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岐阜内定の法政大主将、田代雅也「プロの舞台で自分の限界を探る」

2016.01.16

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インタビュー=安田勇斗 写真=平柳麻衣

 名門武南高校から法政大学へと進み、4年後にプロへの切符をつかんだ。「空中戦と対人では絶対負けられない」と固く誓うセンターバックの田代雅也は、キャプテンを務めて精神面も大きく成長。加入先のFC岐阜では「シーズンの前半で、半分以上の試合に出ること」と高い目標を掲げる。

あの言葉で武南に行こうと決意しました

――どういうきっかけでサッカーを始めたのでしょうか?

田代 幼稚園で休み時間に遊んだりしてて、本格的に始めたのは小学校1年の時です。友達と一緒に、蕨北町サッカースポーツ少年団というチームに入りました。

――どういうチームでしたか?

田代 県でベスト16に入れるかどうかのチームで、プロが出るようなところではなかったです。気持ちを戦うチームでしたね。学年によってコーチが変わるんですけど、リフティングの練習が多い時もありましたし、いろいろやりました。

――当時のポジションは?

田代 センターバックとボランチを半々ぐらいでやってました。中学までは両方やっていて、高校になってからはセンターバックだけです。自分自身、足元の技術が高くなくて、高さを活かすという面でも、ボランチよりもセンターバックの方が向いてるかなとは思ってました。

――中学では武南ジュニアユースフットボールクラブに進みました。

田代 大宮アルディージャのユースや、三菱養和FCのセレクションを受けたんですけど全然ダメで(苦笑)。家が近かったこともあって、武南に行くことにしました。

――武南ジュニアでは高円宮杯で関東大会に出場しました。

田代 自分たちの代は強かった方で、県で優勝したんですけど、関東大会では1回戦で川崎フロンターレにPKで負けました。あっという間に終わっちゃいましたね(苦笑)。

――高校はそのまま武南高校に進学しました。

田代 最初は前橋育英とか市船(市立船橋高校)とかに行きたいと思っていたんですよ。でも中3の時に大山(照人)監督と面談させていただき、津島コーチともお話させていただいて決めました。津島コーチとは両親と一緒に面談したんですが、その時コーチが「俺が責任を持って育てます」と言ってくださって、とても印象に残っています。両親も「あれだけ言ってくれるのだから」って勧めてくれましたし、僕もあの言葉で武南に行こうと決意しました。

――武南高校のサッカー部はいかがでしたか?

田代 入学した頃は選手権やインターハイに出場できない時期だったので絶対に全国大会に出場するという想いで入部しました。

――大山監督は厳しい方でしたか?

田代 そうですね(苦笑)。でも、その指導をどう受け取るかは自分たち次第なので。ああいう雰囲気を出せる監督はなかなかいないと思います。その厳しい指導のおかげで、高校3年間は毎日、良い緊張感を持って練習ができましたし、確実に自分の糧になっていると思います。

――高校3年間の成績は?

田代 2年の時は選手権予選でベスト4、3年のインターハイは全国大会まで行ったんですが、2回戦で神村学園にボコボコにやられました(苦笑)。選手権は予選の決勝で、浦和東に負けました。

――初の全国大会はいかがでしたか?

田代 2年の3月に骨折しちゃって、その時はようやく間に合ってベンチ入りしたぐらいで、試合には出られなかったんです。同学年の遊馬将也(東洋大学)とか、2つ下の鈴木裕也(早稲田大学)なんかが出てましたね。

空中戦と対人では絶対負けられない

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――大学に行くことを意識し始めたのはいつ頃ですか?

田代 3年の始めです。けがをしていたのでどうしようかと考えていて、大山先生とも相談しながら自分でも調べていたのですが、時期的に法政のセレクションしか残っていなかったので、セレクションを受けに行って合格しました。

――法政大のサッカーはいかがでしたか?

田代 武南が厳しかったのもあって、自由な環境だなと思いました(笑)。サッカーのレベルは高くて、成績自体は良くなかったですけど、高校時代に有名だった選手が入ってきますし、個々の技術も高いなと感じました。正直、ここで試合に出られるのかなという不安もありましたね。

――試合に出始めたのはいつから?

田代 1年生で少しだけ出て、2年生からはスタメンで出させてもらいました。

――大学4年間で特に記憶に残っていることは?

田代 今年2部から1部に上がって、個々の能力の差を感じたことですね。3年までは何となくプレーしていたところがあるんですけど、それでは通用しないなと。1部では細かいことを常に意識していないと失点につながりますし、時間とかポジションとかも把握していないといけない。試合を決定づけるプレーというのは得点を取る選手だけでなく、他のポジションも含めて考えないとダメですし、勝つチームはそういうところがしっかりできているんですよね。1部ではそういう部分を学びましたし、今年上がったのは自分にとって本当に大きかったです。

――では4年間で一番印象に残っている試合は?

田代 2014年の総理大臣杯ですね(法政大は決勝まで勝ちあがり、決勝で流通経済大学に1-2で敗れ準優勝)。どの試合が特別というのはなく、どれも思い出に残ってます。

――来シーズンからFC岐阜でプレーします。岐阜から最初に声がかかったのは?

田代 今年度の大臣杯初戦で中京大に勝って、その後にクラブから長山(一也)監督に「練習参加してほしい」ってコンタクトがあったみたいです。それで大臣杯で負けた後に、監督からその話を聞いて、そのまま練習に参加しました。

――オファーが届いたのは?

田代 練習参加してちょっとしてからオファーをいただきました。それからもう1チーム、オファーをいただいたのですが、自分としては岐阜の方に傾いていました。

――加入発表はしばらく時間が空いて、リーグ戦終了後の11月中旬でした。

田代 正直に言うと、J2で残留争いをしていたチーム状況などもあって悩んでました。クラブにも相談させていただき、正式に行くことを決めたのは11月に入ってからだったので、発表もその時期になったんです。

――岐阜にはどんなイメージを持っていますか?

田代 何試合も見たわけではないですけど、守備をしっかりやるサッカーだと思うので、自分の仕事が重要になってくるかなと。練習に参加した時もそういうイメージを持ちました。

――気になった選手はいますか?

田代 FWの選手は気になりましたね。自分がどれぐらい戦えるのかという意味で。

――来シーズン、対戦したい選手はいますか?

田代 法政大の先輩でもある町田ゼルビアの鈴木孝司選手や平智広選手、それとセレッソ大阪の玉田圭司選手や、江坂任選手(大宮アルディージャ)などとの対戦は楽しみですね。

――自分の持ち味はどんなところだと思いますか?

田代 空中戦と対人では絶対負けられないですし、負けたら自分の価値がないと思ってます。それにプラスして攻撃につながる守備を意識しています。奪ったボールをしっかりつないだり、普通はクリアするところをパスにしたり、相手の嫌なところに蹴ったり。そういう部分で他の選手と差を出せるようにと思ってます。

――最後に今後の目標をお願いします。

田代 より高いレベルでサッカーがしたいです。上のカテゴリーでやって、自分の限界がどこなのか知りたいですね。今まで「無理だ」と感じたことはないですし、プロの舞台でそこがどこなのか探りたいです。1年目の具体的な目標は、シーズンの前半で、半分以上の試合に出ることです。

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