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なぜ、頂上決戦は「最も退屈なファイナル」になったのか?【CL決勝 同国対決の激闘史/セリエA編】

2019.05.28

史上初、イタリア勢同士の顔合わせとなった2003年CL決勝には2つの側面があった [写真]=Getty Images

「史上最も退屈なファイナル」

 PK戦による決着と同時にそう酷評された2002-03シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)決勝には、2つの側面があった。ひとつは、決勝で対峙したユヴェントスミラン、さらにインテルを合わせた3チームが4強に駒を進めたことによる「カルチョの復権」。そしてもうひとつは、ユヴェントスミランの頂上決戦があまりにも退屈だったことによる「カルチョの衰退」である。

 つまり、華やかな1990年代が過ぎて斜陽の時を迎えていた当時のセリエAは、ベスト4決定時点でその名誉を一時的に取り戻し、決勝をまたあっさりと手放した。そうした意味において、“史上最も退屈な”2002-03決勝はサッカー界全体における大きな転換点だったと言えるかもしれない。

名を連ねた強力なタレントたち

マルディーニ(左)、デル・ピエロ(右)をはじめ、当時のセリエAを象徴する面々が出場した [写真]=Getty Images

 当時のセリエAは、「世界最高リーグ」の称号をギリギリのところで維持していた。王者ユヴェントスには同年のバロンドールを受賞することになるパヴェル・ネドヴェド(現・ユヴェントス副会長)を筆頭に、キャリアハイのパフォーマンスを示した“イタリアの至宝”アレッサンドロ・デル・ピエロ、その相棒でフランス代表FWダヴィド・トレゼゲ、オランダ代表MFエドガー・ダーヴィッツ、さらに守備陣にはジャンルイージ・ブッフォンやリリアン・テュラム、ジャンルカ・ザンブロッタなどスター選手が顔を並べた。

 国内リーグでは21勝9分4敗の成績で2連覇を達成し、CLでは準々決勝でバルセロナ、準決勝でレアル・マドリーと優勝候補に挙げられたスペイン勢を次々に撃破。特に2001年夏にユヴェントスを去ったジネディーヌ・ジダン擁するレアル・マドリーとのセミファイナルは鮮やかな逆転劇によるもので、イタリア王者の健在ぶりを力強くアピールする結果となった。

 準決勝でインテルとのミラノダービーを制したミランには、ユヴェントスに劣らないタレントが揃っていた。2トップを組むのは2004年にバロンドールを受賞するウクライナ代表FWアンドリー・シェフチェンコとイタリア代表のゴールハンター、フィリッポ・インザーギ。中盤を司令塔アンドレア・ピルロ、クラレンス・セードルフ、ジェンナーロ・ガットゥーゾ、マヌエル・ルイ・コスタが構成し、最終ラインにはパオロ・マルディーニとアレッサンドロ・ネスタがいた。

激闘が「最も退屈」になった理由

両チームは相手の長所をとことん潰す“負けないサッカー”で勝利を目指した [写真]=Getty Images

 ファイナルの舞台はオールド・トラッフォード。“母国”イングランドにおいても特別に高尚な舞台で繰り広げられた120分間は間違いなく激闘と評するにふさわしいものだったが、それでいて「史上最も退屈なファイナル」に見えたことには理由があった。当時「世界最高リーグ」だったセリエAには各国からスター選手がかき集められていたが、その反動としてイタリア人の国民性に由来する“負けないサッカー”に拍車がかかり、戦術的な進化は観る者の理解さえ及ばないレベルにまで到達していたのである。

 ユヴェントスを率いたマルチェロ・リッピも、ミランを率いたカルロ・アンチェロッティも、互いにとって攻撃の生命線である中盤のパスワークを寸断することに務めた。ユヴェントスは2トップの一角であるデル・ピエロが常に“後ろ”を気にして低めのポジションを取り、ダーヴィッツやアレッシオ・タッキナルディと連動してアンドレア・ピルロとルイ・コスタを潰す。

 一方のミランもガットゥーゾとセードルフに低い位置を取らせ、サイド攻撃を得意とするユヴェントスのキーマン、ザンブロッタとマウロ・カモラネージの存在感を消すことに成功した。そうして両者は激しい駆け引きの応酬を繰り返していたのだが、ボールはほとんどピッチ中央から出ることなく、ダイナミックな人の動きも見られない。セリエAを主戦場とする両チームの“負けないサッカー”への意識は時間の経過とともに深まり、ついにスコアレスのまま120分間の戦いを終えることになった。オールド・トラッフォードが揺れるように沸いたシーンはほとんどなかった。

 迎えたPK戦。ユヴェントスの守護神ブッフォンはミラン2番目のセードルフと3番手カハ・カラーゼのPKを、ミランの守護神ジダはユヴェントス1番手のトレゼゲに枠を外させ、3番手サラジェタと4番手モンテーロのPKをストップした。最後はミランの5番手シェフチェンコがネットを揺らして勝負が決まった。

 レアル・マドリードとの準決勝セカンドレグ、勝負が決したと言っていい試合終盤にイエローカードを受けたユヴェントスのバロンドーラー、ネドヴェドは累積警告による出場停止処分で決勝の舞台に立てなかった。ユヴェントス寄りの論評は「ネドヴェドがいたらああいう試合にはならなかった」と嘆いたが、おそらくネドヴェドがいても同じような展開になっていたに違いない。それほどまでに当時のセリエAは観る者の共感を得られない“負けないための戦術”に縛られ、CLファイナルともなれば、例え相手がどこでも退屈な演出で試合を盛り下げていただろうし、意地でも譲れない同国対決となればなおさらだ。

“負けないサッカー”がセリエAに与えた影響

スコアレスのまま120分が経過し、PK戦の末ミランが勝利を収めた [写真]=Getty Images

 決勝から数カ月後にバロンドールを受賞したネドヴェドは、後にこう語っている。

「ユーヴェはCL決勝でミランに負けた。しかも、僕自身は決勝でプレーできなかった。バロンドールは“残念賞”にしか思えなかったよ。あのバロンドールを思い出すたびに、あの時の悔しさがよみがえるんだ」

 サッカー界の頂上決戦でユヴェントスミランの同国対決が実現したことは、その瞬間においてはイタリアサッカー界において誇れるものだった。しかし、時が流れて振り返ると“ギリギリの世界最高リーグ”であり、だからこそ“負けないサッカー”が最優先された。その結果としてスター選手の華が消え、戦術ばかりが進化したイタリアサッカー界の象徴のような2チームが、CL決勝で、イタリア史上初の同国対決で、しかもあのイングランドで対戦するとなれば「史上最も退屈なファイナル」になってしまうのも無理はない。

“たられば”は無意味だが、もしあの時、準決勝でユヴェントスを下したレアル・マドリードが決勝でミランを退けて連覇を成し遂げていたら、その後に迎えるセリエAの衰退はなかったかもしれない。そんな思いもよぎるほど、2002-03CL決勝の同国対決が持つ意味は、イタリアサッカー界にとって小さくない。

文=細江克弥

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