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プレミアリーグと日本人選手の歴史。香川、宮市、李は新たな“成功者”となるか?

2012.08.22

2012-2013シーズン プレミアリーグ パーフェクトガイド』掲載

 3人の“サムライ”は自信を持ってピッチに立つ。日本中のファンは大きな期待を抱いている。今度こそ日本人選手は成功を収めてくれる。彼らは「プレミアリーグが夢の舞台ではない」とピッチ上で証明してくれるはずだ。

 

開幕節でプレミアデビューを果たした香川Text by Michael SMITH, Translation by Footmedia, Photo by Getty Images

■プレミアリーグの“扉”を開いた稲本

 日本人選手とプレミアリーグの関係を考えた時、思い出すシーンがある。2003年10月25日、場所はオールド・トラッフォード。マンチェスター・ユナイテッドの本拠地に乗り込んだフルアムが1点リードで迎えた79分。左サイドの浅い位置でボールを受けたステード・マルブランクが右足でゴール前にロビングを入れると、髪の毛を金色に染め上げた稲本潤一がタイミング良くゴール前に進入。稲本はワンバウンドしたボールを落ち着いて左足にミートさせた。スコアは3│1。フルアムが、ユナイテッドの本拠地で約40年ぶりに勝利した試合だった。プレミアリーグの歴史に、日本人フットボールプレーヤーが初めて名前を刻んだ瞬間である。

 それからもうすぐ10年が経とうかという今年の夏、かつて稲本がゴールネットを揺らしたオールド・トラッフォードで新たなスタートを切る日本人が現れた。ドルトムントからユナイテッドへと移籍を果たした香川真司だ。ブンデスリーガを席巻した小柄なテクニシャンは、プレミアリーグに挑戦した日本人プレーヤーの中で、唯一の成功者だった稲本を超えるべく、この地にやってきた。

 プレミアリーグに初めて日本人選手がやってきたのは01年。その年に行われたコンフェデレーションズカップで、稲本のプレーがアーセナルのアーセン・ヴェンゲル監督の目に留まった。当時、すでにローマで活躍していた中田英寿の存在により、イタリアでは日本人プレーヤーの実力が認められていた。だが、イングランドで最初に日本人選手の可能性を試したのは、かつてJリーグで監督を務め、1996年にアーセナルへと仕事の場を移したヴェンゲルだった。

 ガンバ大阪から海を渡った稲本はイングランドで5年の歳月を過ごし、アーセナル、フルアム、カーディフ、ウェスト・ブロムウィッチの4チームで公式戦110試合出場10得点、プレミアリーグに限れば66試合出場4得点という記録を残した。これらの記録は今なお、日本人プレーヤーとしてベストの数字である。

 アーセナルで過ごした1年目はリーグ戦には出場できず、チャンスはカップ戦だけだった。だが、今になって振り返ると、当時のアーセナルにはティエリ・アンリ、デニス・ベルカンプ、フレドリック・リュングベリ、ロベール・ピレス、パトリック・ヴィエラなど、そうそうたるメンバーがそろっていた。黄金期のビッグクラブで、無名の日本人が試合に出るのは不可能だった。だが、そうしたビッグネームたちとの練習の日々は無駄ではなかった。稲本は02年の日韓ワールドカップ(以下W杯)で2ゴールを挙げる活躍を見せると、その夏に移籍したフルアムでついに実力を発揮したのだ。

 青年監督クリス・コールマンの信頼を勝ち取った稲本は生き生きしていた。冒頭に書いたユナイテッド戦の得点は、クラブのゴール・オブ・ザ・シーズンにも選ばれた。古巣アーセナルとの対戦でも堂々たるプレーを見せ、「日本人選手=フィジカルが弱い」という先入観が当てはまらないことを証明した。結局、フルアムとの契約延長を目前にして足の骨折という重傷に見舞われ、長期の在籍はかなわなかったが、捨てる神あれば拾う神あり。フルアムでのプレーが認められ、ウェスト・ブロムウィッチから声が掛かり、プレミアリーグでの挑戦はその後も続くことになった。

 日本人らしくパス、トラップといった基本技術のレベルが高く、思い切りの良い攻撃参加とタックルも持ち合わせていた稲本は、攻守に貢献できるイングランド向きのMFだった。何より、彼にはピッチ上で90分間ファイトできる闘争心があった。だからこそ、複数のチームからオファーを受け、5年もプレーを続けられたのだろう。

■日本のエースでさえインパクトを残せず

 稲本がアーセナルと契約した01年には、西澤明訓、川口能活の2選手もイングランドの地を踏んでいる。だが、結果から言うと、2人ともプレミアリーグのピッチに立つことはなかった。

 スペインのエスパニョールから移ってきた西澤は、当時プレミアリーグ復帰1年目だったボルトンに加入。プレシーズンマッチでハットトリックを決めるなどアピールを続けたが、当時のチームにはマイケル・リケッツ、ディーン・ホールズワースなど4枚のストライカーがそろっており、出場機会が回ってくることはなかった。公式戦出場はリーグカップの4試合のみ。最初で最後のゴールは、デビュー戦でもあった2回戦のウォルソール戦。延長の末に4│3で勝利したこのゲームで、彼はスコアを3│3とする値千金のゴールを決めた。だが、リーグ戦では出場機会を得られないまま02年1月に母国へ戻った。

 日本人GKとして初めて海を渡った川口は、当時チャンピオンシップ(2部リーグ)に在籍していたポーツマスへ。加入1年目はリーグ戦11試合でゴールマウスを守り、日本人で初めてFAカップにも出場したが、レギュラーの座をつかむことはできず、控えとしての日々を過ごした。03│04シーズンにチームはプレミアリーグに昇格したが、自身はピッチに立てずデンマークのノアシェランに新天地を求めた。

 また、02年W杯に出場した日本代表チームで守備的MFを務めた戸田和幸も大会後にトッテナムと契約を交わしし、プレミアリーグに挑戦した。だが、清水エスパルスからやってきたこのハードマーカーも、リーグ戦ではわずか4試合の出場とさしたる印象を残すことなくオランダのADOへと去って行った。

 05年8月には、ボルトンに2人目の日本人プレーヤーがやってくる。当時、セリエAでの活躍により、すでに世界的スターになっていた中田英寿である。フィオレンティーナからのシーズンローン契約でやってきた司令塔は、加入直後こそレギュラーとして出場し、10月には初ゴールも決めた。だが、サム・アラーダイス監督が指揮を執った当時のチームといえば、長身選手を目掛けて後方から放り込むロングボールが戦術のすべてだった。ボールコントロールと組み立てのパスが長所だった中田の能力が生かされる環境ではなく、徐々にアラーダイス監督の信頼も失われ、出場機会が限られていった。在籍した1シーズンで公式戦31試合に出場したが、メディアの評価は総じて「インパクトを残せず」。シーズン終了後の完全移籍交渉もまとまらず、中田は06年夏に行われたドイツW杯でのプレーを最後に現役を退いた。

 中田がスパイクを壁に掛けたのと同じ夏、稲本もウェスト・ブロムウィッチからトルコのガラタサライへと移籍した。その後しばらくイングランドで日本人選手の名前を聞くことはなかった。ご存知の通り、イングランドは非ユーロ圏の選手にとって労働許可証の取得が難しく、三都主アレサンドロや宮本恒靖など、ビザの問題で移籍交渉がうまくいかず移籍すらかなわなかった例もあった。プレミアリーグは日本人選手にとって鬼門。そんな印象もあったかもしれないが、ドイツやオランダ、イタリアなど周囲の国々で日本人プレーヤーが徐々に増え、2010年南アフリカW杯で日本代表がベスト16進出を果たした頃には、挑戦の仕方も多様化していき、再び日本人がイングランドに現れるようになった。

 阿部勇樹はプレミアリーグのクラブではなく、チャンピオンシップのレスターに入団した。元日本代表監督イビチャ・オシムの愛弟子として知られた阿部は、南アフリカW杯で中盤のアンカーマンとして日本代表の躍進に貢献すると、その年の夏に浦和レッズからレスターへ移籍する。結局、彼はプレミアリーグのピッチに立つ前に帰国する道を選んだが、1部昇格を現実目標とする2部クラブからプレミアリーグを目指すという新しい選択肢は、後にサウサンプトンに加わり、今シーズンからプレミアリーグに挑戦する李忠成のキャリアへとつながっていくことになる。

 さらに、また違った道をたどったのが宮市亮だ。彼はJリーグのクラブを経由せずにイングランドへやってきた。中京大中京高校在学中に欧州各クラブのトライアルを受け、まさに自らの足でアーセナルとの契約を勝ち取ったのだ。2011年1月からの半年間をローン先のフェイエノールトで過ごし、昨年の夏にアーセナルへ戻ると、労働ビザの発行に必要な条件を満たしていなかったが、“特別な才能”を認められる形で労働許可を取得。半年後にボルトンへローン移籍し、プレミアリーグデビューを飾った。

 そして、李、宮市に続くのが香川である。セレッソ大阪時代にJ2で得点王を獲得した香川はドイツへ渡り、ドルトムントのブンデスリーガ2連覇に貢献した。リーグベストイレブンにも選ばれ、ドイツ国内でナンバーワンの攻撃的MFという評価を勝ち取り、まさに実力でアレックス・ファーガソン監督の興味を引き付けたのだ。日本のフットボールファンにとって、これほど誇れることはないだろう。

■香川の成功のカギは様々な環境への適応

 さてここからは、新シーズンのプレミアリーグに臨む3選手について考察する。まずは、ユナイテッドというビッグクラブでポジション奪取に挑む香川から。香川のユナイテッド入団が決まった際、一部の英国メディアは「アジアでシャツを売るための補強か?」と意地の悪い報道を展開した。もちろん、アジアのスターをチームに加えたのだから、そうしたボーナスは多少なりとも期待しているだろう。だが、イングランドで監督がヘッドコーチではなく「マネージャー」と呼ばれるゆえんでもあるが、このクラブの補強はすべてファーガソン監督の判断で行われるという大前提を忘れてはならない。プレミアリーグ史上最高の監督とも称されるファーガソン監督はクラブの栄光と勝利にしか興味がない根っからのサッカー狂だ。ピッチ上で利益をもたらさないプレーヤーを、ただの広告塔としてチームに加えることなど絶対にしない。その点で日本のサポーターが心配することはないと断言できる。あとは本人次第だ。

 では、香川の実力はプレミアリーグで通用するのか? 技術の高さ、アイデアの豊富さ、周囲の選手とうまく絡む順応性については、ドルトムントで嫌と言うほど相手に見せつけてきたように全く問題はない。ファーガソン監督も「シンジは違いを生み出せる選手。ファイナルサードでこれまでとは違う何かをチームに与えてくれるだろう。ドイツ時代のように得点力で貢献してくれれば、チームにとって非常に大事な選手になるはずだ」と語り、マンチェスター・シティのダビド・シルバ、チェルシーのフアン・マタのように、攻撃のアクセントとしての働きを期待している。プレミアリーグは世界で最も素早い攻守の切り替えを求められるリーグだが、その点も香川がプレーしてきたドルトムントや日本代表は、攻守の切り替えの速さをチームカラーとしてきたチームなので問題なく適応できる。唯一、不安視されるのはフィジカルだ。思うに、彼が真価を問われるのは洗練されたスタイルを持つアーセナルやチェルシーと戦うゲームよりも、ストークやノリッチといった中堅や下位のクラブと戦う試合かもしれない。愚直で力任せ、悪く言えば乱暴な古き良きイングランド・スタイルの相手に対応できるかどうかが、活躍のカギを握っているかもしれない。ただ、ここはドイツで屈強なDFたちを手玉に取ってきた2年間の経験がモノを言うと願いたい。それに、ユナイテッドにはトニー・ストラドウィックという敏腕フィジカルコーチがおり、フィジカル面に課題があったハビエル・エルナンデスやダビド・デ・へアのような外国人選手たちの肉体をプレミアリーグ仕様に仕上げた実績がある。クラブのサポートさえしっかり受けられれば、フィジカルも大きな問題にはならないはずだ。

 もう一つの問題は層の厚いビッグクラブで出場機会を得られるかどうか。コメントから察するに、ファーガソン監督は香川を2列目の選手と捉えているようだ。戦術的柔軟性を持った指揮官は4ー4ー2、4ー2ー3ー1、4ー4ー1ー1など複数のシステムを使い分け、選手には様々なタスクを与える。そこで香川がしっかりと対応できるかどうかが重要になる。守備に徹するよう指示されたり、サイドバックに起用されることもあるかもしれない。こうしたファーガソン監督の要求に応えられるかがポイントになるだろう。

 これは香川に限った話ではないが、最も大事なのはファーガソン監督が「スコットランドなまりも聞き取れるようになるといいね」と冗談めかして話したように、早く英語を覚えることも必要だろう。その点、ロンドン・オリンピックに出場せず、南アフリカと中国のプレシーズンツアーに参加できたことは大きい。じっくりチームメートと交流を重ね、肌で英語を学ぶ機会は開幕してしまうとなかなか訪れないからだ。幸い、面倒見の良さでおなじみのリオ・ファーディナンドは早速、香川のサポートを公言している。日本語が分かるパク・チソンの退団は残念だが、パクの親友でムードメーカーのパトリス・エヴラや、陽気な性格のアンデルソンらの協力を仰ぎながら徐々にチームへなじんでいけばいい。

■天性のスター性で成功を引き寄せたい

 次に、宮市はどうか。昨シーズン、ボルトンでのプレーで宮市はその魅力と課題を示した。最大の魅力はもちろん、ウォルコット顔負けのスピードだ。チェルシー戦でブラニスラフ・イヴァノヴィッチとガリー・ケーヒルをぶち抜いたシーンは英国中を驚かせた。技術の高さも特筆もの。香川と同様、彼もまたボールコントロールなどの基本レベルが非常に高い。FAカップのミルウォール戦で決めた初ゴールのファーストタッチ、プレミアリーグのQPR戦でイヴァン・クラスニッチの決勝点をアシストしたラストパスなどはその好例であり、何気ないトラップの正確さなども、ボルトンではトップクラスだった。更に、彼はボールを持ったらまずは相手に仕掛けようという“マイ・ルール”を持っており、90分を通じて気力と集中を切らさないハートの強さとスタミナもある。これはイングランドのファンに気に入られるために絶対に必要な要素だ。持っている素質は十分。あとは昨シーズン終盤戦のように、相手から警戒された時の対応力を身につけたい。単調にならないように工夫する力。いずれアーセナルのレギュラーになるには、これを磨いていくべきだ。幸い、彼はまだ19歳。まだまだ時間は残されている。ローン移籍先のウィガンで実戦経験を積めば、その才能はさらに磨かれていくはずだ。

 最後に、今年1月にサンフレッチェ広島から渡英し、半年後にプレミアリーグへの挑戦権を獲得したサウサンプトンの李についてだが、彼もまた宮市と同様に苦しいシーズンを送るかもしれない。韓国人の血を持つ日本人選手である彼は、アジアを代表する両国の良い部分を兼ね備えている。日本人特有の堅実な技術と献身的な姿勢、パク・チソンやイ・チョンヨンなどに見られる勇敢さや貪欲さ。いわゆる“根性”は、日本人選手の中でもピカイチだろう。

 ただ、サウサンプトンは今シーズン、残留争いを戦うことが予想される。戦力的に格上の相手ばかりと戦う中で、どうしても守勢に回る展開が増える分、下位チームのストライカーには、体格を生かしたボールキープや、ロングボールを直接たたき込める高さが求められる。そして、現チームのエースであり、昨シーズンの2部年間最優秀選手でもあるFWリッキー・ランバートはまさにそのタイプ。クラブ加入後、132試合出場で78得点を決めてきたエースからポジションを奪うのは容易ではなさそうだ。

 それでも、李には期待してしまう何かがある。例えば、今年2月のダービー戦で決めた左足の移籍後初ゴールは、シュート精度と思い切りの良さが光ったファインゴールで、クラブのゴール・オブ・ザ・シーズンに選ばれている。また、サウサンプトン移籍の決め手となり、ナイジェル・アドキンス監督が「選手たちに何度も映像を見せた」という2011年アジアカップ決勝で決めたボレーシュートも、彼が持つスター性を象徴するものだ。ファンの心に残るゴールを決められる選手は、たとえ出場機会が多くなくとも、それだけで存在価値を得られるものだ。そして、李はそのタイプの選手に見える。今シーズン、オールド・トラッフォードで香川擁するユナイテッド相手に李がビューティフルゴールをたたき込む。日本人ファンにとってこれほど面白いシチュエーションはないだろう。

 

【浅野祐介@asasukeno】1976年生まれ。『STREET JACK』、『Men’s JOKER』でファッション誌の編集を5年。その後、『WORLD SOCCER KING』の副編集長を経て、『SOCCER KING @SoccerKingJP』の編集長に就任。

 

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