2015.10.08

育成年代で経験した合併劇…田中隼磨「自分に課された試練。ターニングポイントだった」

tanala

インタビュー=小谷紘友 写真=山口剛生(Agence SHOT) 

 1998年、日本サッカー界を揺るがした横浜F・マリノスと横浜フリューゲルスの合併劇があった。当事者の一人として、フリューゲルスの育成組織に所属していた田中隼磨がいる。先行きのわからない状況から、日本を代表するサイドアタッカーに上りつめた道のりを振り返る。

心身ともに成長させられた出来事だった

――育成年代では横浜フリューゲルスユースに所属されていましたが、横浜FMとの合併に関して、どのような心境でしたか?
田中隼磨(以下、田中) 僕自身は長野県の松本からフリューゲルスユースに入ることになり、1年も経たないうちにチームが合併することになってしまいました。当時は頭の中が真っ白になり、トップチーム同様に、ユース以下の育成組織もみんな動揺していました。「この先どうなるのか」と、自分の人生もまったくわからないまま日々を過ごしていました。チームがなくなってしまうので、「もう松本に帰らなければいけないのかな」と思っていましたが、トップチーム同様にユースも合併することになり横浜FMに加入しました。フリューゲルスにいた選手全員が横浜FMに行けるわけではなく、僕を含めて数人しか行けなかった。今までフリューゲルスの仲間としてやってきた親友たちの分も背負って、横浜FMに行かなければいけないと高校生ながらに感じました。

――そういう想いは、厳しい局面やサッカーで挫折しそうになった時に力になったりするのですか?
田中 そうですね。僕自身、合併という事実を知った時はすごくショックでした。ただ、当時は高校生ながら「下を向いていても仕方がない」、「前向きにポジティブに取り組まないといけない」と強く感じました。前向きに捉えることによって、自分自身はマリノスに行くことができたと思います。悲しむこともできるけれど、常に前向きに捉え、「これは自分に課された試練」と考えて乗り越えたら必ず先に良い結果が待っていると強く思いながら過ごしていました。

――高校生ながら一つの契機になりましたか?
田中 もちろん、そうですね。松本から横浜に出てきて、心身ともに成長させられた出来事で、自分の中でターニングポイントになっています。

目標に到達していくことにより、満足するのではなくて、さらに新たな目標や挑戦をしようと感じた

tanaka

――振り返ってみて、当時は練習方法や意識で同世代と違った部分はありましたか?
田中 育成組織の時から「プロになるんだ」という強い気持ちは持っていましたし、プロになってからも「結果を出すんだ」という気持ちはあります。気持ちの部分は周りの選手に負けていなかったと思いますし、人よりも何倍も何十倍も練習をして、努力も負けていなかったなと感じています。

――プロになる過程で影響を受けた人物はいらっしゃいましたか?
田中 選手も監督もたくさんいらっしゃいます。岡田(武史)さんを始め、(イビチャ)オシムさん、名古屋グランパスの時はピクシー(ドラガン・ストイコヴィッチ)。今は反さん(反町康治)とやっていますが、皆さんから本当に多くのものを学び、彼らの厳しい指導があったからこそ今の自分があると思う。自分のサッカー経験値も上がり、自分の将来のためにいろんなことを吸収できています。

――プロ以前で影響を受けた人物はいらっしゃいましたか?
田中 ユース時代の監督で、現在はV・ファーレン長崎でコーチをやられている安達亮さんには、サッカーの面ではもちろんですが、「ピッチ内だけではなくてピッチ外でも模範となるような行動をしなければサッカー選手にはなれない」など、すべてを教わりましたね。

――人間性の向上が、サッカー選手としての成長に影響を与えていると。
田中 そうですね。それはすごくあると思います。

――具体的にどのような面でしょうか?
田中 やはりメンタル面は選手にとって非常に大きいです。先ほども言ったとおりフリューゲルスが合併した時に、前向きに挑戦することで新しい道が開けたと思っています。ショックを受けてサッカーができなくなるのではなく、前向きに自身のプラスになることに取り組むには、日頃からしっかりとしたメンタルがなければできなかった。合併するまでに安達さんからピッチ内外で前向きにしっかりとした行動を取らなければいけないと教わっていたからこそ、合併という現実を受け止めることができたと思います。

――向上心に関しては、どこから生まれてくるのでしょうか?
田中 一言で表すのは難しいですね。僕自身も日本代表入りや、Jリーグで優勝を経験していますが、それでも満足することなく勝利への意欲は全く薄れてないです。何度優勝しても、「また優勝したい」という気持ちがすごく強く、そういう勝利への意欲が薄れたらサッカー選手を辞める時だと思っています。ただ、意欲はプロに入った当初とも優勝した時とも全く変わっていません。

――優勝を始めとする栄光と敗戦などの屈辱。自分を後押しするのはどちらになるのでしょうか?
田中 選ぶのは難しいですが、両方があるからこそですね。良い時もあれば悪い時もある。常に勝ち続けるのは難しく、勝ち続けられる選手はいないと思います。自分自身、今までいろんな悔しさや屈辱を味わい、その気持ちを心に残しながら、次の成功や次の勝利のために結びつけるようにしています。

――きっかけとなる出来事はありましたか?
田中 日本代表に選ばれた時は、自分自身のターニングポイントだったと思いますし、一番最初に横浜FMで優勝した時もポイントになりました。今まで優勝するためにやっていましたが、実際に優勝したにも関わらず、意欲もすごく出てきました。代表でも、今まで選ばれたいとやっていましたが、代表に入った途端に向上心など意欲が出てきました。目標に到達していくことにより、満足するのではなくて、さらに新たな目標や挑戦をしようと感じました。

――田中選手がプロを意識したのはいつ頃でしょうか?
田中 小学5、6年生の時にJリーグが開幕して、「いつか自分もああいう舞台に立ちたい」という強い気持ちを持つことができました。小学校の頃から「自分は絶対にプロになるんだ」という気持ちがあり、フリューゲルスユースに加入した時も、合併した時も気持ちは子供の時と変わらなかったです。自信とかではなく、「プロになるんだ」という強い気持ちがあったからこそ、実際に達成できたと思います。

――最後にプロ選手を目指す学生にアドバイスをお願いします。
田中 僕自身、子供の頃に何度も挫折をしましたが、強い気持ちを持つこと、自分を信じることができなければ夢や目標は達成できないと思います。あきらめたり、下を向いていたらどんどんのネガティブな方向に行ってしまう。そうではなく、前向きに自分を信じて努力を続けたり、「練習すれば目標は達成できる」という強い気持ちを持てば、何年後かに必ず結果は得られると思います。