベルです」と語る。さらに福島県のホームページでは、あらゆる品目の検査結果が確認でき、問題のないものだけが流通しているという。

 昨シーズン、福島ユナイテッドは、福島県からの県外避難者を招待し、交流を図ること、深刻な風評被害払拭のため、福島県産の物産や観光PRを行うことを大きな目的とし、提携先の湘南ベルマーレのホームタウンでホームゲームを開催した。福島県双葉郡浪江町のB級グルメ「なみえ焼きそば」や福島の地酒を目当てに行列ができた。「今年もお米や物産をクラブが持って行って、もう一歩踏み込んで何かできないかと考えています。湘南のホームゲームでもブースを出して。その出会いから、次にお取り寄せとか、旅行にという風に福島と関わる人が増えていけばいいな、と思っています」と竹鼻GMは語る。福島産は安全だというPRだけでなく、福島県産の物品に触れる機会の増加が、今後大きな意味を持ってくるに違いない。

「2月には、湘南で2週間のキャンプを行って、プレシーズンマッチを平塚でやりました。福島ユナイテッドと湘南ベルマーレのファンクラブのブースを並べると、それぞれのサポーターが、お互いのファンクラブに入ってくれるんですよね。両チームをサポートする方が多くなっていますし、提携2年目で、昨年より浸透してきたかな、と思います」。昨年期限付きで福島に移籍し、今年湘南に戻った白井選手と吉濱選手。「湘南のサポーターは、昨年福島のホームページを見て、白井と吉濱が活躍しているかチェックしていたんですよね。今年は逆に、福島のサポーターが湘南のページで白井と吉濱の今を見る。さらに今年は湘南から5名の選手が期限付きで福島に加わりました。こうして相互に気に掛ける選手ができて、選手やサポーターが行き来することで、マーケットも広がっていくと思います」

 竹鼻GMのビジョンには淀みがない。チームの目指す方向にブレがないことがひしひしと伝わってくる。「エンターテイメントということについては、週末、サッカーの試合を見て面白いと思う人って、人生をハッピーにするツールを一つ手に入れていることになると思うんですよね。『娯楽がない、誇れるものが街にない』と自虐的に福島のことを話す方もおられますが、福島ユナイテッドのゲームがその一つになれると思います。ただ、今シーズンJ3で、すぐにJ2を目指すということも実質できないんですよね。今のスタジアムでは、J2の施設基準をクリアできないんです。かといって、何十億もスタジアムにかけることは、今の福島では難しすぎる。まだ15万人以上もの方が県内外に避難していて、3年が経つのに除染作業が順番待ちで。さらに仮設住宅で不便な暮らしをしている方もおられて。だからこそ、『ユナイテッドがあって良かった』と思ってもらえる人を増やしていきたいですね」

新監督・栗原圭介

 今シーズン、福島ユナイテッドFCの指揮を執るのは、栗原圭介監督。竹鼻GMとは、ベルマーレで共に過ごした時期がある。「福島には縁がなかったんですが、昔一緒に過ごした仲間から、連絡をもらって。前監督の時崎(悠)も一緒にプレーしていて。彼からも『僕自身も安心できるので、是非やってもらいたい』と。感謝であり、喜びですよね。トップチームでの監督経験のない私を誘ってくれた。クラブやスタッフの『一緒にチームを作っていこう』という姿勢にやりがいを感じます。『私ができることであれば、チャレンジしてみたいな』と監督を引き受けました」

 竹鼻GMは、新監督起用の意図をこう話した。「監督っていうのは、選手が30人ほどいて、それにスタッフがいて。そのメンツを同じ方向に向かせて、頑張らせることができるか、そして人間性がどうか、が大事なんですよね。監督は、チームの顔ということもあり、知事やスポンサーにも挨拶に行ってもらっている。そうした仕事も滞りなくできて、キャラクターや人間性に優れている。また、クラブがどういうサッカーを目指すのかっていうのは一番難しい。彼のサッカーはポゼッション。腰を落ち着けてしっかり作ってもらいたいですね。就任からまだ短いですが、期待していた以上にやってくれています」

 栗原監督は現役時代、ヴェルディ川崎でキャリアをスタートさせ、ベルマーレ平塚やアルビレックス新潟、ヴィッセル神戸など多くのチームでプレー。36才で現役を退くまでに、トライアウトへ参加した経験が何度もある苦労人だ。「様々な経験ができたことで、特に現役最後の4年間、視点が変わりました。指導者の立場でプレーや練習を考える視点ですね。それが、今の自分に役立っているし、自分の武器になっていると思います。そのおかげでスムーズに監督になることができました」

 選手時代から、「チームのこと、監督の考えをしっかりと理解しながら、自分らしさを出すことが理想」だと考えていた栗原監督。今もその考えは変わらず、「ある種、エゴイストな部分も必要ですが、バランスが大事ですね。チームとして同じ方向を見ている必要がまずあって。つまり、チームより自分が優先することはありません。福島では、個性を押し出している選手はまだ少ないです。いい意味で同じ方向を向いているからとも言えますね。浸透して定着すれば、変わってくるのかな、とも感じています」

これからの福島のために

 直前に迫ったJ3開幕。2月に降った大雪の影響で、週末に組んでいたトレーニングマッチが開催できないなどの影響を受けた。「雪のために調整が少し遅れていましたが、クラブがここ2週間で多くのトレーニングマッチを組んでくれました。試合をこなすことで、より仕上がってきたな、と思います」。開幕戦は昨年JFLで優勝したAC長野パルセイロ。「長野がどうというよりも、チームとしてやろうとしている形を、よりスピーディーに出せればいいですね。質はこれから。試合を通して新たな難しさが出てくるのではないかと思っています。順位などの目標は実は掲げていないのですが、攻撃的なサッカーをしたいですね。ボールを運んで、得点を奪って勝つ。常にトライして、ゴールに向かう。勝てるチームになる。メンタリティでは、プロとして常に練習から100%で臨む姿勢を見せる。苦しい時こそチームのために戦う姿勢で、シーズンを貫いていきたいです」

『福島のために』という言葉が、選手、監督、GMの言葉からそれぞれ見て取れる。背負うものが大きいが故に、真摯に前向きに戦う。共に前を向いて歩んでいく。時崎選手は言う。「やっぱり一番大事なのは、福島のために何ができるかってことですよね。震災、原発事故があって、まだまだ何も解決していなくって。復興に向けて、ユナイテッドの一員として、いろんな意味で明るいニュースを発信していきたいですし、勝ちにこだわる姿勢で、勝利という結果で応えたいと思います」

 竹鼻GMは常に『経済効果、風評被害の払拭、エンターテイメント』という3つのポイントを大切にしている。「スタジアムに来てくれる人だけでなく、福島県民が『ユナイテッドがあって良かったな』と思ってもらえるための広がり。今までのサッカークラブがやってきたこと以上の広がりができれば、と思います。復興というのも終わりがあるのかも分からないですし、前の福島よりいい福島をつくるしかないと思うんです。より良い福島に向かって続けていく。スポーツだからこそできることがあるはずなので、我々だからできることをやっていく。福島を変えるっていうとおこがましいけど、福島のためになる、変えられる可能性があるのが、サッカークラブであり、Jリーグなんじゃないかな、と思っています」

 最後に栗原監督の言葉で締めくくる。「私ができることは、クラブをより良いクラブにすること。組織的にもそう。アカデミーもそう。チームを強くし、環境を整えていく。『一緒に作っていこう』と言われ、私の意見も取り入れて、新しい取り組みが始まっています。それに対して、誠心誠意全力で取り組んでいきたい。福島ユナイテッドは、経営存続の危機もあった中で、尽力して今までやってきた。当事者じゃない私ができるのは、今までの歴史や震災を受け止めて、今できることを全力でやるだけです。チームが大きくなって、福島を元気にする。市民、県民が応援してくれて、福島のシンボルになる。そして、それが福島の子どもたちの夢につながるのであれば、嬉しいですね」。そう、福島の子どもたちの夢。大人たちが守るべき子どもたちの夢のチャンスを、福島ユナイテッドが切り拓いていく。J3という新しい舞台で始まる新しい挑戦。震災から3年、福島ユナイテッドFCの2014年シーズンが幕を開ける。

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