2015.07.01

ケルンの長澤が高校、大学時代を回顧「プロを初めて意識したのは大学2年生の時」

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インタビュー=安田勇斗 写真=山口剛生/Agence SHOT

 専修大学から海外での挑戦を選択したケルンの長澤和輝。ドイツで2年を過ごした彼の、青年期のサッカー人生を紐解くと、プロへとつながる確かな歩みと、その先へと続いていくストーリーが垣間見えた。高校時代、大学時代に彼は何を思いサッカーと向き合ってきたのか。

いい思い出も悔しい思い出も選手権

――長澤選手がプロになる過程の話をうかがいたいと思います。八千代高校入学のきっかけは中学3年生の時に見た米倉恒貴選手(ガンバ大阪)のプレーだったということですが、米倉選手はどんな存在だったのでしょうか?
長澤 中学生の時には毎年、千葉県の選手権県予選や全国大会を見ていたのですが、中学3年生の時は千葉県で八千代高校が優勝して、全国大会ベスト4まで勝ち進んだんです。千葉県民として八千代高校を応援していましたし、その中でも僕と同じポジションで活躍している米倉選手は憧れの存在でした。

――中学3年生の選手権ということは受験シーズン真っただ中の1月ですよね。
長澤 そうですね。ただ予選から見て「八千代高校に行こうかな」と思っていて、その中で米倉選手の活躍を見て行くことを決意しました。

――米倉選手のどんなプレーがすごいと思ったんですか?
長澤 フィジカルもすごく強い上に両足の技術も高く、大事なところでゴールも決めて、本物の10番だなって。さらにキャプテンでもあり、純粋にすごいと思いました。

――高校入学時はプロを意識していたのでしょうか?
長澤 プロになりたいという思いはありましたが、世代別代表に選ばれたこともないですし、高校選抜や地域選抜などの経験もない本当に無名でしたので、当時はイメージできなかったですね。全国大会も高校3年生の最後の選手権まで出場したことがなかったですし。

――では本格的にプロを意識するようになったのはいつですか?
長澤 大学2年生の時にJリーグのクラブから声をかけてもらってからですね。もしかしたらプロになれるんじゃないかなって。

――高校時代の3年間を振り返ってみて、毎日どのような意識でトレーニングに臨んでいたのでしょうか?
長澤 高校サッカーでプレーする誰もがそうだと思うんですけど、選手権で結果を残すことが大きな目標で、そのためにインターハイやリーグ戦で何をするかということを考えていました。高校1、2年生の時は個人の能力を上げることを考えていましたし、3年生ではキャプテンになったこともあってチームが勝つためにはどんなことが必要かを考えるようになりました。八千代高校での全体練習は2時間だったのですが、その後や朝に自主練をしていました。その自主練で、どんなことをしようかとチームメートと考えたり、自分でも考えたりして実践してきましたね。

――具体的にはどのようなことをされたのでしょうか?
長澤 個々のプレーの能力を上げることを考えていました。例えばシュートやキックの練習だったり、チームとしてビルドアップがうまくいかなかった時には、グリッドが描かれた紙を使って「こっちが4人だとこっちが3人になるから」とか実際の試合をイメージしたトレーニング方法を発案して、それをやってみるとか。自分の考えを聞き入れてくれるチームメートがいたおかげでそういった練習ができました。

――高校1年生の時から自主練では自分の考えを採り入れていたんですか?
長澤 そうですね。自分の苦手なプレーとか、それを利き足ではない左足でできるようにしたり。試合中に仲間から要求される「こういうボールを蹴ってほしい」ということができるように取り組んだり。それで自分たちが上級生になるにつれて、個人的な部分だけでなく、チームとして足りない部分を練習するようになりました。

――高校の3年間は順調だったと思いますか?
長澤 どうですかね。高校1、2年生は全国大会に出られず、プリンスリーグから県リーグに落ちてしまいましたし……。それでも3年生になってプリンスリーグ2部でできていた時は順調だったと思いますけど。

――挫折を味わうというよりは常に前向きにできていたという感覚ですか?
長澤 高校1年生の頃はずっと試合にも出られませんでしたが、その中でもいい経験はできていました。それで高校2、3年生になってチームの中心として使ってもらえるようになってからは、当時の(砂金伸)監督からも「和輝がやりたいように」と、成長できる部分を伸ばすような指導をしてくれていましたし、それはすごく感謝していますし、そのおかげで前向きに取り組めていたと思います。

――高校時代の一番の思い出は何ですか?
長澤 一番の思い出は最後の選手権の千葉県決勝で習志野高校と対戦して、試合中にPKを外して延長になってしまい、最後のPK戦でも自分が外してしまって……それでも優勝できたことです(笑)。本当に仲間に感謝しています。

――逆に一番悔しかったことは?
長澤 選手権の本大会で負けた時ですね。全国の舞台で3回戦で(関西大学第一高校に)負けてベスト8を逃してしまったのですが、連戦の疲れもありましたし、相手のハードなプレッシャーの中で思うようなプレーができないまま終わってしまって……。一つの目標に向かって3年間を懸けるということはそれまでなかったですし、思いが強かった分、悔しさも大きかったですね。

――卒業後は専修大学に進学されました。いろいろな選択肢があったと思うのですが、どんなことを考えて進路を決めたのでしょうか?
長澤 大学の選択肢としては、他にも流経大学や中京大学、中央大学も考えていました。実は、第一志望は中央大学だったのですが、セレクションで落ちてしまい行けなかったんです(苦笑)。

――そうだったんですね。では第二志望が専修大学だった?
長澤 はい。「どうしよう」ってなっていましたけど、いくつか選択肢がある中で専修大学に決めました。高校の3年間は体育科だったので、体育系ではない大学に行きたいという思いがあったんです。体育の先生を目指すのではなく、自分の将来の幅を広げたいなと。それと、専修大学の練習に参加した際に感じたパスサッカーが魅力的で、「こういうサッカーをしたい」と思ったんです。

――では学業については、4年間でどんなことを身に付けたのでしょうか?
長澤 一つは教職ですね。公民の高校一種免許を取得しました。それと経営学部と商学部にはスポーツウェルネスプログラムという、推薦で入学したスポーツ選手への特別なカリキュラムがあって、経営学部だった僕はそれを受講していました。スポーツ心理学やスポーツ栄養学など、スポーツ専門の学問で、様々な仕組みをスポーツを通じて学べたことは、今改めて理解することもありますし、本当に良かったと思います。

――ちゃんと授業は出ていたんですね(笑)。
長澤 勉強については、したくないことはしないですけど(笑)、自主的にしたいと思うことは、単位を取れるとかそういうことは抜きにして、勉強しに行っていました。それに単位も結構取ったんですよ。教職を取るために必要だったこともありますけど、卒業に必要な単位数の倍ぐらい取りました。

――では、大学4年間で一番印象に残っていることは?
長澤 やっぱりサッカーのことですね。関東大学2部リーグで1年間を終えて、1部に上がって、その年に優勝してという過程はすごく印象的でした。それに、優勝が当たり前という立場でサッカーをする機会はなかなか得られないですし、すごくいい経験になったと思います。

――大学時代は、2013年にユニバーシアード日本代表でカザン大会に出場しましたが、銅メダルという結果もそうですし、そこで得た経験も大きかったのではないでしょうか?
長澤 大学2年生の時のイタリア遠征から始まった全日本大学選抜としての活動の最後にユニバーシアードがありました。選抜に入るまでは、海外の選手とプレーすることも海外で試合をすることもほぼなかったのですが、改めて振り返ると、その時の経験があるから今こうして海外でサッカーができるんだと思います。当時のユニバーシアード日本代表の(吉村雅文)監督が海外遠征のプログラムを組んでくれたのにはすごく感謝しています。サッカー選手としても、一人の人間としてもすごく幅が広がったんじゃないかなと感じています。

――大会自体はどうでしたか?
長澤 1カ月ほど開催地のロシアに行っていたんですが、海外の地で1カ月も他の選手たちと共同生活をするのは非日常的な環境でしたね。勝ち上がるにはどういうふうにモチベーションを維持して試合に臨むのかとか、いろいろな部分で勝負をしないといけないですし、みんな同じような環境の中でチームメートやスタッフも一丸となってやることができました。すごく楽しかったですね。

――金メダルを期待されるほど豪華なメンバーだったと思いますが、結果についてはどう捉えていますか?
長澤 準決勝(フランス戦)で敗退した時も僕がPKを外して負けているんです。一番最初に蹴って外してしまい、本当に申し訳ないことをしてしまったなと。ただ、勝利や結果がすべてではありますけど、振り返って一番に思うのはそういう経験も大きかったなってことですね。

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チャレンジすることにデメリットはないと感じた

――7月から次の世代のユニバーシアード大会が韓国で始まります。動向は気にしていますか?
長澤 メンバーもチェックしますし、気になりますね。大会を通じて海外経験もできるので、そこから海外へチャレンジするのもいいと思います。そうした選手たちの活動が大学サッカーの発展につながると思うので、精いっぱいやってほしいと思っています。

――現在のユニバーシアード日本代表メンバーで仲がいい選手もいるんですか?
長澤 萩間(大樹)選手は専修大学の後輩ですし、長谷川(竜也/順天堂大)選手や和泉(竜司/明治大学)選手なんかも出ますよね。仲がいいというより、対戦経験があるのでよく覚えています。

――長澤選手は大学サッカー出身ですし、大学サッカーに対する思いも強いのではないでしょうか?
長澤 日本のサッカー選手は海外と比較しても少し発育が遅い部分があると思いますし、高校からいきなりプロに上がる選手だけではなく、大学を経由した選手がその先の舞台で伸びるケースもあると思います。そういう意味ではもっと注目されてもいいのかなと。大学サッカーの価値が上がってほしいですし、どんどんいい選手が出てきてほしいと思っています。

――大学サッカーを経由して良かったと思う点はどんなところでしょうか?
長澤 大学は高校よりも自分で考えて行動する部分がすごくあるのかなと。自主性や自分で考える力は成長しますし、他のチームの選手やサッカー以外の学生と関わる機会も多いので、友達作りやコミュニケーションなど、社会人になるにあたって成長できる部分はすごくあると思います。

――ケルンに加入するきっかけは、大学選抜の海外遠征時にスカウトされたということなのですが、それはどんなタイミングだったのでしょうか?
長澤 4年生の時に大学選抜でドイツ遠征に行ったのですが、サテライトチームと対戦した際にスカウトの人もたくさん来ていて見てもらっていたようです。実際にはその時に声をかけてもらったわけではなく、「こういう選手がいるぞ」っていう情報が海外の代理人に伝わって、それで機会をもらえました。その後ケルンで2週間ほど練習参加して、その時にオファーをもらいました。

――そうだったんですね。海外移籍前は2種登録の特別指定選手として横浜F・マリノスでプレーしていましたが、そこではどんな経験を得られましたか?
長澤 僕にとって初めてのプロチームでしたし、試合にも出してもらい大きな経験ができて感謝しています。でも大学とプロの両立は難しいことを実感しました。週末には(大学の)リーグ戦に出ないといけないし、そうするとJリーグでは出られない。そもそも競争にも入れません。(Jリーグで出場した)ナビスコカップは週の半ばに組まれますけど、やっぱり週末に向けて大学のチームで調整しないといけないので、ナビスコ杯の前にF・マリノスにいる状況を作れなかったり、なかなかうまくいかなかったですね。

――大学とプロでレベルの違いは感じましたか?
長澤 それは感じました。選手の能力がそもそも全然違いますし、それに加えてプロの世界で戦ってきた選手なので、いろんな意味でのうまさも違うと思いました。

――Jリーグ経験もある中で海外クラブからオファーがあり、ケルン行きを選択しました。自身では「挑戦」と言っていたのですが、その言葉の真意はどこにあるのでしょうか?
長澤 サッカーで上を目指したいという思いがあり、その中でいずれは海外でプレーしたいという気持ちがありました。それが「いずれ」と思っていた海外のクラブからオファーをもらい正直迷いました。でも、何もない大学生の僕にとって、海外でチャレンジすることにデメリットはないと感じたんです。無名の選手がドイツに行くので、最初から評価なんてないんですよね。だからゼロからスタートして勝負しようと決めました。そうすることで、越えていけるものもたくさんあるはずだと思い、大学からの「挑戦」を決意したんです。

長澤 和輝(ながさわ・かずき)
1991年12月16日生まれ、千葉県出身。
八千代高校時代に全国選手権で大会優秀選手に選ばれるなど育成年代から頭角を現し、専修大学進学後は1年からレギュラーに定着した万能型MF。2013年3月には横浜F・マリノスに特別指定選手として加わり、4月のナビスコカップでJリーグデビューを果たした。13年のユニバーシアード日本代表にも選ばれ、銅メダル獲得に貢献。同年12月にブンデスリーガ2部のケルンへ加入し、チームの1部昇格に貢献した。Twitterアカウントは@nagasaman1216