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ファンを引き付けるフットボール以外の魅力…ブンデスリーガ熱狂の理由とは

2013.04.08

[ワールドサッカーキング0418号掲載]
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文=シュテファン・ゾンターク Text by Stephen SONNTAG
写真=ゲッティ イメージズ Photo by Getty Images

ここ数年のブンデスリーガの復活を議論するなら、「スタジアム」について触れないわけにはいかない。いかにハイレベルで激しい名勝負も、人々の歓声なしには味気ないものになるだろう。満員のスタジアムが試合の緊張感を高め、選手の背中を押し、プレーの迫力を更に増大させる。ピッチで行われるフットボールの魅力だけが、ファンをスタジアムへ向かわせるわけではないのだ。

自国開催のW杯が改革の契機に

 チャンピオンズリーグ(以下CL)やヨーロッパリーグの出場枠を決めるUEFAリーグランキングは、各クラブが欧州カップ戦で残した成績をリーグごとにポイント化し、過去5シーズンのポイントを総合したものだ。このランキングでブンデスリーガが最後にトップに立ったのは、1990年のことだった。それから現在までのおよそ20年、トップの座がセリエAからリーガ・エスパニョーラへ、そしてプレミアリーグと推移する一方で、ブンデスリーガはひっそりとメインストリームから姿を消した。2002年から2010年までの8年間、CLでベスト4以上に進出したドイツのクラブは一つもない。

 だが、今やその勢力図は確実に変わった。08年のリーマンショックに端を発する経済危機がフットボール界を重苦しく包み込む中、ドイツは再び上昇を始めたのだ。アカデミーは次々と優秀な若者を輩出し、CLではバイエルンやシャルケが上位に顔を出した。2011年には、UEFAリーグランキングでセリエAを抜き、3位に返り咲いた。更に今シーズン、CLベスト16でプレミアリーグ勢が全滅するというまさかの展開も手伝って、2位の座も視界に捉えている。

 なぜブンデスリーガは復活したのか? あちこちのメディアが盛んに論じているように、その原点は10年ほど前、20世紀が終わって21世紀が始まろうとしていた頃にあった。

 90年代、衛星放送が整備されて放映権が拡大するとともに、欧州のフットボール界には大金とビジネス的な論理が持ち込まれた。フットボールで金もうけができる時代がやってきたのだ。だが、ドイツ人は見境なく経営を拡大させるよりもクラブの公共性を守る道を選んだ。国外資本の比率を抑え、負債を厳しく制限するライセンス制度が発足したのは01年。同じ頃、平均年齢30歳のドイツ代表が1勝もできずに大会を去ったユーロ2000を経て、DFB(ドイツサッカー連盟)は国内のすべてのプロクラブにユースアカデミーの設置を義務づけた。こうした「構造改革」から10年、2流の烙印を押されたブンデスリーガは「フットボールの理想郷」として表舞台に帰ってきた。

 これらは基本的にすべて事実だが、そこにはもう一つ、忘れられがちだが重要な要素が残されている。ドイツフットボールの構造改革を強力に後押しした出来事、それはユーロ2000で惨敗した直後にもたらされた、思いもよらない朗報だった。2000年7月6日、南アフリカに決まるのは確実と思われていた06年ワールドカップ(以下W杯)の開催地が、どういうわけかドイツに決定したのである。

 自国開催のW杯という明確な目標ができたことで、DFBは6年後に向けた長期的な計画を立て、あらゆる分野の改善に乗り出した。その中で、ブンデスリーガが誇る「財産」は次々と築かれていった。そう、各地に誕生した新しいスタジアムだ。

スタジアムの整備はリーグ全体のテーマ

 セリエAの試合風景――老朽化したスタジアムと空席だらけのスタンド、陸上トラックに囲まれたピッチ――を見慣れたサポーターは、8万645人の観客がジグナル・イドゥーナを埋め尽くすドルトムントのホームゲームを見て信じられない気分になるかもしれない。しかも、それはCLの試合や、タイトル争いを占うバイエルン戦、シャルケとのダービーマッチだけではない。ごく普通のリーグ戦、例えばハノーファーやフライブルクといった中堅クラブとの試合でも、このスタジアムは満員の観客で溢れ返る。昨シーズン、ドルトムントの平均入場者数は8万521人で、これは欧州の全クラブ中トップの数字だった。バイエルンでも事態は似たようなもので、7万1000人を収容するアリアンツ・アレーナが必ず満員になる。実際、バイエルンのリーグ戦のチケットは、この5年間で1枚も売れ残ったことがないのだ。

 これを奇跡と呼ぶべきだろうか? いや、ブンデスリーガを運営するDFL(ドイツサッカーリーグ)のCEO、クリスティアン・ザイファートは否定するだろう。彼らは長い間、ブンデスリーガの価値を高めることに心血を注いできた。快適なスタジアム環境の整備、そしてファンサービスの充実は、リーグ全体で取り組んできた大きなテーマの一つだった。

 活況を呈しているのは1部リーグだけではない。2年前の10-11シーズン、ツヴァイテ・ブンデスリーガ(2部リーグ)で昇格を決めていたヘルタ・ベルリンは、満員のオリンピア・シュタディオンでアウクスブルクとの最終節を戦った。この時の7万7116人という入場者数は、2部リーグにおける世界記録だ。その後、わずか1年で再び2部に降格したものの、今シーズンも入場者数は1試合平均3万7000人。これはセリエAの強豪ユヴェントスの平均入場者数と変わらない。

 ユヴェントスの状況は示唆に富んでいる。90年代、ホームのデッレ・アルピに平均4万7000人もの観客を集めていた彼らは、21世紀を迎えると次第に集客力を失っていった。スクデットを獲得した(後にスキャンダルで剥奪された) 04-05シーズンの平均入場者数はおよそ2万6000人。デッレ・アルピの収容人数は7万6000人だから、大半が空席だったということだ。

 では、ユヴェントスはどうやって入場者数を1万人も増やしたのか。新たに「ユヴェントス・スタジアム」を建設したのだ。90年のイタリアW杯に合わせて建設されたデッレ・アルピは交通の便が悪く、陸上トラック(国際的な陸上競技大会に使用されたことは一度もなかった)のせいでスタンドとピッチが遠く、しかもしばしば濃霧が立ち込めた。ユヴェントスはファンを取り戻すため、建設からわずか十数年で、この評判の良くないスタジアムと決別した。

 DFBがドイツW杯に向けた準備を始めた頃、ユヴェントスは新スタジアムの建設計画をトリノ市と協議していた。時代のニーズに合わないスタジアム建設がどういう結果を招くのかは、誰の目にも明らかだった。

ハンブルガーSVの画期的な手法

 古い時代を知るファンは、バイエルンの美しいオリンピア・シュタディオンや、ボルシアMGの歴史あるベッケルベルク・シュタディオンが彼らの本拠地でなくなることを嘆いた。だが、フットボールを取り巻く環境が大きく変化していた時期には、過去を捨てる必要があった。

 忘れてはいけない。ドイツのスタジアムの多くは、やはり自国開催だった74年W杯に合わせて建設、改修されたものだが、当時はフットボールの生中継などなかった。ファンは録画中継やハイライト番組を見るくらいで、試合をライブで楽しみたければスタジアムに行くしかなかった。

 しかし、80年代には生中継が一般的になり、90年代には衛星放送網が整備される。イギリスで有料放送の「BスカイB」が発足し、それとタッグを組む形でプレミアリーグが組織されたのは92年。時を同じくして、ドイツでも有料放送「プルミエール」がブンデスリーガを定期的に生中継するようになった。これは、スタジアムがテレビと戦わなければならなくなった、ということを意味していた。スタジアムを満員にするためには、人々がテレビのスイッチを切ってソファから立ち上がるようにしなければならないのだ。

 いち早く動いたのはハンブルガーSVだった。98年にスタートしたスタジアム改修計画は、フォルクスパルク・シュタディオンを90度回転させて陸上トラックを取り除き、スタンドを全面的に半透明の屋根で覆うというものだった。90度回転させたのは、試合が見やすい傾斜に設計されたスタンドを増設し、かつピッチに最大限の日光が差し込むようにするためだ。「フォルクスパルク」(市民公園)という名前のとおり、スタジアムは自治体の所有物だったが、改修に先立ってハンブルク市はスタジアムを1ドイツマルク(約70円)でクラブに売却した。

 こうして、7万5000人収容の「陸上競技場」は5万7000人収容のフットボール専用スタジアムに生まれ変わった。建設費用を工面するためにネーミングライツを売却するという手法も含めて、ハンブルガーSVの試みは画期的なものだった。

 その結果、何が起こったのか。旧スタジアム時代は3万人ほどだったハンブルガーSVの平均入場者数は、新スタジアムが完成した00-01シーズンに約4万2000人に跳ね上がった。その後、スタジアム名はネーミングライツによってAOL、ノルトバンクと変わり、アイエムテックと名前を変えた現在は、平均約5万3000人の観客を集めている。

 ドイツ各地で同じようなことが起こっていた。フランクフルトのホームであるヴァルト・シュタディオンは、02年から3年を費やした改修工事によって陸上トラックが排除され、スタンドはピッチが見やすい傾斜に改築された。更に、天井には複雑にケーブルが張り巡らされた開閉式の屋根がつけられた。74年W杯では、このスタジアムが西ドイツの決勝進出を決めた伝説の一戦、大雨の中で1-0とポーランドを破った「ヴァッサーシュラハト」(水掛け合戦)の舞台となったことを踏まえると、ピッチに屋根がついたのは象徴的だ。現在、ネーミングライツを売却してコメルツバンク・アレーナと呼ばれるこのスタジアムには、フランクフルトの好調も手伝って平均4万7000人の観客が押し寄せる。

安いチケットとビジネスラウンジ

 最も劇的なプロセスを経験したのは、恐らくミュンヘンだろう。羽根の形をした屋根を持つオリンピア・シュタディオンは美しいだけでなく、数々の歴史と栄光に彩られたスタジアムだった。72年のオリンピック、74年のW杯決勝、79年のチャンピオンズカップ(現CL)決勝、ユーロ88の決勝など、人々の記憶に残る戦いの舞台となったのだ。だが、オリンピアを本拠地とするバイエルンは、美しく古典的な陸上競技場ではなく、最先端の技術を注ぎ込んだ専用スタジアムを望んでいた。

 こうして新スタジアム建設計画がスタートするのだが、何万人ものファンが集まるスタジアムを新設するには、高速道路のインターチェンジや地下鉄の駅など、公共のインフラを拡張する必要があり、ミュンヘン市の協力が不可欠だった。そのため、プロジェクトは一時的に暗礁に乗り上げた。オリンピア・シュタディオンの改築という代案も浮上したが、これはスタジアムの芸術性を損なうとして設計者から猛反対されていた。

 そこで01年の秋、ミュンヘン市は新スタジアムの建設を市民投票に委ねる。結果、市民の66パーセントが「新スタジアム建設」に賛成の意を示し、晴れて建設計画が再始動したのだ。ミュンヘン郊外のフレットマニンクへの交通アクセスは約2億ユーロ(約240億円)を掛けてミュンヘン市が整備し、スタジアム建設に掛かる約3億4000万ユーロ(約400億円)はバイエルンと1860ミュンヘンの2クラブが負担した。スタジアムの所有権もこの2クラブで分け合う形だったが、その後1860ミュンヘンがその権利をバイエルンに売却したことで、バイエルンの単独所有となった。

 ドイツ最大の保険会社「アリアンツ」がネーミングライツを買い取り、アリアンツ・アレーナと名づけられた新スタジアムは、05年に完成するとたちまちファンの心をつかんだ。独特のフォルムと3階層で構成されたスタンド、半透明の特殊フィルムで覆われた近未来的な外観。ナイトゲームの際はクラブカラーの照明がともり、巨大な発光物が闇に浮かび上がるように見える。バイエルンのリーグ戦のチケットが5年間、1試合残らず完売していることは先に述べたとおりだ。

 スタジアムが満員になるのには、もちろん他にも理由がある。ブンデスリーガでは最も高額なチケットですら、値段は70ユーロ(約8400円)程度。ゴール裏の立見席は15ユーロ(約1800円)以下で買える。しかも、試合のチケットを持っていれば、スタジアムまでの公共の交通機関は無料で利用できる。UEFAは基本的に立見席を認めていないが、DFBは安いチケットを求めるファンのために、国内リーグに限るという条件でUEFAから特別に許可を取りつけている。

 ドイツのクラブはチケットを高額にした瞬間、フットボールとそれを取り巻く文化を支えている熱心なサポーターが離れていくことを分かっている。だから、彼らはチケットを値上げする代わりに、収益を上げる他の方法を選択した。例えばアリアンツ・アレーナには106室のビジネスラウンジがあり、すべて合わせると1374人を収容できる。ラウンジの年間使用料はランクによって9万ユーロ(約108万円)から24万ユーロ(約288万円)で、サッカー以外のイベントの時も使用できる。地元の企業の多くがこのラウンジを年間で契約し、試合の日に顧客を招いたり、平日のミーティングルームとして使用している。他にも、スタジアムツアーやグッズを販売するファンショップ、レストランは常時営業していて、試合のない日も客足が途絶えることはない。

観客を増やし続けるブンデスリーガ

 ブンデスリーガは、すべての階層のファンに快適な空間を準備し、サービスを充実させようと企業努力を積み重ねてきた。その最初のベースになったのがスタジアムの整備だったと言えるだろう。ホッフェンハイムは09年に、マインツは2011年に新スタジアムを完成させた。ブレーメンは05年に陸上トラックを取り除き、シュトゥットガルトも2年前に同様の改修工事を終えた。レヴァークーゼンは09年に2階席と屋根を増築した。今シーズン、1部リーグで陸上トラックつきの「競技場」を使用しているのはニュルンベルクだけだ。

 努力の結果は数字に表れている。昨シーズンのブンデスリーガ全試合の平均入場者数は4万5116人。欧州のリーグでは2位のプレミアリーグを1万人以上も上回る堂々のトップをキープした。しかも、プレミアリーグ、セリエA、リーガ・エスパニョーラの数字が前シーズンより減少しているのに対し、ブンデスリーガは毎年、入場者数を増やし続けている。

 今年1月、DFLのザイファートCEOは2013年のブンデスリーガ白書を発表し、昨シーズンのブンデスリーガ18クラブの総収入が史上初めて20億ユーロ(約2400億円)の大台を突破したことを明らかにした。これで8年連続の記録更新だ。

 もちろん、移り変わりの激しいフットボールの世界では、10年後に何がどうなっているかは分からない。現在プレーしている選手のほとんどは10年後には引退するし、監督も代わっているだろう。しかし、素晴らしいスタジアムは10年後も素晴らしいスタジアムであり続ける。スタジアムを整備するということは、そのクラブがファンのほうを向いている証拠であり、ユース育成と同じように、クラブの未来に対する最も堅実な投資なのだ。

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