2016.01.20

名古屋加入の明治大DF高橋諒、目標は長友佑都を越えて代表入り「見習う点はたくさんあるけど、負けたくない」

静岡を拠点に活動するフリーライター。清水エスパルスを中心に、高校・大学サッカーまで幅広く取材。

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写真=平柳麻衣

 中学、高校は親元から遠く離れた長崎の地で過ごし、明治大学を経てプロ入りを果たした。しかし、それは目標の第一歩にすぎない。同じ左サイドバックを務める大先輩、日本代表DF長友佑都に対して「争わなければいけない相手」と述べる高橋諒の目線は、さらに先を見据えている。

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厳しい練習や走りこみはどの高校よりもやっていた

――小学校4年生でサッカーを始めたそうですが、どういう経緯で長崎県の国見中学校に進学したのですか?
高橋 出身は群馬県で、最初は地元のクラブに入りました。クラブ自体は全然弱くて、県大会に出られるかどうかくらいのレベルでしたが、僕はクラブの練習がない日も自主練をやっていて、地域の選抜にも入っていました。中学も地元のチームに入ろうと思っていたんですけど、お父さんがインターネットで情報を探して、国見中の見学に行ったんです。その時に国見の試合も見て、いいなと思ったので入学を決めました。

――長崎には家族も一緒に行ったのですか?
高橋 1人です。国見中は他県から来る人が多いので、みんなで下宿して楽しかったです。

――中学時代の成績は?
高橋 1学年上の代の時に全中(第38回全国中学校サッカー大会)で3位になりました。自分たちの代は強いと言われていたんですけど、県大会で負けてしまいました。

――その頃のポジションやプレースタイルは?
高橋 サッカーを始めたばかりの頃はセンターバックをやっていました。それほど体は大きくなかったのですが、足の速さを買われたんだと思います。今振り返ってみると、オーバーラップばかりするセンターバックでした(笑)。

――他のポジションをやってみたいとは思わなかったのですか?
高橋 その時はまだ始めたばかりだったので、とにかくがんばろうと思っていて。小学6年生の頃はボランチやサイドハーフもやって、中学校からはFWになって、たまにサイドハーフもやっていました。

――FWとしてはどんなプレーヤーだったのですか?
高橋 運動量を活かして、前からボールを追い回すスタイルです。あとは、裏に抜ける動きやドリブルを得意としていました。

――最も得意なポジションはどこだったのですか?
高橋 コロコロと変わっていたので、どこがいいというのはなかったです。まずは試合で使ってもらうことが大事だと思っていました。

――利き足は左ですが、サッカーを始めた時からですか?
高橋 はい。ドリブルの時によく右足を使うので、あまり左利きっぽくないと言われるのですが、キックの精度が高いのは左です。

――高橋選手の持ち味である運動量は、いつ頃から武器となったのですか?
高橋 小さい頃に喘息を持っていたので、サッカーを始めたのは遅かったんですけど、学校のマラソン大会ではずっと1位でした。走ることは好きではなかったですけど、お母さんが学生時代に陸上部で長距離と短距離を両方やっていて、栃木県で1位を取ったこともあるらしいです。お父さんも野球をやっていたので、親の遺伝のおかげかもしれないですね。

――国見中に入った時から、高校も国見に行きたいと考えていたのですか?
高橋 いや、最初は地元の強豪の前橋育英高校に行きたいと思っていたんです。でも、中学の三者面談でなぜか僕だけ校長室に呼ばれて、入ったら国見高のスタッフがたくさんいて、三者どころか監督やコーチを含めて7人くらいに囲まれて勧誘されて(笑)。失礼な言い方ですけど、「そこまで言ってもらえるなら国見でいいや」と思って、中3の夏休み頃には国見高に行くことを決めました。

――高校入学後、試合に出たのはいつ頃からでしたか?
高橋 最初は体格などに差があったのですぐには出られなかったですけど、夏頃にはトップチームに上がって、ベンチメンバーに入っていました。高校時代もFWとサイドハーフを両方やっていて、レギュラーになったのは2年生からです。入学当初から国見の中で一、ニを争うくらい走れたので、運動量は期待されていたと思います。

――高校時代で特に印象に残っている大会はありますか?
高橋 高校2年生の時のインターハイ(全国高校総合体育大会)と選手権(全国高校サッカー選手権大会)です。自分にとってはどちらも初めての舞台だったので、レベルが高い中でどれだけやれるのかなという気持ちで臨みました。実際、やれた部分もありましたけど、インターハイは2回戦で流経大柏(流通経済大学付属柏高校)に負けてしまい、選手権は山梨学院(山梨学院大学付属高校)に敗れて、初戦で終わってしまったので悔しかったです。

――3年間を総括すると、どんな高校時代でしたか?
高橋 全国大会では結果を残せなかったですが、厳しい練習や走りこみはどの高校よりもやっていたと思います。そのおかげで個人としても成長できたし、あれだけキツい環境でやっていたので、大学に入ってからはすごく楽だなと感じます。

――走りこみは毎日やっていたのですか?
高橋 走るのは基本的に週に1回ですけど、練習時間がすごく長かったです。まず全体の朝練が6時からあるので、5時頃に起きてグラウンドに行って、30から40分くらいドリブルなどの個人練習をしていました。授業が終わってからは16時から19時過ぎくらいまでがチームの練習時間で、ナイター設備が20時に消えるので、それまでまた個人でドリブル練習をして。平日は毎日そんな生活で、22時には寝ていましたね。

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自分が攻撃的なプレーをすれば、点が入る可能性が高くなる

――卒業後、明治大に進学した経緯は?
高橋 国見高の内田(利広)コーチに「明治はどう?」と勧められて、セレクションを受けました。内田さんは国見中から国見高、明治大、名古屋グランパスと偶然ですが僕と全く同じ経歴なんです。

――明治大に入学した当初は左サイドハーフが主戦場だったそうですが、高校サッカーと大学サッカーの違いに戸惑うことはありましたか?
高橋 ボールを持った時は通用したんですけど、ボールを持っていない時の動きやポジションの取り方に戸惑いました。国見は戦術的にポゼッションをするチームではなかったですし。

――その頃、監督やコーチに言われたことで憶えていることはありますか?
高橋 三浦(佑介)コーチには、守備についてよく言われました。入寮して2、3週間後くらいの練習試合で守備をサボってしまい、その後ずっと試合に出させてもらえず、審判をやっていた時期があったんです。

――関東大学リーグの初出場はいつでしたか?
高橋 1年生の後期です。ずっとセカンドチームの試合に出ていたんですけど、ある日、セカンドチームの左サイドバックの選手がけがをして、サブに入っていた僕が代わりに出て、その試合でのプレーが評価されて、以後は左サイドバックに定着しました。

――サイドバックに定着したことでのメリットやデメリットは?
高橋 自分の運動量や対人の強さを活かせるポジションだと思います。ただ、攻撃よりも守備を求められるので、最初の頃は前に出たいという気持ちもありました。

――明治大出身の左サイドバックというと、先輩の長友佑都選手(インテル)について聞かれることも多いと思います。
高橋 名古屋からオファーが来た時にそういう風に新聞に載ったんですけど、その前に(室屋)成が「長友2世」と言われていたので、明治のサイドバックはみんなそう言われるのか、と思いました(笑)。

――在学時期は被っていませんが、長友選手に対してどんな印象を持っていますか?
高橋 直接話したことはほとんどないので、あまり意識はしていないですが、長友さんはどちらかというと、攻撃よりも守備の方がすごいなと思います。一対一の守備やアジリティーなど、見習う点はたくさんありますけど、同じポジションなので、いつかは争わなければいけない相手だと思っています。僕は守備よりも攻撃を得意としているので、サイドでのドリブルは負けたくないですね。

――サイド攻撃は明治大の特長の一つですが、高橋選手と室屋選手の攻撃参加は見応えがあります。
高橋 自分が攻守において運動量を発揮したり、攻撃的なプレーをすれば点が入る可能性が高くなるので、やりがいを感じます。ただ、2人とも上がったら後ろがやられてしまうので、成が上がったら自分は後ろに残りますし、逆に僕が上がったら成は残るようにしています。試合中に声をかけることはあまりなく、お互い目で見て、という感じです。

――サイドバックでは、得点よりもアシストをする機会の方が増えたと思いますが、自分でも点を取りたい気持ちはありますか?
高橋 やっぱり点が取れるサイドバックになりたいですし、それが今後の自分の課題でもあります。よりゴールに近づくことができれば、今以上の評価をされると思うので。

――大学4年ではユニバーシアード光州大会に出場しました。国際大会を経験して感じたことはありましたか?
高橋 海外の選手は手足が長くて、国内の試合なら抜けた一対一でも抜けなかったり、間合いが全然違うなと感じました。名古屋で結果を出すことができれば、日本代表には絶対に入れると思うので、代表に入ってまた海外の選手と対戦したいです。

――これまでのサッカー人生で影響を受けた人はいますか?
高橋 中学と高校の先輩の武内大さん(V・ファーレン長崎)です。武内さんは中学の時から年代別の代表に入っていて、複数のクラブユースから声がかかるくらいすごい選手だったんですけど、代表のアジア予選で膝のけがをしてしまい、結局、国見高に行きました。自分が国見高に行ったのも武内さんに「俺がいるところに来いよ」と言われたことが理由の一つですし、本当にストイックな人で、練習でもプライベートでもいつも一緒にいました。「武内さんがいたから今の自分がある」と思っています。

――指導者で影響を受けた人はいますか?
高橋 指導者の中では、明治大の三浦コーチです。自分をサイドバックにしたのは三浦さんだと、神川(明彦/明治大総監督)さんから聞きました。三浦さんが見いだしてくれなかったら今の自分はいないですし、守備をすることの大切さや一つひとつのポジショニングなどについては、ずっと言われてきました。「自分が活きるためにはどうしたらいいか」と考えるようになったのも、三浦さんが僕に影響を与えてくれたおかげです。

――プロ入りを意識し始めたのはいつ頃でしたか?
高橋 サッカーを始めた日から「プロになれたらいいな」と思っていましたけど、本気で目指そうと思ったのは高校生の頃だと思います。高卒ではなれなかったので、大学4年間で勝負をかけようと思いました。

――名古屋からオファーが来た時はどんな気持ちだったのですか?
高橋 うれしかったんですけど、名古屋以外にもう一つオファーをもらったので、進路を決めるのが大変でした。

――名古屋への加入の決め手は?
高橋 練習参加した時にチームの雰囲気や環境が良かったことです。あとは、川又(堅碁)選手や永井(謙佑)選手といった日本代表選手もいるので、自分がどんどんサイドで仕掛けてチームの点が入ることによって、グランパスの勝利も近づきますし、チームが評価されれば自ずと個人も評価されると思っています。

――名古屋は2016シーズンから小倉隆史監督が就任します。
高橋 ちょうど監督が代わる年に加入するので、フラットな目線で見てもらえますし、自分もアピールできれば開幕戦から出られるチャンスはあると思っています。

――名古屋に練習参加した時に、印象に残った選手はいますか?
高橋 みんな優しくしてくれました。永井選手はテレビで見るよりももっと足が速かったです。

――これからプロの世界に入る上で、改善しなければいけないと思っている部分はありますか?
高橋 右足のキックの精度やヘディングです。明治はセンターバックが強いので補ってもらっていた部分がありました。名古屋も大きな選手がそろっていますけど、自分の改善点の一つだと思っています。

――今後の目標は?
高橋 まずは来シーズンの開幕戦で試合に出ること。そして、出るだけではなく結果を残して、日本代表にも入って結果を残して、いずれは海外に行くことが目標です。

――海外志向が強いのですね。
高橋 海外には挑戦したいです。プロになったら自由な時間が増えると思うので、言語も勉強したいと思っています。

――Jリーグでマッチアップが楽しみなサイドバックはいますか?
高橋 成とマッチアップしたいですね。早ければ来シーズン、実現する可能性もありますし(室屋は2015シーズン、JFA・Jリーグ特別指定選手としてFC東京に登録)。

――明治大のチームメートである和泉竜司選手も名古屋へ加入しますが、どちらが先に決めたのですか?
高橋 同じくらいのタイミングです。頼もしい存在ですし、大学で4年間一緒にやってきて、竜司の動き方や合わせ方は僕が一番わかっているので、2人で一緒に試合に出て、僕のアシストから竜司の得点が生まれればいいなと思います。

――これからどんなプレーヤーになりたいですか?
高橋 人間性の部分では、サポーターから愛されて、他の選手の見本になれるような人間になりたいです。サッカーでは、子供が憧れるような選手になりたいと思っています。