2013.06.11

シャルケDF内田に向けて「ウッシー・コール」が起こる理由とは

[ワールドサッカーキング0620号掲載]

「戦うつもりで来た」というドイツの地で、内田篤人は3シーズン目の戦いを終えた。必ずしも順風満帆ではないシャルケでの3年間の歩み。しかし、“静かなる戦士”は一歩ずつ、確実に成長の歩みを進めている。
内田篤人
文=イェルク・アルメロート Text by Jorg ALLMEROTH
翻訳=阿部 浩 アレクサンダー Translation by Alexander Hiroshi ABE
写真=千葉 格、ゲッティ イメージズ Photo by Itaru CHIBA, Getty Images

絶対に負けられない試合の結果

 内田篤人はホッと胸を撫で下ろした。彼だけではない。クラブ首脳陣もファンも、そしてもちろん監督とすべての選手も安堵のため息をついた。シーズンの最後の最後になって。

 リーグ終了まであと2試合となった第33節、シャルケはホームでシュトゥットガルトに完敗を喫する。後半ロスタイムに1点を返したが、2点のビハインドはあまりにも大きかった。この日の内田は完全に精彩を欠いていた。彼だけではない。フライドポテトとケチャップの関係のように、内田とは切っても切れない関係の名パートナーであるジェフェルソン・ファルファンも、ドイツ代表で存在感を増すキャプテンのベネディクト・ヘヴェデスもプレーに精彩を欠いた。この敗戦でチームはカタストロフィー(破滅)の危機におびえる。シャルケは今シーズンの目標を「チャンピオンズリーグ(CL)出場権の獲得」に据えていた。最低でもリーグ戦を4位で終えなければ、CL出場権だけでなく、それに付随する数百万ユーロの“臨時収入”も失うことになる。

 そして迎えた翌週のラストゲーム、アウェーに乗り込んで迎えた相手は勝ち点1差で4位シャルケに迫るフライブルク。他会場では、シャルケと勝ち点2差のフランクフルトが虎視眈々と4位の座を狙っていた。それぞれにとって“絶対に負けられない試合”が始まった。そして結果は……追い詰められたシャルケが土壇場で貴重な勝利を手にする。決勝点が相手のオウンゴールであろうと関係ない。勝った事実だけを、シャルケのあらゆる関係者は素直に受け入れた。

内田にとっての格別の思い出

 「勝てば天国、負ければ地獄。神経が高ぶって、試合後はなかなか平静に戻れませんでした」。そう試合後に語った内田だが、シュトゥットガルト戦に続き、彼のパフォーマンスがトップコンディションから離れていたことは否定できない。

 だが、内田個人とチームを巡る経緯を考えると、むしろ「よくここまで戻せたな」というのが正直な感想でもある。シーズン開幕前、シャルケは『優勝候補のバイエルンを追いかける一番手』と過大評価され、いつものようにメディアはイケイケの論調で、このルール地方随一の人気クラブをヨイショした。ところがクラブ内部では、これまたいつものように人事面のゴタゴタが発生し、いざフタを開けてみれば『バイエルンの対抗馬』どころか中位グループに沈んだ。更にその後も、お家芸である“身内の喜劇”が選手を追い詰めていった。

 悪いことは重なるもの。内田も悲劇に見舞われた。11月のCLアーセナル戦(2-2のドロー)、12月のフライブルク戦(1-3で敗北)で右足の太ももを負傷し、2月の日本代表戦(ラトビアに3-0で勝利)では肉離れを起こしたのだ。

 しかし、ここから内田の内面の強さが発揮される。柔和な表情に似合わないファイターは、神のいたずら(怪我)にも人の悪行(人事問題)にも我を失わず、努めて冷静にプロとしての態度を貫いた。自分が集中すべきは目の前のゲームで、そこに到達するためにはAを消化しBへつなげるといった具合に治療とトレーニングに身を捧げ、復活への信念を決して曲げなかった。内田の姿勢には、いくつものプロセスの中で一つも妥協せず、徹底的に究極の美を追求するマイスター・スピリッツ(職人魂)に通じるものがあった。

 復調した内田は3月9日の試合を楽しみに待っていた。ドルトムントとのダービーマッチだ。フェルティンス・アレーナでの一戦、内田は右サイドをトップギアで疾走する。ユリアン・ドラクスラーの足元へはグラウンダーで、クラース・ヤン・フンテラールにはジャンプ時の最高到達点で頭に当たる高さへとピンポイントのボールを送り、2つのアシストを記録。2-1という結果は、内田にとって格別の思い出となった。「ただの1勝じゃありません。サポーターにとってはリーグ優勝に匹敵するほど素晴らしい出来事だと思います。僕もこの先、今日の試合の勝利は忘れません」

日本人の美徳を完璧に体現する選手

 ブンデスリーガで活躍する日本人と聞いて我々がすぐに連想するのは内田と乾貴士だが、多くの専門家は内田を「日本人の美徳を完璧に体現する選手」として認識し、高い評価を与えている。イェンス・ケラー監督の言葉が象徴的だ。

 「アツトは試合への情熱に溢れ、意思が強い。どんなにささいなことでも規律を尊重し、プロとしての自覚を持つ彼の態度は、多くの選手が“お手本”として見習うべきものだ」

 内田がシャルケでレギュラーポジションを手にしたのは、必ずしもその才能だけに頼った結果ではない。2010年の入団当初から彼は必死に自分と戦ってきた。改めて説明する必要もないだろうが、シャルケはブンデスリーガのトップクラブ。当然、競争もひときわ厳しい。「毎日、ブレイクしなければいけない。僕はここでそれを学びました」と謙虚に答える内田だが、激しい競争が繰り広げられるだけでなく、人事を巡るドタバタ劇が繰り返される環境で、よくモチベーションを失わなかったものだ。その環境を乗り越えただけでも、彼のスピリットの純粋さ、そして強さをうかがい知ることができる。

 静かな努力、学びの精神、忍耐の強さ――20世紀中頃までこの地方を支配していた男気を久しぶりに漂わせる内田に、ファンは自然と愛着を感じるようになった。スタンドでは「ウッシー・コール」がよく巻き起こるが、一人の選手がこれほどシュプレヒコールを浴びるのはサッカー天国のゲルゼンキルヘンにおいて極めて珍しいことだ。過去を振り返ってもあまり例がない。やはり内田は、愛されているのだ。

 フェルティンス・アレーナに隣接するトレーニング場では、内田の顔写真がプリントされたグッズを手に練習を見学する日本人女性の姿をしばしば目撃するが、彼女たちは内田の練習シーンを「想像していたよりも長い時間」見守ることになる。全体練習が終了し、選手がロッカールームに消え、シャワーを浴びて帰り支度を始めても、グラウンドにはまだ内田の姿がある。右サイドからペナルティーエリアへ何度もセンタリングを上げ、一本一本丁寧にキックの精度を高めようと居残り練習をしているのだ。

 「アツトは真面目」

 5歳も年上のチームメートをまるで弟のように呼ぶ19歳のドラクスラーは、シャルケとの契約を2018年まで延長した。「これで、“マブダチ”のドラクスラーと別れたくない内田の移籍もなくなった」と、2人をよく知る関係者は笑う。

クラブのレジェンドであるオラフ・トーン氏は、内田について「シャルケにとって不可欠な存在」と語る。続きは、ワールドサッカーキング0620号でチェック!