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浅野拓磨が明かすシュトゥットガルト移籍の背景 そしてアーセナル復帰の青写真とは

2016.08.29

埼玉での直前合宿に合流した浅野拓磨。初めて“海外組”として日本代表の活動に臨む [写真]=JFA

 目指すべき場所、越えるべきハードルがはっきりと見えたからだろう。表情に精かんさを漂わせながら、FW浅野拓磨シュトゥットガルト)は練習終了後の取材エリアに姿を現した。

 埼玉スタジアムにUAE(アラブ首長国連邦)代表を迎える9月1日の2018 FIFAワールドカップロシア アジア最終予選の初戦へ向けて、28日から埼玉県内で始まった直前合宿。ランニングのみの軽めのメニューで“海外組”としての初練習を終えた浅野は、時差ボケを心配するメディアへ「大丈夫です」と笑顔を見せた。

 このUAE戦と敵地バンコクで行われる6日のタイ代表戦に臨む24人のメンバーが発表された25日の段階で、浅野の所属は「アーセナル(イングランド)」と記されていた。

 7月にサンフレッチェ広島からアーセナルへ完全移籍したものの、イングランド・プレミアリーグでプレーするために必要な労働ビザの発給可否が不明のまま時間が過ぎていた。ビザ発給には日本代表として直近2年間で75パーセントの国際Aマッチに出場していることが条件。浅野はそれを満たしておらず、アーセナルは特例での労働ビザ発給を申請した。だが、リオデジャネイロ・オリンピックを戦い終えても状況は変わらず、アーセナル側からは日本へ一時的に帰国するように指示された。

 そしてアーセナルは特例での労働ビザ申請が却下されたことを、20日になって明らかにした。浅野が強いられた実質的な無所属状態を不憫に思った日本代表のヴァイッド・ハリルホジッチ監督は、アーセナルのアーセン・ヴェンゲル監督へ直接抗議の電話を入れたことを代表メンバー発表会見の席で明かしている。

「オリンピック期間中にすべてが解決されている予定だったが、日本に残らざるを得ない状況だったので、私たちが環境を整えてみっちりトレーニングはさせた。今のところ(再び)ロンドンへ行ったという話は聞いたが、コミュニケーションを取るのが難しい。浅野の状態が気になっている」

 浅野は当初、今回のメンバーリストに入っていなかったという。しかし、FW金崎夢生(鹿島アントラーズ)が所属チームでの試合中、途中交代に抗議する形で石井正忠監督に反抗的な態度を取ったことを問題視したハリルホジッチ監督は、金崎と浅野を入れ替える決断を下した。それでも「本来であれば呼ぶべきではないかもしれない」と、浅野の置かれた状況とメンタル面を慮る言葉を残してもいる。

 実はこの時、浅野はすでにドイツ・シュトゥットガルト入りしていた。自らを取り巻く環境が激変した数日間を、浅野は「はっきりと覚えていないんですけど、確か23日か24日に日本を発って一度ロンドンへ入って、そこからシュトゥットガルトに2、3日滞在して、という感じです」と振り返る。

 ロンドンではヴェンゲル監督を始めとするアーセナルのスタッフと会い、その席でレンタル移籍先がブンデスリーガ2部のシュトゥットガルトに決まったと告げられた。

「ここ(アーセナル)が僕のファミリーだと、一年で戻って来られるように頑張ってこいと言ってくれました」

 シュトゥットガルト側は大きな期待を寄せているのだろう。浅野は現地で背番号「11」のユニフォームを手渡された。今シーズンから指揮を執るオランダ人のヨス・ルフカイ監督とも対面し、ブルサスポル(トルコ)から一足早く加入していたMF細貝萌と食事もともにした。

「2部ではありますけど、僕をすごく必要としてくれましたし、歴史のある、本当に魅力がたくさんあるチームに入れたことをうれしく思っています。ルフカイ監督は僕のコンディションを非常に気にしてくれたし、初めてお会いした細貝さんは、チームの良さなどを教えてくれました。細貝さんのような頼れる先輩がいることは、(シュトゥットガルトに)行くきっかけの一つになったのかなと思います」

 そしてルフカイ監督からは「代表でしっかり頑張ってこい」とヴェンゲル監督と同様の檄を飛ばされ、ハリルジャパンの合宿初日となる28日朝に慌ただしく羽田空港に降り立った。

 アーセナルからの申請が却下された労働ビザを来夏に特例で取得するためには、浅野が秘めた才能と将来性をイングランド・サッカー協会(FA)に認めさせることが最も近道となる。その意味でもA代表の公式戦となるアジア最終予選でゴールという結果を残せば、その分だけ強いインパクトを与えられる。

 特例でのビザ申請の先例として、現在ブンデスリーガ2部のザンクトパウリでプレーするFW宮市亮のケースを振り返ってみよう。2011年1月に中京大中京高からアーセナルに加入した宮市は、浅野同様に労働ビザの取得申請が認められず、武者修行のためにフェイエノールト(オランダ)へ期限付き移籍した。シーズン途中での加入ながら、宮市は3トップの左ウイングとして12試合で3ゴールをマーク。この活躍が認められて同年8月に特例での労働ビザが発給され、イングランドでのプレーが可能になった。ちなみにこの間、宮市はアルベルト・ザッケローニ監督率いるA代表には一度も招集されていない。

 浅野としてはもちろんシュトゥットガルトで結果を残すことも必要不可欠だが、A代表に招集されて、しかもハリルホジッチ監督から「A代表に何かをもたらす可能性はかなり高い」と熱い視線を向けられている点で宮市よりもさらに大きなチャンスを得ていることになる。

 だからこそ、ヴェンゲル、ルフカイ両監督は「代表で頑張ってこい」と背中を押したのだろう。浅野自身もA代表戦出場が特例での労働ビザ取得への「絶対条件になってくると思う」と力を込める。

「A代表に常に呼ばれて、ピッチに立てるくらい頑張りたい。その結果としてアーセナルに戻ることができたら、それが一番自分の成長にもつながるのかなと思っています。(オリンピックを戦い終えた)僕にはもうA代表しかありませんけど、そればかりを見るのではなく、まずはシュトゥットガルトのために100パーセント頑張ること。一年で1部に復帰することがチームの目標であり、僕の目標でもあるので。目指すところがある意味でも、すごく充実したシーズンになるんじゃないかなと思います」

 国内組だけで臨んだ昨夏のEAFF東アジアカップで初キャップを獲得した浅野は、今年6月に開催されたキリンカップで欧州組と初めて同じ時間を共有。同3日のブルガリア代表との準決勝の後半終了間際には自らの突破で獲得したPKを志願して蹴り込み、A代表初ゴールをマークした。しかし、4日後のボスニア・ヘルツェゴヴィナ代表との決勝戦では右MFとして先発フル出場したものの、ある一つの“判断”を悔やむあまりに、試合後にはピッチの上で人目をはばかることなく涙を流している。

 1点を追う状況で迎えた後半アディショナルタイム。右サイドに生じたスペースへフリーで抜け出し、スルーパスに追いついた浅野は次の瞬間、シュートではなく中央へのパスを選択。これが必死に戻ってきた相手にカットされ、同点とする絶好のチャンスを逃してしまった。やや角度がなかったものの、それでもシュートを選択しなかった自分への怒り、情けなさが涙腺を決壊させた。本田圭佑(ミラン)から「なぜ涙を流すのか分からない」と苦言を呈された自身の姿を、浅野は今も忘れていない。

「前回の招集ではゴールも取れましたけど、悔しい思いもした。その分、今度こそやってやるというか、(ストライカーとしての)メンタリティを強くしていかなきゃいけないという気持ちはより増しています。ワールドカップが僕の次の目標だし、そこへ直結する試合に絡めることは本当にうれしいこと。オリンピックは悔しい結果で終わりましたけど、世界のDF相手でも僕の特徴をしっかりと出せば通用するんじゃないか、という手応えを感じることもできた。もちろんA代表となると一つ、二つとレベルが上がりますし、難しさというものも増してきますけど、それでも自信を持ってプレーできると思っています」

 特徴とは50メートルで5秒台の快足と、一気にトップスピードへ到達するアジリティの高さに他ならない。リオデジャネイロ・オリンピックのナイジェリア戦とコロンビア戦でも、瞬く間に相手の最終ラインの裏へ抜け出してゴールネットを揺らしている。日本の勝利に貢献し、その上で自分の力で未来を切り拓いていくために――。ハリルジャパンの攻撃陣でも稀有な“スペック”を解き放つシーンを思い描きながら、浅野が持ち前のプレースタイルから獰猛な「ジャガー」と命名された“牙”と“爪”を鋭く研ぎすませていく。

文=藤江直人

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