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運命のドイツ戦、オランダは“美しいサッカー”に固執せず勝利にすべてを注げるか

2012.06.13

ワールドサッカーキング 2012.06.21(No.220)掲載]

デンマークに決勝点を許しうなだれるオランダの選手たち [写真]=Getty Images

“死のグループ”。
 
 オランダの属するグループBは組み合わせ抽選会での決定を受けて、そう呼ばれるようになった。だがドイツ、ポルトガル、デンマークという強豪国が集まるグループにおいても、オランダの予選突破を疑う声は少なかった。ロビン・ファン・ペルシーやウェスレイ・スナイデルを筆頭に、ビッグクラブでキーマンとして活躍する圧倒的なタレント力を誇っていたからだ。
 
 だが、迎えたデンマーク戦。大会屈指と言われるオレンジ軍団の攻撃陣は沈黙した。プレミアとブンデスの得点王、そしてチャンピオンズリーグで決勝にまで上り詰めた天才アタッカーも局面を打開できなかった。
 
 大きな一敗。既に状況は一変し、数字上オランダはグループリーグ敗退の最有力候補となった。しかし、これ以上、無様な姿をさらすわけにはいかない。黒星発進のオランダだが、第2戦目のドイツ戦では必勝を期してくるはずだ。
 
 欧州最強国というタイトルへ。オランダの、ユーロに懸ける思いを振り返ろう。
 

美しいサッカーを捨て、勝つことに力を注ぐ

  オランダサッカーが犯した最大の過ちは、40年近く《結果》を残せなかったことだ。しばしば世界最高の選手を輩出しているにもかかわらず、オランダはワールドカップで一度も優勝していない。1988年にユーロのタイトルを勝ち取っただけだ。リヌス・ミケルス監督の指揮の下、ヨハン・クライフがピッチ上でタクトを振るった74年W杯のオランダは《史上最強》と評されているが、決勝で後々までトラウマになりそうな敗北を喫した。前半にリードを奪って油断した後、西ドイツの反撃に遭い、打ち負かされたのだ。試合後、クライフは「プレースタイルが称賛を浴びること以上に素晴らしいメダルはない」と語り、勝敗が本当に重要なことではないと主張した。何十年も経って、この甘い慰みの考えは「勝つことよりも美しさのほうが大事である」というおかしな信条となってオランダサッカー界に受け継がれていった。
 
 オランダはこれまでW杯とユーロで何度も優勝候補に挙げられてきた。しかし、76、96年のユーロと90年W杯では選手同士の衝突により、内部崩壊を招き自滅。そして、デニス・ベルカンプが全盛だった92、96、2000年のユーロと98年フランスW杯はすべてPK戦に屈した。
 
 傲慢さも問題だった。豪華なメンバーをそろえて大会に臨んでも、チームとしてまとまることができず、本来のポテンシャルを発揮することはなかった。02年の日韓W杯には、出場すらできなかったほどだ。そして、タイトルを逃す度にオランダはクライフの《金言》にしがみついた。
 
 フェイエノールトで見せていた効率的な采配が印象的だったファン・マルヴァイクは、08年に代表監督に就任すると、それまでとは全く違った方法論を選んだ。04年から2年間ドルトムントを率いた経験から、ファン・マルヴァイクはオランダにもドイツの伝統的な長所を取り入れる必要性を感じていた。その結果、チームのモットーは「統制と連結、プロ精神とチームスピリット」になった。南アフリカW杯の直前にオランダで放送されたナイキ社のCMでは、新たなオランイェ(オランダ代表の愛称)の哲学が公表された。「喜びの涙は汗から生まれる」、「エゴを捨て、己自身で一歩を踏み出せ」である。古い個人主義や楽しさ、芸術家としての手腕を捨て、クライフの遺産も公然と冷遇された。「サッカーは勝利こそすべてだ」、「美しい敗北もまた敗北である」というフレーズも同CMに使われている。
 
 オランダはテクニックとポゼッション率の高さを見せつけるためではなく、ただ勝つために南アフリカへと赴いた。そのチームは、これまでに比べてタレント性が低かったこともあり、結果を残すことのみに集中した。
 
 グループリーグでは、大勝が期待された日本に対して、オランダは1ゴールを挙げるのがやっとだった。ウェスレイ・スネイデルが放った強列なミドルシュートを日本のGKが取り損ね、それで勝負は決した。戦術的に優勢なブラジルとの準々決勝では、同様のアプローチが非常にうまくいった。オランダは82年スペインW杯で西ドイツが見せたような《不屈の抵抗》を見せ、人々を仰天させたのだ。3—2というスコアにもかかわらず興奮に欠けた準決勝ウルグアイ戦の後、オランダの人々は勝利に徹するチームに満足し始めていた。ルート・フリットやベルカンプの世代が築き上げてきた実績をしのぎ、最も偉大な栄冠を手中に収められる距離まで近づいたからだ。 
 

W杯決勝の戦いぶりに国内の意見は二分

 スペインとの決勝戦で、もしイケル・カシージャスのスパイクが、スルーパスに抜け出したアルイェン・ロッベンのシュートを弾いていなかったら、オランダは優勝していただろう。しかし世界中の人々は、決勝の勝敗よりもオランダが見せた野蛮なプレーに言葉を失った。オランダサッカーの父であるクライフは、この新たなスタイルを《アンチフットボール》と揶揄した。スペインのチャビとアンドレス・イニエスタは試合中、かつてのチームメートであるマルク・ファン・ボメルに対して「落ち着くように」と訴え続けた。しかしファン・ボメルはその声に対して全く反応を示さず、無意味なファールを重ねていった。そして、その失望感を決定的なものとしたのは、シャビ・アロンソに飛び蹴りをお見舞いしたナイジェル・デ・ヨンクのラフプレーだった。
 
 オールドファンやジャーナリスト、そして60年代から70年代に現役生活を送った元選手たちは、決勝の舞台で目撃した出来事に目を疑った。98年W杯で《オランダらしい》戦いぶりでチームをベスト4に導いたフース・ヒディンクは「我々の名前が世界中に知れ渡ったのは美しいサッカーをしていたからだ。ファンは今のチームをすぐに忘れてしまうだろう。彼らが覚えているのはデ・ヨンクの醜いファールだけだ」と苦言を呈した。
 
 最も激しい批判は影響力の高いオランダ紙『ハードグラス』の記者ヘンク・スパンから発せられた。彼はファイナルで見せたオランダのプレーを恥じ、ファン・マルヴァイクを解任するべきだと語った。「たった2時間で、彼らはオランダの40年の伝統を破壊した。面汚しだ。この結果は気品と知識、知性と文化を欠いた無責任な人々によってなされた」。オランダの冷笑的なアプローチは「歴史的見識、リーダーシップとモラルを欠いた」ゆえに生じたものであり、「国家の恥」とまで言ってのけた。
 
 しかし、評論家の意見に対して多くの国民はW杯で78年大会以来となる準優勝という結果にポジティブな感情を抱いていた。アムステルダムの運河で行われた祝勝パレードでは約70万人のファンが集結。ヤン・ペーター・バルケネンデ元首相は、「ミッションに対し、大きな活力とファイティングスピリット、そして自信を持ち、統制されたチームワークを披露した。この態度が我々にどれほどのものをもたらしたのか。オランイェは一致団結していた。そして、オランダ国民も一丸となって彼らをサポートしたのだ」とオランダ代表の新たな精神と肉体的な強さを賞賛した。オランダ国民は「美しいサッカーを追求してベスト4で負けるのではなく、勝利こそ喜びをもたらす」と南アフリカW杯で気づいたのだ。
 

攻撃スタイルこそオランダの真骨頂

 スパンはファン・マルヴァイクの解任を求めたことについて「感情的になっていた」と認めた。ただ、それでも南アフリカW杯でのオランダの姿には同調せず、一般的なオランダに戻るべきだと主張している。「結果がすべてだというファンももちろんいる。しかし、それは少数意見にすぎない。今では多くのファンが私の意見に賛同してくれるはずだ」
 
 また、スパンはファン・マルヴァイクが他のどの監督よりも多くの勝利を収めていることを認めており、オランダのスタイルが戦術的な思考を反映したものだと主張している。「ファン・マルヴァイクは注意深い指揮官だ。だからこそディフェンシブな選手をピッチに置きたいのだろう。心の奥深くでは、その戦術が批判されることを理解しているのではないだろうか」
 
 オランダにとって、攻撃的サッカーこそがベストの選択だとスパンは主張する。その根拠は、DF陣が《2流》だからだ。グレゴリー・ファン・デル・ヴィールはごく一般的な右サイドバックで、ヨン・ハイティンハとヨリス・マタイセンはセンターバックとして最低限の任務を果たすことはできるものの、ワールドクラスではない。南アフリカW杯を最後にジオヴァンニ・ファン・ブロングホルストが引退した左サイドバックは、今なお問題を抱えている。2月にウェンブリーで行われたイングランド代表との親善試合では、エリック・ピーテルスの力不足があらわになった。一方で、前線ヨーロッパ屈指のタレントをそろえている。これを最大限に活かすことがタイトルへの近道になると考えている。
 
 攻撃スタイルへの回帰は、ユーロの予選でのファン・マルヴァイク監督の采配にも見て取れる。W杯で《戦犯》となったN・デ・ヨンクは、約3カ月後に行われたプレミアリーグの試合でハテム・ベン・アルファの足を折り、代表からも追放されることとなった。ファン・マルヴァイクはその代役にラファエル・ファン・デル・ファールトを起用した。攻撃的な布陣で臨んだ今予選では、スウェーデンを4—1で下し、ハンガリーとの試合では5—3と4—0で快勝。サンマリノ戦では11ゴールを奪い、オランダ史上最大の勝利を記録した。そして、昨年の8月のFIFAランキングでは初めて世界のトップに昇り詰めた。
 
 攻撃的なスタイルを取り戻した現在のオランダ代表について、批評家からも賞賛の声が挙がっている。クライフはスウェーデン戦について「見ていて楽しかった」と自身のコラムで賛辞を送り、前代表監督のマルコ・ファン・バステンは4—0で圧勝したハンガリー戦での戦いぶりを「バルセロナのサッカー」と評した。
 
 現在、オランダ国民の期待は「タイトル獲得」もちろんのこと、「攻撃スタイルを貫いて優勝する」へと高まっている。しかし、ファン・マルヴァイクがユーロで攻撃的な布陣を採用するかは疑問である。その理由は、前線のタレントを生かす布陣が固まっていないからである。今予選ではレギュラーとして期待されたロッベンとイブラヒム・アフェライをケガで欠き、スネイデルとディルク・カイトがクラブで不調に陥るなど、1度もベストな布陣をテストできなかったのだ。更に、ロビン・ファン・ペルシーとクラース・ヤン・フンテラールの起用法もファン・マルヴァイクの頭を悩ませている。ともにリーグ得点王に輝いた2人を同時に起用すべきか。フンテラールと1トップに置いた場合、サイドで起用されるファン・ペルシーの得点力を生かし切れない。
 
 この疑問に対してスパンは「すべてはスネイデル次第」だと語る。「彼はケガが多く、今はフィジカルコンディションが悪い状態にある」
 
 スパンが考えるベストチョイスは、フンテラールを1トップで起用して、ファン・ペルシーをクラシックな《オランダの10番》の役割を与えること。そしてイブラヒム・アフェライとロッベンをウイングに配置し、ファン・ボメルとファン・デル・ファールトを中央に置く。もしスネイデルがトップフォームを取り戻すことができれば、トップ下に入れ、ファン・ペルシーをトップに戻すという起用法である。
 
 伝統の攻撃的スタイルを取り戻したオランダは、果たしてポーランドとウクライナの地で栄光を勝ち取れるのだろうか? 《死のグループ》を勝ち抜くことは簡単ではないが、ただ一つ言えることは、今のオランダは「美しさ」に固執していたかつてのチームではないということだ。南アフリカW杯で勝者のメンタリティーを身につけ、ユーロ予選で攻撃スタイルへの原点回帰を果たしたオランイェは、勝者となるために着実なステップを踏んでいる。88年大会以来のタイトルを獲得できるだけの実力を備えていることは間違いないだろう。

【浅野祐介@asasukeno】1976年生まれ。『STREET JACK』、『Men's JOKER』でファッション誌の編集を5年。その後、『WORLD SOCCER KING』の副編集長を経て、『SOCCER KING @SoccerKingJP』の編集長に就任。

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