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風間八宏「自分がクラブ、チーム、選手、サポーターを愛さなければ、良い仕事なんてできない」

2013.07.31

Jリーグサッカーキング9月号 掲載]
若くしてドイツに渡り5年間プレーした「欧州組」の先駆け的な存在だ。1994年にはキャプテンとして広島のステージ優勝に大きく貢献し、現在は川崎の指揮を執り、選手の個性を存分に引き出している。「常識を疑え」と言う革命児には、Jリーグがどう映っているのだろうか。

インタビュー・文=飯尾篤史 写真=山口剛生

風間さんは筑波大を卒業したあとドイツに渡られましたが、そのきっかけはマラドーナだったと聞きました。実際のところ、どうだったんですか?

風間 それも一つではあるんだけど、海外でプレーしたいと思っていたのは子供の頃からだよね。僕ら清水の子供は、海外遠征をたくさんしていたから、他の子供たちと比べて海外との接点が多かったから。覚えているのは中学生の頃、担任の先生に「お前、サッカーばかりしていてどうすんだ。野球ならプロがあるけど、サッカーじゃ、生活できないぞ」って言われて、売り言葉に買い言葉じゃないけれど、「海外に行けばプロがあるんだ。知らねぇなら黙っててくれ」なんて言い返してね。

ずいぶん強気な中学生ですね(笑)。

風間 そうだね(笑)。でも、中学の時にはヨーロッパに遠征して、ドイツやイングランドの名門クラブのジュニアユースに全勝していたからね。

それは自信になりますよね。

風間 だから当時は、自分が世界で一番うまくなれると思っていたし、ワールドカップで優勝できるんじゃないかとも思っていた。そうしたら、高校生の時に出場したワールドユースで、全然勝てなくて。もちろん、マラドーナにも衝撃を受けたんだけど、一番違いを感じたのは、僕らは血尿を出す選手もいたくらい厳しい練習をして、ものすごく走って頑張ってるのに、他のチームは激しい中でも楽しそうにやっていたこと。それでいて強いんだから、世界では何が起きているんだろうって思ったよね。これは早く海外に行かなきゃダメだって。だから、大学に進学したあと、日本リーグのほぼ全チームから誘いをもらっていたんだけど、全部断ったんだ。2~3年の頃からは企業の人とは会わないようにもした。日本でプレーするつもりがないのに会うのは失礼だと思ってね。

ドイツに行ったのは、やはり当時、最もレベルが高かったからですか?

風間 そうだね。それにドイツには何度も遠征したことがあったし、奥寺さん(康彦/元ケルンなど。現横浜FC会長)や尾崎さん(加寿夫/元ビーレフェルトなど)もいたから。一応、大卒だし、うちは母子家庭だったから、留学じゃなくプロになって生計を立てなきゃいけないとも考えていた。そういう意味で最初から南米は頭になくて、ヨーロッパでプロになろうと思っていたね。その当時、大学の先輩の田嶋さん(幸三/現日本サッカー協会副会長)がレヴァークーゼンでコーチ研修を受けていたところで、「お前なら大丈夫じゃないか」って言ってくれて、2週間のテスト受けることになったんだよ。そうしたら、初日のあと、契約書が出てきてね。

たった1日で認められたんですか?

風間 そうそう。でも、「キミは3人目の外国人だ」って言うんだよ。当時は今と違ってヨーロッパ人も外国人扱いで、試合には2人しか出られなかったんだけど、外国人枠の存在すら知らなくて。しかも自分の中では「金髪で青い目をしてるのが外国人」っていう感覚だったから、「俺が外国人? 外国人はあなたたちのほうでしょう」って(笑)。トレーニングはトップチームで行って、試合は3部に属していたレヴァークーゼンのセカンドチームで出場することになったんだ。

大学を卒業したばかりの風間さんにとって、日本には存在しなかった「プロの世界」は、どのように見えていたんですか?

風間 ドイツに行った頃は勘違いしていたよね。「お前は来年、トップチームでプレーする選手だから」って特別扱いされていたから、自分は周りの選手とは違うんだって思って、次第に自分勝手に振舞うようになってしまった。プロなんだから、自分のことだけを考えていればいいと思っていて、言葉の勉強もロクにしなかった。そんな態度だったから、監督との関係も悪くなっていって……。そんな時、新聞にこんな記事が載ったんだ。「いくら能力があっても、いくら技術が高くても、チームのために戦わないやつはいらない」って。

批判されたんですか?

風間 そう。今でもその記事は大切に取ってあるんだけど、当たり前のことだよね。そういうのもあって、次第に気づいていったんだ。自分の技術をチームのために生かせなければ、何の意味もないって。自分は三流だったなって思ったよ。幸運だったのは、そんな僕に手を差し伸べてくれるマネージャーの方がいて、一からやり直そうって言ってくれた。その人と一緒にチームを移ることになるんだけど、それからはドイツ語を勉強するようになって、インタビューもドイツ語で受けるようにした。そうしたら、今までこっちが勝手に嫌っていたドイツ人が変わっていったんだ。日本語で横断幕を作ってくれたり、日の丸に「君は偉大な選手だ。我々の誇りだ」って書いてくれたり。すごくうれしかった。プロとサポーターの付き合いというのは、こういうものなんだって知った。プロというのはサポーターやクラブと関わりのある人たちのために戦うものなんだって気づいたね。プロとしてこの自信がつくまで3年ぐらいかかったかな。

そうした経験は、風間さんにとって掛け替えのない財産ですね。

風間 間違いないね。そうした思いはサンフレッチェ広島でも川崎フロンターレでも変わっていない。自分がクラブ、チーム、選手、サポーターを愛さなければ、良い仕事なんてできないんだ。プロというのは契約書にサインするだけでなく、心のサインも必要なんだって思っている。

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