2011.11.12

カルチョ・スキャンダルの“黒幕”モッジが告白「俺は一度も失敗をしなかった」

 ルチアーノ・モッジの名前は、カルチョ・スキャンダルの首謀者として毎日のように新聞紙上を賑わせている。だが、ここでは彼に別のテーマについて語ってもらおう。イタリアサッカー復権を成し遂げるためには、モッジのような辣腕マネージャーの手腕が必要なのは間違いない。もちろん、その善悪は別として、ではあるが。


Text by Nicola CALZARETTA, Translation by Minato TAKAYAMA

「カペッロを監督に迎え入れたのも大きな仕事だった」

 ライオーラは良い代理人だよ。彼には3つの長所がある。良い選手を多数抱えている。選手からの信頼が厚い。契約していない選手の獲得にも快く協力してくれる。ジダンと並ぶ俺のカルチョメルカートの最高傑作、イブラヒモヴィッチについても、ライオーラの協力なしには獲得できなかった。

 アヤックス時代のイブラはとにかく評判が悪かった。素晴らしい選手だという声よりも、「得点能力がない」とか「わがままだ」とか、ネガティブな意見が多かった。しかし、俺はあいつと直接話して獲得を決めた。ライオーラは様々な点でイブラのユーヴェ入りに協力してくれたよ。イブラはライオーラの指示通りにチームメートや首脳陣とトラブルを起こし、アヤックスが手放したいと思うようなシチュエーションを作った。俺がオファーを出した時、アヤックスの連中は「これで肩の荷が下りた」と感じていたに違いない。

 イブラを獲得した2004年の夏、俺は最高レベルの仕事を次々にやり遂げた。ローマとの関係が悪化していたエメルソンを獲得したのもそうだ。カペッロがユーヴェの監督になると決まった時、彼は「エメルソンを獲得しよう」と言ったが、俺は「もうウチの選手だよ」と答えてやったよ。正式に移籍が決まったのは7月末だが、前シーズンが終わる前の時点で合意は取り付けてあった。ローマはゴネたが、最終的には選手本人の意思がモノを言う。信頼するカペッロの意志が働いていればなおさらだ。

 カペッロを監督に迎え入れたのも大きな仕事だった。知り合いのジャーナリストから、ローマとカペッロとの亀裂が決定的なものになったとの情報を仕入れた俺は、その2時間後にはローマにいて、すぐに基本合意を取り付けた。忘れもしない、04年5月25日のことだ。その2日後が、ウンベルト・アニェッリが亡くなった日だ。ウンベルトの死はユーヴェにとって大きな損失だった。アッヴォカートの死に続いてウンベルトを失ったことで、俺も少なからずショックを受けたものだ。当時、ウンベルトはデシャンを監督としてユーヴェに呼び戻したいと願っていた。ところがデシャンは、自分が希望する選手の獲得を就任の条件として突き付けてきた。俺はアイツを追い返してやったよ。ウンベルトの希望はかなえられなかったが、ユーヴェでそのようなわがままは許されないんだ。

 ウンベルトにもアッヴォカートにも、俺は敬意を持って接していたよ。確かに、俺のやったことで彼らが気分を害したことがないわけじゃない。ヴィエリ? そうだな。アッヴォカートが報道陣を通して「ヴィエリの放出はあり得ない」とファンに約束した数日後に、俺はヴィエリをアトレティコ・マドリードに売った。アッヴォカートの面目をつぶしてしまったことは俺にとっても残念だったよ。だが、俺が彼に「ヴィエリを売るつもりはありません」と言った時点では、アトレティコの提示は280億リラ(約16億円)の5年分割払いで、受け入れる気など全くなかった。

 ところがその翌日、怒り狂ったヴィエリがやって来て、「レギュラーポジションを確約し、年俸も上げろ」と言う。俺は言ったよ。「お前はここのボスじゃない。アトレティコの連中から何を吹き込まれたのか知らんが、ここで騒いでも無駄だ。380億リラ(約21億円)の一括払いだと伝えろ」とね。ヴィエリが去った後、俺はすぐにアタランタに連絡してインザーギを獲得した。もちろん、しばらくは秘密だと念を押してね……。そうこうするうちに、アトレティコからFAXが届いた。一括で満額を支払うと書いてあった。俺が言う通りにしてきたのだから、断るわけにはいかないよ。

 一応、アッヴォカートに伝えようと思ったが、行き違いで連絡が取れなかった。翌日に説明すると、アッヴォカートは「ヴィエリと同じようにゴールを量産できる選手を獲得できるかどうか。それができるのであれば問題はない」と言った。俺はインザーギを獲得済みだと話した。彼は満足していたよ。

「俺は一度も失敗をしなかった」

 俺は一度も失敗をしなかった。「じゃあアンリはどうなんだ」と思う者がいるかもしれないが、あれは失敗どころか大きな成功だ。アーセナルに320億リラ(約10億円)で売れたんだ。大きなビジネスだと言うべきだよ。ユーヴェ時代のアンリはまだ若すぎた。カウンターアタックでは機能したが、当時はそれだけの選手でしかなった。ただ、リッピはそうでもなかったが、アンチェロッティはアンリの潜在能力を大いに認めていたものさ。仮にアーセナルに移籍しなかったとしても、いずれ大きく飛躍したはずだ。

 そうだ。俺が獲得した選手の中には、アンチェロッティという若手もいたな(笑)。まだ20歳そこそこのMFだったが、カンピオーネになる器だと俺は見ていた。インテルからセレクションの回答を保留にされていたカルロに声を掛け、パルマに売り込んだのは俺だよ。ついでに言っておくと、俺は未来のカンピオーネを数多く発掘してきた。パオロ・ロッシ、クラウディオ・ジェンティーレ、フランコ・カウジオ……。みんな俺が出世のきっかけを作ってやったんだ。

 俺がやった仕事の中で最も大きな成功と言えるのは、先にも言ったようにジダン、ネドヴェド、イブラヒモヴィッチの獲得だ。だが、一番痛快だったのはナポリのGMだった頃にアレモンを獲得したことだ。みんな、ナポリがアイルランド人のハウトンを獲得するものだと思っていた。代理人がフェルライーノ会長と仲良くしていて、特ダネとして一面に掲載する新聞もあったぐらいだ。俺は22時にミラノのホテル・ブルンで会見を行うと報道陣に伝えた。みんなそこでハウトンの獲得が正式発表されると思っていた。しかし、俺はマドリッドにいて、アトレティコのヒル会長とアレモンの移籍について最後の詰めを行っていたんだ。多少手間取ったが、予定より何時間か遅れて俺はアレモンを連れてイタリアに戻った。ホテル・ブルンでは大勢の報道陣が腹を空かせて俺を待っていたらしい。連中はハウトンの移籍記事をほとんど書き上げて、最後にコメントを載せるだけのつもりだったんだろうな。ところが、やって来たのはアレモンだ。みんな仰天していたよ。

 これまで獲得した選手の中で、俺が最も愛着を感じている選手は誰だと思う? ジャンフランコ・ゾラさ。トーレスの会長、バルバネーラが俺に推薦してきたんだ。「セリエCでプレーする器じゃない」ってな。俺はすぐにカゼルタに飛び、ゾラのプレーを見た。一目で獲得すべきだと確信したよ。体は小さいが、ボールタッチの一つひとつに才能を感じさせた。次のゲームも見に行ったが、その日のプレーはいまいちだった。そこには他のスカウトもいたんだが、そいつはゾラを失格と見なしたようだ。それでも、俺は試合後にゾラと話し、獲得することで合意した。俺には一つの哲学があった。「優れた選手が悪いプレーをすることもある。だが、その逆はない」。ゾラは俺の哲学が正しいことを証明してくれた。

 ゾラを獲得するためにナポリが支払った金額は3億リラ(約1700万円)だ。まだカルチョが金まみれになる前の時代だったとは言え、とんでもない安さだよ。そんな選手がマラドーナの10番を引き継いでくれた。そして最後には140億リラ(約8億円)で売却できたんだから。フェルライーノは俺のおかげでいくら稼いだんだろうな(笑)。

◇モッジが今夏の移籍を総括
・カルチョ・スキャンダルの“黒幕”が独白「インテルは暗黒期に戻ってしまった」

◇モッジの最近の発言は?
・モッジ氏、ユーヴェのデル・ピエロ退団発表に苦言「相応しくない対応」

◇サッカー界からの永久追放処分
・八百長スキャンダルの元ユーヴェ幹部モッジ氏が永久追放処分

【浅野祐介@asasukeno】1976年生まれ。『STREET JACK』、『Men's JOKER』でファッション誌の編集を5年。その後、『WORLD SOCCER KING』の副編集長を経て、『SOCCER KING(@SoccerKingJP)』の編集長に就任。『SOCCER GAME KING』ではCover&Cover Interviewページを担当。