第93回全国高校サッカー選手権大会の開幕がいよいよ明日30日に迫った。今冬も全国の予選を勝ち抜いた全48校が頂点を目指して、熱い戦いを繰り広げる。
しかし、当然だが多くの全国の高校サッカー部は各都道府県の予選で姿を消している。さらに言えば、名門校としての条件が揃っていない一般校が大多数だ。
書籍『弱小校のチカラを引き出す』では一般の高校に焦点を当て、その指導法や強化策に注目。今回はその一部を紹介したい。

「サッカーは、最後はハートでやるんだよ」
麻布高校サッカー部の近松岳洋は、光井逸平コーチのその言葉に苛立ちを隠さなかった。<サッカーはそんな精神論でやるもんじゃない。もっと内容にこだわらないとダメだ。そんなんじゃ試合に勝てるわけがない。光井コーチは間違ってる――>。近松には自信があった。中等部時代、3年のインターハイ都大会で準優勝したのだ。その経験が、高校に上がってからの近松に過信に似た自信を与えていた。「完全に、調子に乗っていました」と、彼は当時をそう語る。
そんな近松に光井コーチの言葉は響くどころか、苛立ちと反発心を生んでいた。高1のインターハイでは都大会に出場したものの、その後は高2のインターハイまですべて地区大会1回戦敗退。成績も振るわないことで、光井コーチとの溝は一層深まっていた。はじめはナーバスになっていた近松も、いつの間にか負けることに慣れ、淡々と敗北を受け入れているように見えた。しかし、近松は受け入れていたわけではない。<自分たちの実力が出せていないだけだ、このやり方が間違っているわけじゃない>。近松は心の中でそう言い聞かせていた。自分たちのサッカーが高校では通用しないことを受け入れられず、ずっと逃げていたのだ。
高2のインターハイが終わった5月、近松は練習試合での接触プレーで足を骨折する。骨折した瞬間、「そりゃあ怪我するよな」と痛みに耐えながら身の入らない自分にそう漏らしていた。気がつけば、近松はサッカーが嫌になっていた。リハビリは自分を見つめ直すいい休養となった。
ようやくギブスが取れた夏合宿前。母親から「ボールも蹴れないのに行ったって仕方ないでしょう」と、残って勉強するように言われた。そのとき思わず、「母さん、サッカーはそれだけじゃないんだよ」と言い返していた。反射的に発した自分の言葉に、近松は心が揺れ動くのを感じた。
そして夏の選手権予選。麻布は地区大会の決勝で、PK戦までもつれ込みながら敗れてしまった。また、都大会には届かなかった。このとき、近松は初めて焦りを覚えていた。麻布は受験のため、高2の新人大会後に引退するのが通例。つまり、彼らにはあと新人大会しか残されていなかった。<このまま、終わりたくない。このままじゃ、高校で何も得られてない。何のためにサッカーをやっているのかわからないじゃないか――>。そんな焦りが近松の心を支配していた。
近松たちは最後の大会で都大会出場を誓い合った。しかし、新人大会は麻布にとって鬼門だった。インターハイや選手権は3回勝てば都大会に出場できるのに対して、新人大会は4回勝たなければ都大会へは進めない。麻布はまだ、新人大会で都大会に出場したことがなかった。大会までの3ヶ月、必死に練習を積んだ。近松は失われていたサッカーへの熱を取り戻していた。
大会が始まると、麻布は1回戦を4-0、2回戦を2-0、3回戦を3-0と破竹の勢いで勝ち上がった。準決勝まで勝ち進み、これに勝てば都大会への道が開ける。そして相手はこの年、インターハイに東京代表で出場した東海大高輪台。明らかに格上の強敵だった。
試合は圧倒的に押し込まれた。先制されながらも、近松たちは死に物狂いで食らいついた。点なんて取れる気がしなかった。けれど、終了間際に運良く1点を返し、ボロボロになりながら必死に守り抜いた。PK戦まで粘り通したが、麻布はそのPK戦に4-3で敗れた。
試合後、近松にはこれまでにない悔しさが込み上げていた。<俺たちが勝てる最大の条件は満たしていたのに、これ以上、どうすれば勝てたんだよ――>。都大会は目前だった。近松はわずかに届かなかった理由を必死に自分の中に探し求めていた。<あと少し、あと少しだったんだ>
そのとき、あの言葉が近松の胸を貫いた。
“最後はハートでやるんだよ”
<もっと、俺たちにハートがあれば勝てたのかもしれない>。はじめて光井コーチの言葉が、近松の芯に響き渡った。そしてふつふつと湧き上がる想いがあった。<やっぱり、このままじゃ終われない。都大会を諦めきれない――>。近松たち主力メンバーは、高3のインターハイまで残ることを決めた。主力メンバー全員が高3春まで残るのは、麻布サッカー部でははじめてのことだった。都大会出場と当たるかわからない東海大高輪台にリベンジすることを近松たちは目標に掲げた。それから今までは鼻で笑っていた光井コーチの精神論も、すんなりと受け入れられるようになっていた。
高3のインターハイ。近松たちは格下が相手でも油断することなく戦い、地区予選を順調に勝ち上がった。地区決勝の芝浦工大附を2-1で退け、念願の都大会出場を決める。そして都大会1次トーナメント表が発表されると、近松は身体中の血が滾るのを感じた。2回戦に勝ち上がれば、東海大高輪台と当たる――。「まさか都大会でリベンジのチャンスがあるなんて」と、近松はその巡り合わせの興奮を語る。麻布は都大会1回戦を1-0で勝ち、2回戦に進出。この試合のために、光井コーチと厳しい練習を積んできていた。これ以上ない舞台が整った。
「秋のようにはやらせませんでしたよ」と、麻布は堅い守備を築いて試合のペースを握っていた。けれど、スコアはまたもや1-1でPK戦にもつれ込んだ。お互い5人が成功させ、PK戦はサドンデスに突入した。6人目も成功すると、先攻の東海大高輪台の7人目が失敗した。麻布の7人目はGKだった。助走を取るGKから緊張が伝わってくる。ボールに向かって走り出したそのとき、GKの地面を蹴る鈍い音が聞こえた。ボールは力なく小さく跳ね、ゴールへと転がっていく。誰しもが目を覆いたくなった。しかし、相手GKはタイミングを外されて倒れ込んでいた。ボールはその横をゆっくりと転がり、ゴールへ吸い込まれていった。麻布側から歓喜の声が湧き上がった。麻布が秋のリベンジを果たしたのだ。「そのキックのように本当に紙一重という試合でした」。
3回戦の相手は、名門・帝京高校だった。しかし、近松たちにもう恐れるものなどなかった。東海大高輪台に勝ったことで、本物の自信を手にしていた。会場は駒沢第二球技場。スタンドは麻布の応援で埋まり、麻布ホームの雰囲気でキックオフを迎えた。
試合開始から地力の差は歴然だった。終始押し込まれ、前半は1つのチャンスも作れなかった。それでも、近松は冷静だった。「帝京に押し込まれるのは想定内でした」と、むしろ0-0で前半を終えたことに自信を深めていた。「僕たちは長身選手が揃っていて、CKで絶対に1点取れる自信があったんです」。0-0でしのいで、CKで1点取る。それが近松たちのゲームプランだった。
前半を終えた麻布ベンチは活気に満ちていた。端から見れば帝京が圧倒している試合である。けれど、選手たちから『このままいけるぞ!』と、口々にそんな言葉が溢れた。しかし後半、麻布はPKを献上し、1失点を許してしまう。ワンチャンスに賭ける麻布にはあまりに重い失点だった。
「それくらいで僕らの心が折れることはありませんでしたよ」。近松は尚も疑わなかった。いや、麻布イレブンの誰一人として、自分たちの勝利を疑うことはなかった。失点に崩れることなく死力を尽くし、最後まで食らいついた。しかし、それ以上スコアは動かなかった。涙する近松にはよく戦った自分たちを讃えたい気持ちと、負けを認めたくない気持ちが交差していた。現実を受け止められない近松たちに光井コーチは最後の言葉を贈った。
「負けは、負けのままにしたら意味がないんだよ」。次に繋げられなければ、この悔しさも意味がない。「その言葉が、僕が東大でもサッカーを続けている理由ですね」と、近松は笑顔で語った。