2015.10.16

【ストーリー】“セリエA最高のヒール”…マウロ・イカルディの生い立ちをたどる

サッカー総合情報サイト

[ワールドサッカーキング11月号掲載]

ピッチでの活躍とピッチ外での問題行動。マウロ・イカルディは良くも悪くも話題に事欠かない。価値あるゴールと破天荒な言動を繰り返す、“セリエA最高のヒール ”の生い立ちをたどる。

文=弓削高志
写真=ゲッティ イメージズ

ヒールがよく似合う食えないストライカー

 一流のヒール役とは、実力も伴っているものだ。憎まれ役が似合う個性派ストライカーは、スタジアムにブーイングと罵倒をもたらした後、極上のゴールととびきりのカタルシス効果をもたらしてくれる。現在のセリエAで最高のヒールと言えば、マウロ・イカルディをおいて他にいない。

「サッカーをするのは楽しい。だけど、それだけさ。他の選手には興味がないし、テレビでよその試合なんか見るわけがないだろう」

 暴言や問題行動が多く、高級車に目がないのはマリオ・バロテッリら若い世代の野放図なFWたちと同じだが、イカルディが彼らと決定的に異なるのは、22 歳にしてタイトルホルダーであることだ。昨シーズン、ヴェローナのルカ・トーニと並ぶ22 ゴールを挙げ、セリエA得点王に輝いた彼は、今シーズンから名門インテルのキャプテンマークも巻く。

 わがままで喧嘩っ早いが、ゴールセンスは一級品。破天荒な点取り屋、イカルディはいかにして成り上がったのだろうか。

バルサを追い出されカルチョの国で開眼

 1993年、マウロ・イカルディはFW大国アルゼンチンの首都ブエノスアイレスから300キロ北にある地方都市ロサリオで、イタリア北部ピエモンテ州の血を引く父フアンの長男として生を受けた。ロサリオと言えば、リオネル・メッシや名将マルセロ・ビエルサといったサッカー関係者だけでなく、革命家チェ・ゲバラといった歴史上の重要人物も数多く輩出している土地だ。

 当時、アルゼンチンは慢性的な経済破綻の危機に瀕していた。マウロが9歳になった2002年、経済的に困窮したイカルディ一家は国外脱出の道を選び、スペイン領のカナリア諸島を経て、バルセロナに移り住んだ。そして08 年、恵まれた体格を生かした古典的なセンターフォワードに成長していたイカルディは、バルサのカンテラに入団。2年間で38 ゴールを決めるなど、すぐに才能の片りんを見せた。

「カナリア諸島のベチンダリオでプレーしていた時、テネリフェでの大会で決勝まで進み、大会後にバレンシアやレアル・マドリード、そしてバルサから誘いを受けたんだ。あの頃のバルサにはメッシを筆頭に憧れの選手がたくさんいたから、迷いなく入団を決めたよ。あそこではいろいろなテクニックを教わった。だけど結局、俺の居場所はなかった。俺だけじゃない。フィジカルがあって、背の高いFWたちはみんなバルサから出て行くしかなかったんだ」

 ペップ・グアルディオラ監督による“ティキ・タカ至上主義”の最盛期だった当時のバルサは、チームにクラシカルなセンターフォワードを必要としていなかった。

 バルサを追われた当時17 歳のイカルディは2011年1月、レアルからの誘いを「Bチーム(=カスティージャ)でプレーするのが嫌だから」との理由で断り、セリエA昇格を視野に入れたイタリアの古豪サンプドリアへの移籍を決断した。そしてサンプドリアが1部復帰を果たした翌シーズン、ユースリーグでイタリア流カルチョを体得し始めていた彼は、一躍その名をイタリア中にとどろかせる一番を迎えることになる。

  2013年1月6日、注目度の高い年明けの初戦のことだった。敵地トリノに乗り込んだイカルディは、前年度のイタリア王者ユヴェントスを相手に右足で豪快な2ゴールを叩き込み、2-1の逆転勝利を呼び込んだのだ。その一戦で主役の座に躍り出た彼は更に、リーグ最終節のユーヴェ戦でも決勝ゴールを挙げ、再び番狂わせを演出。ロサリオ生まれの新星ストライカーは、“ユーヴェ・キラー”として瞬く間に全国区の存在となった。

ヒールを裏づける破天荒なエピソード

 まだイタリアの運転免許を取得していなかった当時のイカルディは、同じアルゼンチン出身の同年代の彼女に「中古のSUV車を運転してもらって練習場へ通っている」とイタリア誌のインタビューでのろけるほど、言動のそこかしこに十代の若者の初々しさを残していた。

 そのエピソードを知っているだけに、イカルディがサンプドリア時代の同僚で同じアルゼンチンの大先輩にあたるマキシ・ロペス(現トリノ)の美人妻ワンダ・ナラとの略奪不倫愛をツイッター上で公にした時の衝撃は大きかった。「ワンダ、君を愛している」とイカルディがSNS上でのたまえば、ワンダは官能的な写真をアップして応えるといった具合で、この一連のやり取りにサッカー界だけでなく、イタリアとアルゼンチン両国のゴシップ界は大いににぎわった。

 後に2人は結婚し、今年1月には長女を授かったが、スキャンダルが発覚した当時は、クラブを買収したばかりのエリック・トヒル会長も、ヴァルテル・マッツァーリ監督も大いに顔をしかめた。空気の読めない新人の傍若無人ぶりには、主将のハビエル・サネッティを始めとする重鎮選手たち、更にはあのディエゴ・マラドーナでさえ「友人の女に手を出すとは何てひどいヤツだ」とお灸を据えにかかった。しかし、イカルディは顔色一つ変えず、「マラドーナは笑わせてくれるぜ。あのオヤジは他人のことよりも自分のプライベートを心配したほうがいいな」と応戦。アルゼンチンとナポリで“神”と崇められる男にすら恐れを抱くことはなかった。およそ日本人の精神構造とは掛け離れた独善性と強心臓。これこそ、一流ストライカーの証に他ならない。

 ヒールぶりが完全に板につき、名実ともにエースと呼ばれるようになった昨シーズン、インテルは8位と低迷した。しかし、チームがリーグ戦で挙げた14 勝のうち、イカルディのゴールによって勝ち点3をつかんだ試合は7つもあり、その勝負強さがクローズアップされた。

 頭に血がのぼったインテリスタたちと険悪なムードになっても、彼は引き下がらない。1-3で敗れた今年2月のサッスオーロ戦後、「アウェーゲームの応援に駆けつけたファンに報いたい」との思いで投げ入れたユニフォームを二度も投げ返されたことで激高。インテルのエースはファンとも本気でぶつかり合う。

 ロベルト・マンチーニ監督は、そんなイカルディに、今や珍しくなった本物の点取り屋の匂いを嗅ぎ取っている。マンチーニ自身もまた、現役時代はユーヴェに対抗心を燃やし、華のあるゴールを次々と決めたFWだった。一流FWとして鳴らした嗅覚が、新生インテルに必要な覇気をイカルディの中に見いだしたのだろう。指揮官は今シーズンの開幕直前、自信を失い、頼りなさが目立っていたアンドレア・ラノッキアから腕章を預かり、それをイカルディに託すという一大決断を下している。

「キャプテンの交代は私の一存で決めた。イカルディはウチのナンバーワン・ストライカーだが、超一流のプレーヤーになるためには更なる成長が必要だ。彼にキャプテンマークを託すことは、現時点の限界を超えるための刺激になるんじゃないかと考えたんだ」

 新キャプテンに就任し、スクデット奪取を誓うイカルディのストーリーの続きは、発売中のワールドサッカーキング11月号でチェック!

サイト人気記事ランキング