
Photo by Takuma Hidehira
奥川雅也、オーストリア王者ザルツブルクへ移籍――。
6月初旬に公式発表されたその移籍は、大々的に報じられたわけではなかった。奥川は今年3月に高校を卒業したばかり。まだプロキャリアをスタートさせて間もない19歳の海外挑戦は、熱心なサッカーファンでもなければ見過ごしてしまうニュースかもしれない。
だが、奥川をよく知る関係者の見方は少し異なる。京都サンガのアカデミー時代から、その才能を高く評価された逸材には、いつからか“古都のネイマール”の異名がついた。繊細なタッチと俊敏な動き、破壊力のある豪快なドリブルを見れば、その異名にもうなずける。各年代の日本代表としても活躍し、その姿がヨーロッパのスカウトの目に留まって、「小さい頃から夢だった」という海外挑戦を実現させた。
もちろん、才能だけで成功を手にする保証にはならない。まだ実績も、経験も少ない奥川にとって、海外移籍は大きなチャンスであると同時に、リスクを伴うチャレンジでもある。新たな環境に適応できるのか、ピッチに立てるのか、そして活躍できるのか。だが、リスクを恐れていては、何も始まらない。19歳の挑戦者にとって、オーストリアの地はゴールではなく、世界へ飛躍するためのスタート地点に過ぎない。
自分のプレーで認められたい
――今年、高校を卒業したばかりで、プロ1年目ですよね。もうインタビューには慣れましたか?
奥川雅也 結構慣れてきました。色々な質問を受けるようになってきたので(笑)。
――早速ですが、移籍の話を聞かせてください。アカデミー時代から過ごした京都サンガを離れ、ザルツブルクへの移籍を決断しました。他にもオファーがあったそうですが、ザルツブルクを選んだ理由は何だったのでしょうか?
奥川雅也 周りの人からは「ビッグクラブに行け」と言われましたが、自分のキャリアや、ケガから復帰したばかりのコンディションなどを総合的に考えて決めました。ザルツブルクは若手が多く、勢いがあり、施設も整っている環境、そしてヨーロッパリーグやチャンピオンズリーグに出られるチャンスもあると感じたので選びました。
――自分にとってチャンスだと感じたわけですね。
奥川雅也 そうですね。一番行きたいなと思ったのは、サルツブルグ関係者の方の熱意を感じたからです。自分の良いところ、悪いところをしっかり見ていてくれて、それを改善するために協力すると言ってくれたので、「このクラブにいれば成長できるんじゃないか」と思いました。
――なるほど。ザルツブルグから評価された部分というのは、どの辺だったのですか?
奥川雅也 スピードに乗った時のドリブルやタッチ。ゴール前でのプレーがすごく良いと言われました。逆に、課題はフィジカルの部分と、守備に行くタイミングのところですね。
――先ほど「ケガから復帰したばかり」という言葉がありましたが、コンディションは問題ないのですか?
奥川雅也 足が治ってからは早くボールに慣れるために毎日ボール触っていました。まだ完璧じゃないですけど、良い感じになってきています。
――そのケガについて聞きたいのですが、昨年の10月に右足の第5中足骨を骨折して、復帰したのが今年の3月でした。およそ半年間、サッカーができなかったわけですよね。
奥川雅也 U-19の代表戦(AFC U-19選手権)でケガをして、チームも決勝トーナメントで負けてしまって(決勝トーナメント1回戦で北朝鮮に敗退)、悔しかったです。やっぱり自分が出ていれば違う展開になっていたのではないかと思いました。でも、ケガしている間に体づくりをしっかりやって、少し体重が増えてきたので、それはプラスになったと思っています。
――AFC U-19選手権ではケガしてしまったとはいえ、その時のプレーがヨーロッパのスカウトから注目されたと聞いています。その時期から海外を意識し始めたのでしょうか?
奥川雅也 いえ、ザルツブルクから声が掛かったのは、U-19選手権よりももっと前だったと聞いています。最初はうれしかったというだけで、すぐ移籍を考えたわけではないです。ただ、新たな挑戦するのは早いほうが良い、とはずっと思っていました。
――なるほど。それは小さい頃からずっとそう思っていたのですか?
奥川雅也 小さい頃から海外でプレーするのが夢でした。ずっとサッカーをしてきて、目指すところはやっぱり世界の舞台だったので。自分のキャリアを考えたときに、目指す場所から逆算してみると、早く行くべきだな、と思いました。
――とはいえ、海外に移籍するというのは、かなり大きな決断だったと思います。
奥川雅也 こうやって現実に行けるとは思っていませんでした。高校の時から、まずは京都サンガで活躍して、それからだと思っていました。だからオファーが来た時も、海外で活躍したいとは思いましたが、試合に出られなかったことなどを考えたりして少し迷っていました。でも、やっぱり今しかないという思いがだんだん強くなり、海外に移籍できるチャンスもそう多くないと思ったので、その考えが固まってからは何かを切り捨てないといけないと思ったんです。その結果、自分が育った京都サンガを離れるという決断に至りましたが、自分が海外で活躍し、日本代表に選ばれてプレーすることで、サンガで育った選手だと見てもらえますし。世界で認められるプレーやーになることがサンガのためにもなると思ったので決断しました。
――なるほど。最後に、ザルツブルクという新しいチームでどういうプレーを見せていきたいと考えていますか。
奥川雅也 チームに合わせるのはもちろんなんですけど、やっぱり、自分のプレーで認められたいという思いが強いです。テクニックの部分、特にスピードに乗った時のテクニック。あと、一番はゴールを取ることです。ゴールを取ればみんなが認めてくれるので、積極的なプレーをしていきたいと思います。
――やれる自信は?
奥川雅也 あります!
1996年4月14日生まれ。京都サンガF.C.のアカデミー出身のMFで、2015年にトップ昇格を果たした。同年6月、オーストリアのザルツブルクへの移籍が決定。すぐに同国2部リーグのリーフェリングへの期限付き移籍が発表された。ブラジル代表のネイマールを想起させるプレースタイルから「古都のネイマール」と呼ばれている。