2012.06.06

適正な移籍金とは何か? 過去の大型移籍を事例に“市場価値”のメカニズムを考察する

【Champions 日本版 7月号】掲載

 昨年夏、セスク・ファブレガスは約43億円の移籍金でアーセナルからバルセロナに移籍した。移籍1年目のシーズンを終え、我々は考える。「あの移籍金は適正だったのだろうか」と。新たな攻撃のキーマンとして機能した点では適正だった。だが、チームはビッグタイトルを逃している。巨額の資金が渦を巻く移籍市場は、かくも難しいものだ。“市場価値”のメカニズムを現地記者が考察する。

 2010ー11シーズンのチャンピオンズリーグを制したバルセロナには“ホームグロウンプレイヤー”が7人もいた。ほとんどのビッグクラブが、大金を費やして優秀な選手を国内外から集めていることを考えると、バルサが成し遂げた偉業は奇跡のように思える。

 金銭に美徳が勝った瞬間──。

 バルサはその勝利により、サッカーにおける成功とは資金ではなく、優れたスカウティングと育成ポリシー、的確で継続性のあるマネージメント、戦術的な洞察力といったものが根幹であることを世に提示した。

 だが、忘れてはならないことが一つある。バルサはラ・マシアと呼ばれる育成組織から優れた人材を次々と輩出する一方で、世界で最も選手獲得に大金を費やすクラブでもあるのだ。ペップ・グアルディオラが監督を務めた4年間で、バルサは約400億円を移籍市場に投じた。そう、この一面においてバルサは「経営の優等生」ではない。下部組織から安くて優秀な人材を獲得しているのに、他のクラブに負けず劣らず馬鹿げた浪費を行なっているのだ。この経済活動をどう説明すればいいのだろう?

 サッカー界には、一般的な企業の経営概念が欠落している。売上を伸ばし利益率を高めることは、勝利とはまた別のもので、「それが将来的に勝利の可能性を高めるかも」といった程度の認識だ。結局のところ、ほとんどのクラブにとって、利益を上げることはピッチ上での成功に比べて重要ではないと見なされる。

 一般的なビジネスの世界では、“移籍”はそれほど重要とは見なされない。転職する者にとっては一大決心を要する出来事だろうが、一人の動きがその組織にとってどれほど重要かは、サッカー界の移籍に比べると取るに足らないものだ。ところが、サッカー界では、どの選手が移籍してくるかでクラブ全体の成功が左右される。

 では、その選手の価値はどうやって決まるのだろう? そこには“需要と供給”の原則が当てはまる。多くのクラブが欲しがる選手であれば、その選手の金額は上がっていく。だが、この点については、あまりに多くの変数と定量化できない要素が存在する。

 移籍金を決めるシステムを知ろうとする者が最初に直面する問題は、この世界の猛烈なインフレだ。ある研究者によれば、プレミアリーグで選手一人を獲得するために必要なコストは、この20年間で565パーセントアップしたとのことだ。この数字は、プレミアリーグの反映とそれに伴う狂った成長ぶりを示しているが、イタリア、スペイン、ドイツといったトップリーグも同じようなものだ。チャンピオンズカップがチャンピオンズリーグへと改称され、世界中のチャンネルで中継されるようになった。これをきっかけに、サッカーに関するすべての金額が高騰していったのである。

 ボスマン判決も重要な要素だが、そもそもヨーロッパが統合されたことで、国境の概念が意味をなさなくなったこと自体が重要だったと言える。ヨーロッパは一つになり、たった一つの巨大な市場となった。そこでは、選手の価格は、“メガクラブ”と呼ばれる一部の支配者がいくら払うかによって決定される。その他のクラブは、同じことをする余裕がないにもかかわらず、ある程度はその後に続く。

 プレミアリーグが立ち上がる直前の1992年6月、トッテナムはラツィオにポール・ガスコインを放出した。移籍金7億円は当時のイングランドにおける新記録だ。その記録は以後、10回に渡り更新されている。その10回のうち、買い手がイングランドではないクラブだったケースは2つだけ。どちらも買い手はレアル・マドリーで、ニコラ・アネルカとクリスチアーノ・ロナウドの獲得がそれだ。

 ハイパーインフレはイングランドに限ったものではない。イングランドのインフレは他国に波及し、それがまたイングランドに戻ってくる形で相互に増大していった。貧しいリーグにもその影響は及んだ。世界で最も人気があるリーグが選手獲得に動けば、貧しいリーグのクラブは選手を留めるために待遇を上げなければならない。

“ビッグ”の中では裕福でない部類に入るフランスリーグに目を向けよう。2010年、マルセイユはアンドレ・ピエール・ジニャック獲得に約19億円を投じた。ジニャックはフランス代表として16試合出場4得点の実績を持つが、そのうち3点はフェロー諸島を相手に決めたもの。つまり、“水増しされた実績”だ。フランス国外のクラブが、彼にそれだけの資金を投じることはない。それでも、国内のライバルに対する優位性を打ち出したいという“見栄”から、マルセイユはそれだけの金を払った。同じことをパリ・サンジェルマンはケヴィン・ガメイロでやっている。ロリアンに支払った移籍金は約14億円。ガメイロの残り契約年数は1年しかなかったにもかかわらず、である。リールのジウヴィーニョは、前述の2人より明らかに印象的な働きを見せていたが、アーセナルは彼に対して約11億円を提示したに過ぎない。これは自国選手というブランドが選手の移籍金を釣り上げた例である。

 馬鹿げた投資がはびこるサッカー界にも、優れたセールスマンは存在する。いや、他が愚かだからこそ、優秀な人材はひときわ光る。この分野におけるエキスパートの一人が、ウディネーゼの会長であるジャンパオロ・ポッツォだ。彼のビジネス能力は一部で称賛され、一部で恐れられている。アレクシス・サンチェスは、クリスチアーノ・ロナウドやフェルナンド・トーレスのようなゴールマシンではない。サンチェスは2010-11シーズンまでの3年間で90試合に出場し20得点を記録した。チャンピオンズリーグでの成績は9試合0得点と平凡なもの。つまり、優れてはいるがワールドクラスではない。また、レプリカユニフォームが多数売れるわけでもない。しかし、ヨーロッパで最もリッチで成功している4つのクラブが、23歳のサンチェスを獲得しようと札束を積み上げ、その行為が「ビッグクラブに行けば開花する潜在能力がある」と人々を信じさせた。獲得合戦に勝利したバルセロナの地で、サンチェスは自分が“本物”であることを証明する戦いに挑んでいるが、約45億円の移籍金を得たポッツォ会長は、もうその成否に興味を持ってはいないだろう。

 選手の価値を決める上で、数字は最も分かりやすい要素だ。ゴールは勝利に直結するため、数多くのゴールを決める選手は、それに応じて市場価値が上がる。だが、全くの素人でなければ、ゴール数が能力に直結しないことを知っている。ゴールを判断基準にすれば、純粋なフィニッシャーだけが評価され、他の選手はすべて過小評価されることになる。ゴールを決めるのも、ゴールを防ぐのも同じぐらい重要なはずだ。

 しかし、そんな常識が通用しないという矛盾が移籍市場にはある。アーセナルは2000年にシルヴァン・ヴィルトール獲得に約28億円を投じたが、2002年にワールドカップで優勝した直後のジウベウト・シルバを獲得した際には約6億円しか支払っていない。これは彼らのポジションの違いだ。一般的に、守備を担当する選手の移籍金は安く抑えられる。

 市場価格を決める大きな要素のもう一つは、選手の年齢だ。30歳を過ぎると、それまでの実績はあまり考慮されなくなる。当然、移籍金は急落するようになる。ただし、それも一貫したものではない。28歳で満身創痍の選手もいれば、30歳になって新境地に達する選手もいる。ディディエ・ドログバは24歳からトップレベルで活躍するようになったが、34歳になった現在も今後3年はそのレベルを維持するだろうと予見させる。

 国籍も大きな意味を持つ。ヨーロッパのパスポートを持つ選手は外国人枠にかからないため重宝されるが、それだけではない。アメリカ代表GKのケーシー・ケラーはかつて次のように語っている。「ジョヴァンニ・ファン・ブロンクホルストは、レンジャーズからアーセナルに移籍した。そこで失敗して、どこに行っただろう? そう、バルサだよ。あれは『オランダ人だったから』だ。アメリカ人だったら、すぐにDCユナイテッドに送られていただろうね」

 コンディションも重要だ。大きなケガを抱えた選手、いつ再発するか分からない選手に高額を投じるわけにはいかない。だが、この点ではギャンブルの余地がある。ヌワンコ・カヌーは1999年にインテルからアーセナルに約7億円で移籍した。それだけ安かったのは理由がある。彼が心臓病を患っていたからだ。

 選手の年俸も問題となる。いくら安く獲得できる選手でも、10億円の年俸を要求されるのでは、獲得できても給料の面倒が見れない。一般的に、若くて実績の少ない選手の年俸は安い。30歳を過ぎた選手の市場価値は下がると先に述べたが、彼らがチームを変えたからといって年俸ダウンに応じるとは限らない。これも30歳を過ぎた選手を獲得する上では問題となる。

 この辺は、微妙なバランスの上に成り立っている。だが、夏と冬になるたびに巨額の資金を投じる側は、「微妙」などという言葉ですべてを説明されても納得できない。誰もがこう思っているはずだ。「選手の価値を正しく計る方法はないのだろうか?」と。

 野球界ではセイバーメトリクスという手法が大きな成功を生んだ。様々な客観的データを積み上げ、選手の価値を科学的に見積もる。もっとも、これは市場価格を定めるためではなく、チームに対しての貢献度を見るための方法なのだが、市場価格に転用することも可能だ。小説『マネーボール』の主人公、ビリー・ビーンは、チームに大きな貢献があるにもかかわらず、旧態依然のフロントが過小評価する選手たちを安値でかき集め、わずかな予算で強力なチームを作ることに成功している。

 もっとも、こういったデータ分析は野球においては役立っているが、サッカー界への導入はそう簡単ではない。野球は基本的に投手と打者の一対一に大きな比重が置かれるため、分析するポイントを絞りやすいが、サッカーではそうはいかない。かくして、移籍市場における選手の市場価値は、今も“買う側の判断”に委ねられている。

 それでも、“流行”は存在するし、それは時代に応じて変わりつつある。かつては代表選手としてのW杯でのパフォーマンスが、移籍市場でのその選手の扱いを大きく左右した。W杯への参加そのものがプレミアムとなり、その選手のより良い条件での移籍を後押ししていたのだ。しかし、今ではW杯は戦術面や技術面の基準となる“見本市”としての機能をほぼ終えている。

 99年8月、アーセナルはティエリ・アンリを獲得した。移籍金は約16億円だが、これは直前のシーズンにおけるアンリの活躍とは全く関係がない。98-99シーズン、アンリはモナコとユヴェントスでプレーしたが、トータルで4得点と全く振るわなかった。にもかかわらず、アーセン・ヴェンゲルはギャンブルに出た。彼らはユーヴェの脇役ではなく、98年W杯におけるフランス代表FWに資金を投じたのである。

 現在では、そういったことは起こらない。99年から各クラブはスカウトのネットワークをより広いエリアに拡大した。フットボールの惑星に、未知のエリアは存在しない。ウィガンとサンダーランドはホンジュラスやコスタリカにスカウトを送り、ウディネーゼはガーナに強力な協力者を用意している。たった数試合のW杯よりも、毎週行われるリーグ戦のほうが、選手の潜在能力を測るのに適していることは言うまでもない。

 W杯の活躍ぶりを見て契約するという悠長さは、今のサッカー界にはない。ハビエル・エルナンデスを例に上げよう。南アフリカW杯を最高の形で終え、派手な獲得競争が起こるはずだったが、実際はW杯開幕前の時点でマンチェスター・ユナイテッドが獲得を決めていた。同様に、リヴァプールが約30億円を投じてルイス・スアレスを獲得したのは、ウルグアイ代表で“魔法の時”を演じる前のことだ。

 比較的最近まで、W杯はヨーロッパ行きを目指す南米選手が並ぶショールームとして機能していた。だが、今はもう違う。ネイマールはW杯でプレーしていないにもかかわらず、コパ・リベルタドーレスやセレソンでの国際試合で名を上げ、市場価値は少なく見積もっても40億円とされている。

 アンドレイ・シェフチェンコのチェルシー移籍について考えてみよう。約60億円を投じたこの移籍は災害のように考えられているが、移籍が決まった時点でその判断は誰にもできなかった。彼は移籍する前のシーズン、ミランで素晴らしい活躍を披露していた。彼が記録した1試合平均0.7得点はイタリアで最高の得点率。更に、チャンピオンズリーグでは9得点を挙げていた。チェルシーが不条理な高値を提示したというわけではない。この移籍金は、99年にクリスティアン・ヴィエリ獲得にインテルが支払った金額より少ないし、その翌年にラツィオがエルナン・クレスポ獲得のために費やした金額にも及ばない。

 ヴィエリのケースは移籍市場を活性化させる典型的なケースだ。選手放出によって多額の“臨時収入”を得たクラブは、その金額を再び移籍市場に投資する。ラツィオはヴィエリを放出した翌年に、その資金をクレスポ獲得のために投じた。もっとも、すべてのケースが成功するとは限らない。次にパヴェル・ネドヴェドを放出してガイツカ・メンディエタを獲得した時には大やけどを負っている。

 最近では、アトレティコ・マドリーがファルカオの獲得に約47億円の移籍金を支払ったが、これはセルヒオ・アグエロをマンチェスター・シティに同額で放出した後のことだった。サポーターはクラブの利益に無頓着なので、「損はしていない」と主張するだろうが、これは基本的には「ハイリスク・ローリターン」で、クラブ経営者であれば避けるべきだろう。

 レアル・マドリーは09年にクリスチアーノ・ロナウドを約125億円という史上最高額の移籍金でマンチェスター・ユナイテッドから獲得した。どう考えてもクレイジーな金額に思えるが、マドリーはこの時、ロナウドの肖像権の半分を手にしているので、それなりのリターンは担保されていたと言える。ロナウドほどの選手になると、その市場価値を定義できるのは実際にオファーを出す買い手に限られる。それはもはやピッチ上での一選手の働きへの対価ではなく、ピッチ内外の商業的価値が大勢を占める。

 03年にベッカムがレアル・マドリーに移籍した際の約48億円という移籍金は、彼の実力を示したものではない。端的に言えば、ベッカムのネームナンバーがどれだけ売れるかに対する評価だ。ベッカム加入から5カ月間で、100万枚以上のユニフォームが売れた。その数字は、マドリーのユニフォーム全体の50パーセント以上だった。マドリーの財務コンサルタントは、ベッカムのもたらした利益を「少なくとも350億円」と見積もっている。とにかく、ベッカム獲得という投資は最大のリターンを生み出したということだ。

 ロナウドやメッシ、ベッカムは他の惑星に住んでいる。サッカー選手の99.99パーセントはそこに近づくことさえできないし、比較することもできない。それはドイツのミュージックチャートにおける上位のバンドとレディー・ガガを比べるようなものだ。レディー・ガガはおそらくベルリンでもどこでもナンバーワンだろう。