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鹿島アントラーズ担当が語る「興梠慎三のすべて」

2013.03.01

浦和レッズマガジン 2013年3月号 掲載] 文●田中 滋 写真●足立雅史
興梠慎三
ここ数年、純粋なストライカーの不在に苦しみ、得点力不足に悩んできた浦和レッズ。鹿島アントラーズから移籍加入したアタッカーの興梠慎三は、3-4-2-1のスタイルを貫くミシャ・スタイルにおいて、1トップとしてチームの救世主となれるのか。彼を長く取材してきた鹿島アントラーズ担当の田中滋氏が、興梠慎三というプレーヤーの本質と浦和レッズでの可能性を探った。

 興梠慎三が浦和に移籍した。鹿島から浦和というライバルチーム間での移籍は大きな話題を巻き起こした。何より興梠は、鹿島というチームにとっては象徴的な番号である“13”を背負っていた選手だっただけに、鹿島サポーターの拒否反応は非常に大きなものとなった。

 しかし、興梠は「何を言えばいいか分からない。浦和で活躍することが鹿島への恩返しになると思う」と移籍を決断したのである。

 彼が移籍を決めた理由のひとつに、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が興梠のことを非常に評価していたという背景がある。2011シーズンから熱烈なオファーを送り続けたという話も聞く。最終的にその熱意にほだされた興梠。「去年対戦してみて一番やりづらかった。対戦すると分かるじゃないですか。ペトロヴィッチ監督のサッカーをやってみたいと思うようになった」

 鹿島の一員としてシーズンを戦う中で、興梠はペトロヴィッチ監督の独特なサッカーに魅了されていったのだった。

 昨季を振り返ると、その伏線はあった。シーズン開幕を迎えるにあたり、興梠は大きな決意を胸に臨んでいる。08年の途中からレギュラーを確保。マルキーニョスとの2トップは他クラブにとっても脅威となった。09年にはリーグ戦で12ゴールという自己最多得点を記録。3連覇を達成する決勝点を埼玉スタジアムで行われた浦和戦で決めたことを覚えているレッズサポーターも多いはずだ。

 ところが、そこからなかなかゴール数が伸びなかった。毎年のように背番号を目標数に掲げてきたが、10年は8ゴール、そして11年はわずか4ゴールと調子を崩してしまう。そこで昨季、2012シーズンを迎える際に、普段は見ないビデオ映像をチェックした。今まで自分が得点した場面を見返し、どういうパターンが多いのかをあぶり出したのだ。そこで導き出された答えは、ペナルティエリアでのプレーこそが自分の真骨頂である、というものだった。

 とはいえ、そうした興梠の胸の内をジョルジーニョ監督は知る由もない。開幕3戦はベンチからのスタートとなった。だが、第4節の横浜FM戦で先発の座につくと、第5節の浦和戦のシーズン初ゴールを皮切りに4試合連続得点と気を吐くのだった。

 しかし、夏場になると得点がぱたりと止まってしまう。一度ゴールが生まれると何試合か連続してゴールを決めることが多い興梠だが、一度止まるとなかなか次が生まれない悪癖も持つ。本人も「夏場に弱い」とたびたび嘆いていた通り、夏場に得点できないことが毎年のように続いてしまうのだった。

 すると、その間にチームの布陣は4-2-3-1へ移行。1トップは大迫勇也が務めるため、興梠の居場所はFWではなくサイドのMFへと変わっていってしまった。シーズン始めに「自分の仕事場はペナルティエリア」と定めていた興梠にとって、サイドに回されたという事実は精神的に厳しいものだったかもしれない。サイドの交代要員として試合に出場しても、ペナルティエリア付近をうろうろすることが多く、見ようによっては2トップと捉えられてもおかしくない位置でプレーする姿が目に付いた。この時期、興梠本人は口には出さなかったが、大きな不満を抱えていたことは想像に難くない。サイドの守備を怠ることはなかったが、攻撃時のプレーはFWとしての矜持を失わなかった。

 興梠という選手は自分の意志を優先し、監督に対して意図もたやすく造反してしまう選手のように映るかもしれないが、もともとは指揮官やクラブへの忠誠心の強い選手だ。やんちゃな風貌から自分勝手なタイプに見られるかもしれないが、人情に厚く、義理堅い。だからこそ、監督から信頼を示されると、それに精一杯応えようとするのだ。

 ジョルジーニョの前の監督だったオズワルド・オリヴェイラも、興梠の才能を愛した指揮官だった。ミーティングなどでも何かにつけて興梠のプレーを叱る。学校などでも教師にとって叱りやすい生徒がいるものだが、オリヴェイラにとっては興梠がまさに、そういう“カワイイ生徒のひとり”だったのだ。

 興梠も「監督は俺のことが絶対に嫌いだと思う。いつも俺だけが叱られる」と言いながら、「最後は必ず監督の言うとおりになる。なんでか分からないけどそうだった。あの人のために優勝したい」と話すのだった。

 ジョルジーニョは、選手との距離感が非常に近く、選手と個人的に話をすることが一切なかったオリヴェイラとはまた全く別の接し方をする監督だった。だが、距離感が一定でないことが選手を戸惑わせていた。近いのならいつも近ければ問題ないのだが、突然突き放すような采配を見せることもあり、そうした起伏の激しさによって、選手と完全な信頼関係を築くことができなかったのかもしれない。


興梠慎三
 興梠のパーソナリティは、だいたい以上で理解してもらえたと思う。次はプレースタイルについて言及したい。

 鹿島において興梠と最も相性が良かった選手は本山雅志だろう。トップ下という言葉がぴったりくる鹿島の10番は、つねにFWの近くでプレーし、点取り屋たちのゴールを、これ以上ない形でお膳立てしてくれる選手である。興梠でなくとも、FWにとってはこれ以上やりやすい選手はいないだろう。大迫からも「モトさんがいてくれれば」という言葉は何度となく聞かされた。ただ、本山との相性がより良かったのは興梠の方だろう。そのことから彼のプレースタイルをうかがい知ることができる。

 本山の最大の武器はスルーパスだ。若い頃はドリブルが大きな威力を発揮していたが、年齢を重ねるにつれ、そのプレースタイルは変化し、最近ではもっぱらスルーパスが持ち味に変わっている。スルーパスとはDFの背後に出されるパスだ。それで分かるとおり、興梠もマーカーの背後を取る動きを得意としている。だからこそ、常にスペースへのパスを狙ってくれる本山の存在は非常に頼もしいものだったことだろう。彼のスルーパスから興梠がワンタッチでゴールを陥れる形は、鹿島の得点パターンのひとつだった。

 また、スルーパスという点では小笠原も興梠の特長をよく分かっている選手だった。「あいつの扱い方はよく知ってる」と本人も話していたとおり、ボールを奪ってから間髪入れずに前線に入れるスルーパスは、阿吽の呼吸がなせる技と言える。

 ただ、1トップを採用したジョルジーニョが興梠ではなく大迫を重用したことからも分かるとおり、相手に囲まれた時のキープ力という部分では多少の問題を抱える。

 興梠は決してパワフルな選手ではなく、俊敏性を武器にするタイプだが、ポストプレーの時だけは、なぜか相手を背負ってボールを受けてしまうのだ。体が細く、俊敏性で勝負する同タイプのジュニーニョが、DFの間でパスを受けることを得意としており、相手のプレッシャーが来る前にボールをはたいているのに対して、興梠は自らマーカーを背負い、結果として背後からのプレッシャーに潰されてしまうことがしばしばだった。

 そうした問題を回避するためにも、トップ下に選手がいることは彼にとって重要な要素なのだ。本山がいれば、ワンタッチで本山にボールを落とすことができ、そこでタメをつくってくれるため次の動きに入りやすい。だから、相性が良かったのだろう。決してスルーパスだけで本山を評価していたわけではないはずだ。

 その点、浦和は2シャドーを置く布陣を採用している。近くに多くの選手がいてくれることは、興梠の苦手な部分を消し去ってくれる可能性は高い。ワンタッチで落とした後の動き直しからゴールを狙う、浦和ではそんなシーンが増えるかもしれない。

 誤解してほしくないのだが、興梠は決してポストプレーが下手なわけではない。むしろ、身体の柔軟性が高いため多少足下からずれたボールでも無理な体勢からピタリと止めることができてしまう。また、ジャンプ力があるため胸トラップもうまい。しかし、味方のフォローが遅く、ひとりでタメをつくらなければいけないとなると、1トップは厳しい任務となると思われる。

 苦手と言及したポストプレーだが、実は場面によっては彼の得点パターンのひとつを支える武器にもなっている。それはペナルティエリアで相手を背負った時だ。相手を背負ったままファーストタッチで的確な位置にボールを置き、振り向きざまにゴールを狙うというのが、彼の得意の形である。自身の俊敏性と反転力の速さを生かした興梠らしい形のひとつと言っていい。特に、スピードに難のあるセンターバックにとって、興梠のこの動きを止めるのは至難の業だろう。ゴール左前あたりでパスを受けた後、時計回りに反転した時が、まさにその形。鋭い反転から左足でニアサイドを狙ってくるだろう。

 今季から敵となる鹿島の選手たちも、興梠のそうした“速さ”には警戒心を露わにしている。もちろん、単純に裏に抜ける速さもそうだが、それだけが興梠の武器ではない。よく紅白戦でもマッチアップしていた青木剛は多くを語りたがらなかったが、「(ボールが)入った時に入れ替わらないようにしたい」と語り、興梠の足下にボールが入った時の対応を間違えないよう気を配るという。

 得点パターンに話が及んだのでもうひとつ紹介すると、興梠はヘディングも得意だ。身長175センチと決して長身ではないが、まるで猫のようなバネを持つ。DFが無理だろうと見送った高さでも届いてしまう守備泣かせの選手だ。鹿島ではヘディングからの得点率も高かった。そして、ヘディングの強さは守備でも重要な役割を果たしていた。相手CKの守備時、興梠は必ずニアサイドのポストを守る役目を担っていたのだが、多少キックの弾道が低いとすべて彼が弾き返してくれるのである。鹿島はセットプレーの守備が安定しているチームだったが、それを陰で支えていたのが興梠だったのである。また、ニアサイドで自らボールを弾き返すため、守備から攻撃への切り替えも一番早い。速攻をつくる意味でも、興梠はいくつもの役目を担っていたのだった。


興梠慎三
 ここまで長所ばかりあげてきたが、短所も少なくはない。

 まずは先にも述べたが、得点に波があるというのが最大の課題だろう。波に乗れば手が付けられないところもあるが、取れなくなるととことん取れない。本人は「あまり深く考えても仕方がない」とストライカー気質を見せるが、試合を見ている側からすると、流れに身を任せているだけで、少し物足りなく感じるところもある。また、複数ゴールが少ないところも彼の不可思議な特徴のひとつだ。律儀に1試合1得点を守ることが多い。

 また、プレースタイルもどちらかと言えば気持ちを前面に出すというより、虎視眈々とゴールを狙うタイプだ。

 例えば試合終盤、試合に勝っている状況ながらも相手の攻撃の勢いがすさまじく守備に追われるという場面では、献身的に守備をこなしてくれるだろう。しかし、こちらが負けている状況、しかも連敗している状況で彼に“魂を感じるようなプレー”を望むのは難しいかもしれない。そうしたファイティングスピリットは、何も興梠に限らず攻撃の選手に共通している特徴かもしれないが。

 これまで鹿島ではサイドに流れるプレーを得意とし、攻撃の起点をつくるだけでも十分に役目を果たしていると言えた。しかし、浦和での仕事場はペナルティエリア内に限定されるだろう。それは本人も望んだことではあるが、今までよりずっと厳しい評価にさらされる場所になるに違いない。

 ただ、本人はそれだけの覚悟をもって浦和でプレーすることを決断している。移籍の際には日本代表で面識のあった鈴木啓太に相談。「お前に合うと思うよ」という言葉が、彼の気持ちを強く後押ししたという。

 鈴木以外、浦和にはそこまでの知り合いはいないようだが、人懐っこい性格のため、溶け込むまでには時間は掛からないだろう。ただ、リーダー的な気質は持ち合わせていないため、チームカラーを変えるような影響力は期待できない。となれば、レッズサポーターに受け入れられるためには結果を残すしかない。

 とはいえ、プロ入りしてからの8シーズンで2ケタゴールを記録したのは2度。シュート成功率は高い方だが、もともとそれほど多くシュートを打つタイプでないことが数値を上げている面は否めない。それが浦和ではセンターFWとなり、得点を期待される。移籍1年目ということで、他の選手を納得させるためにも結果が必要である。

 もちろん、スピードで勝負する自分のようなタイプが、一線級として働ける期間が限られたものであることを彼自身よく認識している。若い頃から「たぶん30歳くらいまでしかやれないと思う」と公言してきた。だからこそ、27歳になる今年、敢えて厳しい選択を下したのだろう。「今年は勝負だから」

 興梠慎三のその言葉に、偽りはないはずだ。

田中 滋 1975年、東京都生まれ。上智大学文学部哲学科卒業。現在『J’sGoal』『EL GOLAZO』の両媒体で鹿島アントラーズを担当する。記者としてチームを追い掛け、選手・監督・クラブマネジメントにも注目して取材を行っている。著作に『鹿島の流儀』(出版芸術社)、共著に『ジャイアントキリングを起こす19の方法』(東邦出版)など。

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