2013.06.25

小野伸二「Jリーグはファンに支えられて発展してきたリーグ。これからも皆さんの力が必要」

小野伸二/ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ(オーストラリア)

[Jリーグサッカーキング8月号 掲載]
屈指のサッカーどころ静岡に生まれたサッカー史上屈指の天才MFは、浦和、オランダ、浦和、ドイツ、清水、オーストラリアと次々に戦場を移し、“外”と“中”からJリーグの20年を見守ってきた。世界のサッカーを知り尽くす彼からこそ見える、Jの進むべき道とは――。
小野伸二
インタビュー・文=細江克弥 写真=足立雅史

1979年生まれの小野伸二選手がJリーグ開幕を迎えたのは、中学2年の5月でした。まずはそれ以前のことについてお聞きしたいのですが、日本にプロリーグがなかった当時、自身の将来像についてはどのように考えていましたか?

小野 プロリーグがなかったこともあって、当時はまだ自分の将来像を思い描くようなことはなかったですね。ただ「サッカーがうまくなりたい」という思いだけでボールを蹴っていました。他の人は違うかもしれませんけど、僕自身は、日本リーグでプレーするような選手になりたいとか、そういう明確な目標を持っていたわけではなく、ただサッカーがうまくなりたいという一心でボールを蹴っていました。

そうした考え方は、Jリーグ開幕によって変化しましたか?

小野 日本リーグ時代は読売クラブが好きで、天皇杯の決勝などをテレビで見るのが楽しみの一つでした。ただ、Jリーグが開幕したことで、ものすごく華やかな世界が急に目の前に広がったという印象はありました。例えば、いわゆる“1億円プレーヤー”が出始めたということも子供ながらに「すごいなあ」と思っていましたし、Jリーグの開幕を境に、はっきりと目指すべき目標ができた気がします。

プロ選手になるという選択肢を持ち始めたのはいつ頃ですか?

小野 Jリーグが開幕した93年5月15日ですね。まさにその日から、自分にもプロを目指せる権利が生まれたということですから、意識は変わりました。開幕戦はテレビで見ていたんですが、あれだけたくさんのお客さんの中でプレーすることがすごいと思いましたし、今でこそ素晴らしいスタジアムがたくさんありますけど、やっぱり、あの頃のサッカー選手にとって国立競技場は特別な場所でしたから。テレビを通じて、あの開幕戦の雰囲気を感じて「すごいな」と。

小野選手は育成年代から「天才」と言われ続けてきましたが、プレッシャーを感じることはなかったのでしょうか。

小野 僕自身にはもちろんそういう意識はなくて、自分で言うのもおかしいかもしれないですけど、努力をして、少しずつ成長してきたと思っているので。だから、決して天才ではないなと自分では思います。ただ、若い頃から世界の舞台を経験させてもらったり、高校時代には非常に多くのクラブから声を掛けてもらえるようになって、少しずつ自信を深めていきました。高校時代にはプロのサテライトチームと対戦しても十分に戦えるという自信もありましたし、早くプロに入って、より高いレベルでサッカーをやりたいという思いが徐々に芽生えていきましたね。

清水商業高卒業と同時に浦和レッズに加入。プロ選手になって感じた、それまでとの違いはありますか?

小野 高校時代に築いた自信を持ってプロの世界に入ったこともあって、自分の中で何かが大きく変化したということはなかったと思います。ただ、浦和で素晴らしい先輩たちに出会って、自分の力を最大限に引き出してもらったことは間違いない。監督も開幕戦から使ってくれたので、そういう意味では、本当に毎日ものすごく大きな充実感を覚えながらプレーしていました。

あれだけの注目を集める中でプレーするのは、簡単ではなかったと思います。

小野 僕自身の感覚としては高校時代と何も変わらず、自然体のままプレーすることができていたと思いますよ。プロになったことでシビアに勝利が求められていることも理解していましたし、自分の持ち味を出しながらチームの結果にも結びつけて、スタジアムに足を運んでくれるお客さんに「また行きたい」と思ってもらいたかった。そういう気持ちを常に持ちながらプレーしていたことを覚えています。

浦和は今も昔もJリーグ屈指の人気クラブです。サポーターの熱狂的な声援についてはどう感じていましたか?

小野 いやあ、とにかくすごかったですね(笑)。もちろん僕が入る前からすごく熱狂的ではあったと思うんですけど、当時も本当に多くのサポーターの人が試合を見に来て、応援してくれて。だからやっぱり、そういう環境でプレーできることが楽しかった。僕自身はプレッシャーに感じることもなく、心から応援してもらって、楽しませてもらったと思っています。

とはいえJ2降格という経験は、苦しさも伴ったと思うのですが……。

小野 あくまでタイトルを目指すプロのクラブとして、J2に降格してしまうことは決してほめられたことじゃないですよね。それを望んでいる人は誰もいない。ただ、あのタイミングで一度降格という経験をしたことで、クラブや選手、もちろんサポーターも初めて気付かされることがたくさんあったと思います。やっぱり、そういうところからはい上がってきた経験は間違いなく今に生かされていると思うので、僕自身にとっても、今改めて振り返るとものすごく重要な一年だったと思います。

そんな中で、海外に目を向けた理由は?

小野 実は、特別な理由はなかったんです。ただ、フェイエノールトの練習に参加させてもらって、そこで実際にボールを蹴った瞬間が直接的な理由になったというか……。

新たな楽しみを感じることができた。

小野 そう、楽しかったですね。日本代表の一員としてプレーさせてもらっていたんですが、やっぱり、海外の代表チームに対しては独特の威圧感を感じるところがありました。それを何とかしたいという思いは漠然とあったんですが、フェイエノールトの練習に参加した時、「この環境にいれば、独特の威圧感も“当たり前”になる」と感じました。フェイエノールトでは1週間ほど練習に参加させてもらったんですが、レベル的にも「やれないことはないかな」と思えたので、それであれば挑戦してみたいと。

オランダリーグでプレーしてみて、Jリーグとの違いについて何か感じることはありましたか?

小野 プレーヤーとして感じたのは、やっぱり、対戦相手に一流選手がいるということの魅力かもしれません。あの頃のオランダには、今でこそ世界的な選手になったけど、当時はまだ名前を知られていない選手がたくさんいました。僕が所属したフェイエノールトにも世界トップレベルの選手がいましたし、もちろん対戦相手にもいました。だから、リーグそのものの違いというよりも、オランダには日本では経験できない環境があったと言えると思います。

UEFAチャンピオンズリーグやUEFAカップ(現UEFAヨーロッパリーグ)の存在も大きいと思います。

小野 そうですね。国際大会に出場すれば、また違う国のトップレベルのクラブと戦えますから。選手としてすごく貴重な経験ができるという違いは、確かにあると思います。

やはり選手としては、そこに魅力を感じるのは当然のことですよね。

小野 そうですね。僕自身も、カニーヒア(元アルゼンチン代表/当時レンジャーズ)やオルテガ(元アルゼンチン代表/当時フェネルバフチェ)と対戦したり、インテルと対戦すれば全盛期のロナウド(元ブラジル代表)やレコーバ(元ウルグアイ代表)もいましたからね。チャンピオンズリーグでは「銀河系」と呼ばれた頃のレアル・マドリーとも対戦することができました。そういった意味では、僕は本当にいい経験をさせてもらったと改めて思います。これはもう、海外に行かなければ得られない経験ですから。

日本にいると、当時は特に世界トップレベルとの差を感じざるを得なかった。

小野 もちろん仕方のないことではあると思います。やっぱり、対戦したくてもチャンスが限られているし、すごい選手に会おうと思ってもなかなか会えませんから。でも、海外に行ったらそれが身近に感じられるというか、それが当たり前になる。向こうにいたら、それが自然と普通のことになってしまうんです。だから、対戦しても独特の威圧感を感じて萎縮してしまうようなことがなくなりますし、それは選手にとっても大きいと思いますね。

当時、Jリーグからやって来た日本人の小野伸二という選手が、チームメートや現地のサポーターからどのように見られていると感じましたか?

小野 いや、僕はそういうことは一切、気にならなかったので、どういうふうに見られていたのかは自分でもよく分かりません。ただ、一日でも早くチームメートとコミュニケーションを取って、チームの中に入り込みたかった。あとは細かいことを考えずに、自分のやるべきことをやる。言葉は分からなかったけど、監督が意図することは分かっていましたし、それを踏まえた上で自分のプレーを表現することに徹することができました。