2011.07.21

第1回 ホームでのアジア選手権開催を10周年の集大成に

第1回 ホームでのアジア選手権開催を10周年の集大成に

文・写真=岡田仁志


休憩中に選手と談笑する風祭喜一監督(右端)。隣は代表のエース黒田智成

 サッカー界では、これから男女ともにロンドン五輪のアジア予選が最大のイベントとして注目されるだろう。しかし、五輪の後に行われるパラリンピックにも二つの「サッカー」があることは、あまり知られていない。7人制のCP(脳性麻痺)サッカーと、5人制のブラインドサッカー(B1=全盲クラス)である。ちなみに日本国内には、それ以外にも視覚障害(B2/3=弱視クラス)、聴覚障害、知的障害、電動車椅子、アンプティ(切断者)などの障害者サッカーが存在するが、いずれも(世界選手権をはじめとする国際大会はあるものの)パラリンピック種目ではない。

 ただし、CPサッカーとブラインドサッカーも、日本は過去にパラリンピックの出場経験がない。今やさまざまな世界大会の常連となった「サッカー日本代表」だが、ことパラリンピックに関しては、まだ一度も出場していないわけだ。残念ながら、CPサッカー日本代表は今年6月の世界選手権で成績が振るわず(16ヵ国中の13位)、ロンドン大会の出場権を逃した。したがって、ロンドン・パラリンピックでサッカーをプレイできる可能性を残す日本のチームは、現時点でブラインドサッカーB1日本代表だけである。アジアの出場枠は2つ(ほかに欧州2、南米2、アフリカ1、開催国1)。すでに昨年12月のアジアパラ競技大会で優勝した中国が出場権を得ているので、残るチケットは1枚のみとなった。

 その出場権を懸けて行われるのが、今年12月に仙台市で開催される「第4回IBSAブラインドサッカーアジア選手権大会」である。日本は2009年12月の第3回大会も、東京調布市のアミノバイタルフィールドで開催した。この種の国際大会を連続で招致するのは、きわめて異例のことだろう。今回の大会招致に名乗りを上げたのは、日本だけではない。ライバルのイラン(アジアパラ2位)と韓国(同3位)も立候補していた。それも当然だ。音源入りボールやガイドの指示などの音響、サイドフェンスに当たったボールの跳ね返り方、人工芝の感触などは、競技場によってかなり異なる。視覚以外の感覚をフルに使うブラインドサッカーは、ある意味で、ふつうのサッカー以上に「ホームチーム有利」な競技なのだ。

 しかし2年前の第3回大会終了後には、関係者のあいだで「次回はイランで」との声も聞かれた。つまり日本は、いわば「逆転」で大会招致に成功したわけだ。これはJBFA(日本ブラインドサッカー協会)の大ファインプレイである。JBFAの松崎英吾事務局長によれば、「2年前の大会を成功させた日本の運営能力とホスピタリティが評価された」とのことだが、それに加えて、日頃からIBSA(国際視覚障害者スポーツ連盟)と緊密に連絡を取り、信頼関係を深めていたことも、今回の「勝因」の一つだろう。

 それは、日本のブラインドサッカー界そのものが大きく成長したことの証でもある。8年前、協会の創立から日が浅かった日本は、国際機関との交渉力が未熟だったこともあり、この競技が初めてパラリンピック種目となったアテネ大会への出場を断念している。詳細は拙著『闇の中の翼たち』(幻冬舎)を参照していただきたいが、アジア予選を開催させることさえできず、IBSAが韓国に出場権を与えるのを指をくわえて見ていることしかできなかったのだ(当時のアジア枠は1)。アテネパラリンピック前年に日本、韓国、ベトナムが参加して行った大会では日本が優勝し、アジア代表に足る実力があることを証明したものの、この大会はIBSAの公認を得ることができなかった。

 その4年後、北京パラリンピックの予選を兼ねた第2回アジア選手権が韓国仁川市で開催されたが、突然の日程変更などを含めて「アウェイの洗礼」を受けた日本は、「勝ったほうが出場権獲得」となる韓国戦に0-1で惜敗。最終的には、中国、韓国、イランに次いで4ヵ国中の4位に終わっている。2年前の第3回アジア選手権では韓国を2-1で下して準優勝(昨年の世界選手権出場権を獲得)したとはいえ、パラリンピックに出場するまでは本当の意味で雪辱を果たしたことにはならない。そもそも現在の日本代表は、2006年に初めて世界選手権(第4回アルゼンチン大会)に出場して以降、「パラリンピックでのメダル獲得」を目標に掲げてきたチームだ。2001年の秋に国内初の講習会を開催してから10周年を迎える日本にとって、今回のアジア選手権は「史上最大の勝負」と言っていいだろう。資金的に決して余裕があるわけではない状態で2大会連続の招致に踏み切ったのも、パラ出場を目指す意欲の表れである。

 もちろん、この10年で成長したのは事務方だけではない。代表選手たちの技術やチーム戦術も、驚くほどの勢いで進歩している。しかし4年前に中国とイランが参入して以来、アジア全体のレベルが飛躍的に高まったのもたしかだ。12月のアジア選手権出場国は未定だが、最大で6ヵ国(日本、中国、韓国、イラン、マレーシア、タイ)となることが想定されている。そこで中国を除く4ヵ国よりも上の順位になるのが、パラ出場の条件だ。日本はマレーシアとタイには圧勝の経験があるものの、韓国との対戦成績はほぼ互角。イランとは2敗2分で、勝利はおろかゴールを奪ったことさえない。

 しかもイランは、今年4月に欧州とアジアの7ヵ国が参加した国際大会(日本は不出場)で優勝を果たしている。アジア以外の国と初めて対戦したイランが、決勝で欧州王者のフランスを破ったという事実は、日本の関係者に強い衝撃を与えた。ホーム・アドバンテージを考慮に入れても、今回のアジア選手権で日本がイランを上回るのは容易ではない。サッカーファンにわかりやすく説明するには、昨年の南アフリカW杯と比較するのがいいだろう。あのときは多くのジャーナリストや評論家たちが、戦前に日本のベスト16進出に否定的な見解を示していた。現在のB1日本代表が置かれた立場は、それよりも少し可能性が高いぐらいだというのが、私の率直な印象だ。事実、日本は昨年のアジアパラでイランに0-2で敗れた。韓国とはリーグ戦を1-1で引き分け、3位決定戦も0-0で引き分けた末にPK戦で敗れている。本番までの5ヵ月で、相当なレベルアップが求められることは言うまでもない。

「アジアパラでは、スタンドから表彰式を見る結果になってしまい、ごっつ悔しかったですよ。せやけど今は、あそこで中途半端に表彰台に立つよりも、4位で良かったと思ってます。あの悔しさをバネにして、今回は絶対に勝ちたい」

 2005年から代表チームの指揮を執る風祭喜一監督の言葉だ。兵庫生まれの兵庫育ち。7月16日から二泊三日で行われた合宿練習では、そのキツい関西弁のダミ声が、これまで以上のボリュームでグラウンドに響いていた。とくに選手への怒声が厳しさを増したのは、ルーズボールへの反応が遅れたときだ。見えない選手たちは、ボールが足元を離れると動きが止まりがちである。だが、それでは試合を有利に展開することはできない。

「去年の世界選手権(イングランド大会)でも、強いチームはボールへの寄せが速かった。イランみたいに体格の大きな相手とやるときは、そのスピードで負けたらアカンと思います。プレイを止めずに、もっとボールへの執着心を持ってほしい」(風祭)

 もう一つ、今回の合宿では「声の連携」も重視された。「コミュニケーション・スポーツ」とも呼ばれるブラインドサッカーでは、永遠のテーマともいえるだろう。声をかけ合うことで味方の位置を把握しなければ、状況判断もままならない。次のプレイへの始動を早めるには、監督、GK、コーラー(ゴール裏のガイド)の指示に頼らず、選手が自分自身の判断で動くことが必要だ。また、体格差のある相手と対戦した場合、小柄な日本の選手は1人で敵DFを突破するのが難しい。コンビネーションで敵を崩すためにも、「声の連携」は日本代表の生命線といえるだろう。

 それ以外にも、克服すべき課題はある。「サッカーは点を取らなオモロない」が監督の口癖だが、これまで日本は何度も得点力不足に泣いてきた。昨年の世界選手権も、守備は強豪国に通用する手応えを得た反面、攻撃のほうは振るわず、5試合で1点も取れずに終わっている。リスクを冒してでも攻撃に人数をかけられるかどうかがカギだろう。そのため「3対1」や「4対2」など人数に差をつけたミニゲームで、敵のカウンターに備えながら攻め込む練習も盛んに行われた。

「0対0で引き分けるぐらいなら、2対3で負けてもええぐらいの気持ちで攻撃的に戦いたい。これまでは、きれいに点を取ることばかり考えすぎていたような気もします。無理やりにでもゴールを奪うような泥臭いサッカーができたらええな、と思いますね」(風祭)

 パラリンピック出場を果たすためには、なりふり構っていられない。私も、そう思う。アジア選手権本番まで、代表選手全員が集まる合宿練習は、あと4回。その間にチームがどこまで逞しく成長するかを、この連載記事では追っていきたい。もし興味を持たれたなら、月に一度の代表合宿に足を運び、選手たちに声援を送っていただければ幸いだ。見えない選手たちにとっては、周辺の「おお!」「ああ~!」というどよめきだけでも、自分のプレイの良し悪しを確認する手がかりになる。

【岡田仁志(おかだ・ひとし)】1964年北海道生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。深川峻太郎の筆名でもエッセイやコラムを執筆し、著書に 『キャプテン翼勝利学』(集英社インターナショナル)がある。2006年からブラインドサッカーを取材し、2009年6月、『闇の中の翼たち ブラインドサッカー日 本代表の苦闘』(幻冬舎)を上梓。