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挑戦し続ける“天才”小野伸二、豪州での充実の1年目を振り返る

2013.05.15

Aリーグ参入1年目ながら、ウエスタン・シドニー・ワンダラーズのレギュラーシーズン制覇に貢献した小野

[ワールドサッカーキング0606号掲載]

新たな挑戦を求めて海を渡った小野伸二が1年目のシーズンを終えた。アレッサンドロ・デル・ピエロとともにリーグの顔となった天才は、その技術とセンスを存分に発揮し、レギュラーシーズン優勝に貢献。“サッカー不毛の地”のファンを熱狂させた、充実の1年を振り返る。

小野伸二
取材協力=佐倉吟子 Report by Ginko SAKURA
写真=ゲッティ イメージズ Photo by Getty Images

 4月23日、1年目の挑戦を終えた小野伸二はウエスタン・シドニー・ワンダラーズ(WSW)のサポーターが取り囲むバスの上にいた。

 サッカーの世界でサポーターがバスを取り囲む理由は2つしかない。一つは愛するチームのふがいない成績に対する抗議。もう一つは愛するチームの特別な勝利の喜びを分かち合うためである。もちろんこの日、サポーターがバスを取り囲んだ理由は後者にあった。赤と黒のユニフォームを着たサポーターの歓喜に包まれ、チームメートとともにバスの上で手を振った小野の表情には、近年の彼にはあまり見られなかった満面の笑顔があった。

 2日前の4月21日、オーストラリアから9クラブ、ニュージーランドから1クラブが参戦するプロサッカーリーグ「Aリーグ」は2012-13シーズンの幕を閉じた。

 レギュラーシーズン終了後に行われるプレーオフを制して8年目のリーグ王者に輝いたのは、発足当初からリーグに加盟するセントラル・コースト・マリナーズ。近年は同リーグ屈指の強豪としてACL(AFCチャンピオンズリーグ)出場の常連となり、日本のサッカーファンにも名の知れたクラブだ。

 小野が所属するWSWは、プレーオフ進出を懸けたレギュラーシーズンを1位で終えた。しかし、迎えた頂上決戦では、レギュラーシーズンでも首位を争ったライバルに0-2と惜敗。それでも、サポーターは発足1年目でレギュラーシーズンを制したクラブをたたえ、敗戦のことなど忘れて“勝利のパレード”を盛大に行った。「僕のサッカー人生で初めてのパレードです。ここにいられることを本当にうれしく思います」

 優勝決定戦には敗れた。しかし、「人生初」の経験でオーストラリアでの1年目のシーズンを締めくくった小野の新たな挑戦は、完全なる成功とともに幕を閉じたと言っていい。いや、「閉じた」のではなく「開けた」のである。

探し求めていた新たな挑戦の場所

 清水エスパルスからWSWへの移籍が正式に発表されたのは、Jリーグのシーズンが佳境に突入しようとする2012年10月1日のことだった。しかしそれは、清水のサポーターにとっても、長く彼を見続けてきたファンにとってもあまりにも突然で意外な決断だったと言える。

 静岡が生んだ「天才」として浦和レッズに加入したのが1998年。01年夏に加入したオランダの名門フェイエノールトではUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)制覇の原動力となり、その名を一躍世界に知らしめた。しかし、度重なる故障の影響で本来のパフォーマンスから遠ざかる日々が続くと、06年1月には浦和にカムバック。ACL制覇など黄金期を迎えたチームにリーダー格として貢献したが、自身の出場機会は限られ、2年後の08年1月に今度はドイツのボーフムへと移籍する。そこでも天性のひらめきと類まれなボールタッチを披露することはあったが、継続的に輝くことはできなかった。だから2010年1月、30歳を過ぎて凱旋した地元の清水エスパルスが、世界を漂流してきた天才の終着点になるという見方が強かった。たとえ急進的な世代交代を図ろうとする状況で自身がピッチに立てなくても、陰でチームを支えるカリスマとして、オレンジのユニフォームを着続ける――そうしたキャリアの晩年をイメージすることは決して難しくなかった。

 しかし、それは大きな勘違いだった。小野は一人、もう一度輝ける場所を模索していたのだ。「新しい環境でもう一度自分を見つめ直したい」

 それが、WSWへの移籍に秘めた決意だった。

デル・ピエロと並ぶAリーグの“目玉”

 05年に誕生したAリーグは、発足から10年足らずでプロリーグとしての形を徐々に整えつつある。06年ドイツ・ワールドカップにおけるオーストラリア代表の活躍、更にクラブシーンではACL参戦などによって「ラグビー大国」のサッカー熱は次第に高まり、今シーズンはシドニーFCが元イタリア代表FWのアレッサンドロ・デル・ピエロを、ニューカッスル・ジェッツが元イングランド代表FWのエミール・ヘスキーを獲得するなど、世界的なビッグネームの流入により、その勢いに拍車が掛かった。

 もっとも、経営的・運営的観点から見た各クラブの状況は決して楽観視できない。09-10シーズンに加盟したゴールドコースト・ユナイテッドは利権を巡るクラブとリーグの騒動を発端とする問題で消滅。小野が加入したWSWは、その“代役”としてオーストラリアサッカー連盟が自ら創設したクラブだった。

 つまり小野は、恐らく日本よりも熱の高くないサッカー未開の地に新しく誕生したばかりのクラブを、新天地に選択したのだった。移籍発表からわずか2日後の10月3日、小野は新シーズンのAリーグにおける“目玉”の一人として、デル・ピエロやヘスキーと肩を並べた。

 こうしてスタートした新シーズン、小野は極めて順調な滑り出しを見せた。

 開幕戦で後半途中から出場してリーグデビューを果たすと、第2節以降は絶対的な司令塔としてスタメンに定着。芸術的なスルーパスとテクニックでファンを魅了し、すぐさまチームのアイドル的存在となった。第3節のシドニーFC戦では、デル・ピエロとの夢の競演で話題をさらい、世界的なビッグスターと同様に「客を呼べる選手」としての存在感を存分にアピール。本人は「日を追うごとにチームも、僕自身もいい感じになっていると思う」と確かな手応えを口にした。

 そして、その存在感を絶対的なものへと高めたのが、12月9日に迎えた前年王者ブリスベン・ロアー戦である。この日、小野はPKでAリーグ初得点を決め、これがチームを勝利に導く決勝点となった。2012年終了時点で、WSWはリーグ3位。発足1年目にしてプレーオフ進出を視野に入れた快進撃にサポーターは沸いた。スタジアムで声援を送る彼らの視線の先には、常に小野の姿があった。

 チームが快進撃を見せ始めたのは、今年2月以降のことだ。第20節のニューカッスル・ジェッツ戦を2-1で競り勝って2位に浮上。そこから破竹の8連勝を遂げ、一気に首位にまで上り詰めた。小野はゴールとアシストを重ね、相変わらず不動の司令塔としてチームをけん引した。

唯一無二の天才が契約を延長した理由

オーストラリアで小野が輝きを取り戻した理由とは? 契約を延長した理由とは? 続きは『ワールドサッカーキング0606号』で!

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